思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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加藤周一 土着世界観

夏目漱石の内発的開化と外発的開化の対比から、新たな存在論的な解釈図式を追究し始めた代表作には、加藤周一の「日本文学史序説」1975であげられる。私の場合、ちくま学芸文庫の単行本の下巻しか持ち合わせていないが、それは、おおよそ日本文化の【土着世界観】を基礎に、日本人によって【西欧舶来思想の導入摂取】がなされた歴史過程の考察である。

しかしよくよく読めば、著者の加藤周一自身はもっと適切に、土着世界観を持った人々がいる状況下で、外来の思想に【反応】する様々の人々の状況を記したかった旨を説明されている。それは次々と西欧思想が入り込んでくる中、大多数が外発的開化という特質など気にかけることもない反応をしたのにたいして、漱石のように外発的開化の特質を感じながら反応した人々の状況についても注意を向けさようとする表現である。加藤周一は、漱石の示した外発的開化に触発されて、その外発的開化となった明治維新後の状況を新たな存在論的観点から把握しようと、文学の歴史変化について考察してみた訳である。

言ってみれば、私が70年代以降の歌詞に見る歌謡史を思い立ったのも、加藤周一の漱石の開化論に触発された文学史の影響にある。「80年代の伝統にたいする多様化」では、70年代までの土着世界観に相当する"持続しようとする伝統的な理念"と、80年代からの舶来思想に相当する"新たに普及しようとする理念"の双方に晒された社会的状況下で、人々の様々な反応の多様化状況に関する歴史変化を考察したものなのである。

その考察方法とは、もはや日本土着世界観と外来西欧思想の対立とは若干異なり、伝統的世界観と新規流行理念の対立であって、もともとの漱石が示した日本における外来西欧思想による外発的開化の観点とは、幾分ズレが生じている。しかし、【伝統と新規】が混ざり合った社会状況下で、人々がそれぞれ様々な反応をする結果としての社会状況の変化に注意している点では類似するのだ。

この漱石の開化論と類似する存在論的な解釈図式からは多くの新たな知識社会学の立場、あるいは新たな日本人論などへの応用可能な領域が広がる。逆に言えば、もし、その伝統と新規の対立図式という漱石開化論との共通性を別問題とし、あくまでも漱石の開化論に限定しようとするならば、新たな日本人論への道も閉ざされるだろう。また「西欧の内発的開化」と「日本の外発的開化」といった対比自体が、例えばフランス革命にたいするイギリスやドイツの反応状況などを考慮しない、母国日本と対比した、漠然とした西欧として一括りにしたところの日本的な考えなのである。イギリス、フランス、ドイツなどの西欧において、それぞれの国において生じるところの【伝統と新規】の混ざり合う状況下でなされる様々な反応形態を視野に入れるためには、漱石の内外の二項対比に固執する必要がないどころか、むしろその固執によって、"複数文化圏の一つ"として日本文化を位置付けることの妨げになる。

つまり新しい日本人論では、日本と西欧という漠然とした二項対比ではなくして、もっとイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、中国、韓国などと細分化されたものの一つとして日本を位置づけすることによって進められることとなる。しかしそれは西欧諸国分類の細分厳密化だけでは足りず、知識論的解釈の立場を必要とする。"日本と西欧"の比較検討してきた日本における思想の歴史があるならば、イギリスやフランスでなされてきた"イギリスとフランス"について比較検討状況の歴史を研究対象とするイギリス思想史やフランス思想史、あるいは他国ドイツでなされてきた"イギリスとフランス"についての比較検討の歴史を扱うドイツ思想史など、各文化圏で考察されてきた"他文化についての考え方の歴史"の比較まで考えが及ぶ必要があるのだ。

たとえば比較検討をやり易くために、"イギリスとフランス"というテーマに限定して考えてみればよい。それぞれ該当するイギリスやフランスを含め、ドイツ、イタリア、ロシア、中国、韓国、日本などと、それぞれの文化圏における"イギリスとフランス"についての解釈史を進めることにより、それぞれの文化圏における【土着世界観】を基礎とした歴史的変化を扱う思想史なり解釈史が生じ、その中の一つの文化圏としての日本と位置付けすることによって、新しい日本人論、新しい知識社会学、新しい世界史などが起こる訳である。先に記しておいた「自由」の社会学をはじめ、「寛容」の社会学「孤独」の社会学などは、以上の視座を踏まえたものである。

さて話を、漱石開化論を継承した加藤周一のことへ戻そう。

彼が漱石の開化論を準拠としようとした関心の一つには、講談社学術文庫「日本人とは何か」の中の「戦争と知識人」1959で触れられている、戦争に関係していた知識階級の日本浪漫派と京都学派の動向がある。戦時中、ゆきづまった近代と考えてなされた、「近代の超克」という題目の名の座談会についての話で、加藤自身は「外発的開化」の特質を考えに潜めながら、明治維新後の近代化の開化を目指してきた知識階級の様相に関心を示していた。日本浪漫派は外発的開化だったと見なして内発的開化としての国粋主義へ向かい、京都学派はその自身の外発的開化の産物「世界史の哲学」で戯画化して見せたと、加藤氏は説明している。また、共に"思想"より"生活意識"を優先させる点で一致し、両者共に「ファシズム権力の正当化に手をかした」とも記している。その日本における生活意識の優先傾向については、亀井勝一郎と大熊信行の告白、そして1956年の吉本隆明の分析に見ている。さらに私は加えて、平野謙の評論「芸術と実生活」1958も、同様に日本思想史内の経過を位置づける一文献としてあげておきたい。

加藤氏はそうした知識階級の動向からは日本人論的な全般的解釈図式として、「古事記」を日本思想史の出発点と設定し、そこには生活意識を超越する真理の概念がなかったと前提する。そして以後の外来の仏教、儒教、キリスト教がその伝統を根本的に変えたかに関心を示してた。つまり加藤周一が「日本文学史序説」を論述しようとした動機の一端が、ここにあり、「古事記」に土着世界観の始まりを見ているのだろう。

まさに加藤氏は、日本人の性格を探求をするというよりは、日本人の意識や抱いている知識や思想などの方を重視する【知識論的】な考察を施そうとしているのであり、私が試みようとする知識社会学の観点に立った新しい日本人論の礎を築いた先人の一人に値する。


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  1. 2010/05/21(金) 06:17:01|
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