思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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山野車輪のテレビ出演

山野車輪が示したアンチテーゼは何か?それは大人成熟世代が若者世代について下す判断、「今の若い者は~」的な定立テーゼにたいする反定立アンチテーゼである。我々が現状社会についての問題設定の仕方は、人それぞれ異なっているが、そんな中で山野車輪は、若者世代と高齢世代の対立に焦点を絞ったと言える。

さて一般的に言って現状社会についての問題設定には色々あるが、その問題設定の仕方の勢力とは、一体どんな形で発せられているものなのだろうか?テレビが普及している現代では、やはりテレビなどメディアが最大勢力と言ってよかろう。もしメディア以外のところで強力な勢力が生じれば、当然その勢力についてメディアが取材や出演依頼を取り行うことからして、問題設定の最大勢力はメディアであると考えてもよさそうだ。

5月30日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」に出演した山野車輪。その出演を依頼したテレビ局も大したものだし、パネラーと言うのか何なのかよくわからないが、御出演の方々もそれなりの対応であった点で、私はかなりの新風の前兆を感じた。山野車輪自身が先頭に立つとは限らないが、今まで表に現れなかった側の勢力が、徐々に起きてくるきっかけを作ったと思う。

山野車輪の「若者奴隷時代」とは、今までメディアにおける社会問題設定の仕方とは異なった勢力の予兆である。山野車輪が現れる以前の今までのメディア内での議論対立とは、結局、高齢および熟年世代内での問題設定であったのだ。たかじん出演のパネラーらも、従来の自身が扱ってきた領域以外に属する山野車輪と一応認めていたと思う。むやみに山野を潰しにかかるには、今後の自身に不利を感じるくらいの領域を山野氏に感じていたと思われる。実際、少子高齢化の人口比率の年金保険料問題は誰も認知している訳で、その年金保険料負担の若者世代の不満をよくあらわした山野である。山野車輪はメディアでの年金保険料負担について問題設定の仕方にたいして、若者世代の視線を多少なりとも投げつけたのだ。その問題を議論するメディアの人々に、若者世代からの評価を持ち込んだのであり、メディアで議論する人々が、その若者世代からの評価を気にすることになることに微力ながらも貢献したと思いたい。

確かに山野車輪は高齢熟年世代と若者世代の対比を示した訳だが、しかし今後もその【世代の利権対立】に限定することには疑問がある。あくまでも新たな現状社会の問題設定を人々に注目してもらうための手段としてのみ、【世代の利権対立】の提言を認めたい。まあ、その【世代の利権対立】の問題が広く認知されてゆけば、自身のコメンテーター生活の充実のためだけに、ちょい過激発言の計画に懸命になる阿呆な奴らも、狙いを定めながら出てくるだろう。繰り返すが、広く人々に認知されるためになす【世代の利権対立】の過激発言と、広く人々に認知されてからの【世代の利権対立】の過激発言とは意味や目的意識が違う。人々に注目されることになった後に、核心部分に踏み込んで行ける人物が台頭するか否かが、日本の今後の分かれ目となる。

これからの問題設定の際に望みたいことは、一体何であろう。私は【世代の利権対立】ではなく、むしろ"【世代の利権対立】の議論についての若者世代からの監視が働くこと"である。メディアに登場するたいていの社会学者やパネラーは、結局は【お呼ばれ利権者】である。彼らはメディアの議論会場に呼ばれ続けることを最大目標にしながら意見を言う方々である。そんな人々の議論を見て、我々は現状社会の問題設定の恒常化された現実を感じる訳である。



実は、メディアにおける現状社会の問題設定の仕方自体に利権構造があり、その利権構造にも若者の奴隷化の要因があるのだ。



はっきり言おう。【世代の利権対立】のみに議論を集中させることは、結局はメディア界の【お呼ばれ利権者】の発言権を喜ばすのに役立つだけだと。「今の若い者は~」で苛立つ若者と、「若肉老食」で恐縮する高齢者の双方を見て、その揉めている状況に群がる【お呼ばれ利権者】の仕事獲得を喜ばすだけなのだ。

山野車輪は「若肉老食」と示したことは何を意味するか?それはもっと一般化すれば、【熟年者が若き未熟者を、自身の利権のために利用していること】を示したのである。たかじん出演のパネラーやら何やらは、自分たちが自らの活躍のために意見表明をくふうしていることを充実に自覚している方々である。つまり社会事件を食い物として利権を確保していることを、一応は自覚しているのである。【お呼ばれ利権者】にとって実際の若者世代の問題などは二の次であって、自身をお呼ばれして下さるメディアの方が大切なのである。よって「若肉老食」を示す山野車輪を無理に抑えようとすることは、自らの利権確保を隠すための恫喝行為と悟られてしまうと感じるのである。また自らのテレビ界における利権確保のために言えないこと、あるいは人々の関心を呼ぶような形で発言できないことを、山野車輪が平然と言ってのけれることに期待さえ感じていたのかも知れない。

メディア界の【お呼ばれ利権者】達は、一般社会の人々にとって自身の意見が不評なのを知っているし、その不評を得ることもお呼ばれされることの重要事項の一つとさえ知っているのだが、山野車輪の「若肉老食」にたいしては、その不評の結束化にいたる未来を漠然と感じるのである。裏を返せば、今までは自らの意見にたいして人々に不評を与えても、その不評が結束しえないという自信があったことを意味するし、メディア界の同業である【お呼ばれ利権者】との折り合いにのみ気を配っていれば足りたのである。要するに山野車輪を無理に抑え込むことは、「若肉老食」における、山野車輪を"若"として扱かおうする"老"としての自分自身を現すことになってしまうのだ。

山野車輪のテレビ出演について私見を述べたが、これからの問題設定については【世代の利権対立】に集中しないのが望ましい。様々な人々の利権に焦点を当てる一つとして「若肉老食」を追究し、同じくメディア界の【お呼ばれ利権者】の問題設定の仕方自体にも彼らの利権を見て、そしてその様々な利権構造にそれぞれの監視勢力が働くことを期待したい。山野車輪が示した「若者奴隷時代」によって、若者世代には現状の熟年利権の維持にたいして事業仕分けのような監視視線が育まれることを望む。(まあしばらくは、若者世代内の権威的利権構造への従属化闘争が維持されるのかな?)一つ理想を言えば、就職難を心配する親たちの立場から、自らの子供の問題だけではなく、"若者世代一般"と"自身の属する熟年世代一般"との良い架け渡しの提案が生じれば、今までよりは説得力があるものになるのかも知れない。

それにしても、【出演の知名度効果と引き換えにタックル化従属を強いる知的利権構造】を特徴とする「TVタックル」は、「たかじんのそこまで言って委員会」を見て、どんな気持ちでいらしゃるのでしょうか?やはり山野車輪への出演依頼と、その彼のタックル化への従属化演出にしか興味がないんでしょうかねぇ……


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  1. 2010/06/01(火) 06:24:00|
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