思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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二種類の天才論

天才論には大きく分けて二種類ある。一つは【凡人の天才による凡人のための天才論】で、もう一つは【万人の天才による万人のための天才論】だ。やはり天才について語れるようになるためには、それなりの天才がなければ構築できないため、両者とも"天才による天才論"と言える。

さて天才がいれば、当然天才でない凡人の人々もいなければならないのが世の常である。しかし、その凡人の方々の取り扱い方には、大きなちがいがある。前者の場合は、天才論を凡人の方々のために書く。つまり凡人の方々に説明するための題材として天才を扱うのであって、何よりも自らの持論を聞いてくださる大多数の凡人の方々が第一の必要条件とされた天才論となる。その代表的な記述態度としては、小林秀雄が語る芥川龍之介の自殺についての見解があげられる。著名人を舞台に上げて自らは舞台評論家となり、その舞台評論家である自らの執筆活動とその出版状況や読者層などの現実舞台については語らない。小林秀雄の抱いていた現実舞台についての社会学とは、舞台評論家自身の企業秘密なのであり、前者の天才論発案者の天才性とは、こうした凡人の知識状況を計算に入れた舞台の二重化にある。

後者の場合はどうか。後者の場合は、凡人と天才の社会心理学が主題であって、様々な異なった物の見方をする人々が集まったところの現実社会で起きていることの解明が大事なのである。それは天才論の構築者自身が勝手に思うことではあるが、一応万人のためになると思ってなされるものである。代表例は、ショーペンハウアーであり、日本では彼を愛読した芥川龍之介の「侏儒の言葉」があげられる。

参考のため、ショーペンハウアーの言葉を中央公論社の世界の名著シリーズから二つほど引用しておこう。


「もしも私が私の同時代人たちの喝采を得たいと欲したのなら、私は彼らの見解に全く反対するような個所、いな部分的には彼らの感情を害するに違いない個所を二十ほど削除しなければならなかったであろう。しかしながら彼らの賛同を得るために一字一句でも犠牲にすれば、私はこれを自分の過失と思うだろう。」

「平凡な人間は、平凡な現在にすっかり心を充たされ、満足を味わわされ、甘んじて平凡な現在に没入し、それから、また、いたるところに自分の同類を見出して、日常生活に特別な気楽さを楽しむが、このような気楽さは天才には拒まれている。」


後者の天才論は、もっと一般的な他者との交わりの違いによる社会心理学へ進もうとするが、前者の天才論とは、その天才論談義で気楽さを楽しむ学術の名を借りた、凡人のお妬みと自尊心確保のためのお茶飲み談義やら酒の肴、あるいは発案者らの定例集会における知識階層化を狙いすます一つの指導権獲得の道具にすぎない。

ふ・ふ・ふ……
従来の天才なんかどうでもいいから、そろそろ天才論を上手に操るところの天才達についての天才論が読みたいなぁ~~~


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  1. 2010/06/02(水) 21:49:21|
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