思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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なぜか 昭和枯れすすき

今日は何の因果か、三白眼のスナフキンから「昭和枯れすすき」という曲を聴き込んでみたくなった。

聴いていただければ、ご覧のとおり、大変貧乏くさい歌詞である。まあ若い人には、一体何を訴えたいのか戸惑ってしまうかも知れないし、中には「おっ?これも昭和の香りだな」と、小馬鹿にしながらも驚嘆していただけると信じている。

しかしこの貧乏くささとは、制作側も貧乏くさいと実感しつつ、それを制作せざるおえなかった時代背景を、日本人とあらば、決して忘れてはならない。

というのも、男と女の心中物の歴史を見れば、江戸時代の人形浄瑠璃、作家太宰治の心中を始め、「天国に結ぶ恋」と報じられていた1932年の坂田山心中、1957年の天城山心中があった。実際の事件内容はともかく、人々がその心中事件に生死を越えた恋の理念を抱いていた時期であったのだ。

しかし時代は変わる。1970年、「男と女のお話」が流行り、三島由紀夫の自決があった。恋はおしゃれなゲームであり、天国に結ぶ恋を求め合う男女は、人々の関心を呼ばなくなった。また天国に結ぶのは個人的な事柄の方へ向かっていき、例えば78年の田宮二郎、83年の沖雅也、86年の岡田有希子などの死に関心を寄せていった。

つまり、1974年の「昭和枯れすすき」は、現在進行形の男女心中の気持ちを表したものではない。むしろ一生を共にしたいという恋の理念が減退した時代変化への訴えである。そして世間の風の冷たさについては、歌詞どおりの男女の恋物語ではないのだが、当時の個人主義理念の立場からしても充分に共有されていた事柄であったため、ヒットにつながった作品である。まさに歌い手の、その時代遅れとなった貧乏くささを貧乏くさいと自覚しながら、強烈にアピールを諦めないのがよい。

さて平成の現在に気持ちを戻せば、「ゲゲゲの女房」を御覧の方には「昭和枯れすすき」のことも合わせて振り返ってもらいたいものだ。【世間や時代の求める需要】と【自らが示したい供給】との葛藤。女房は旦那のその葛藤に何を見るのか。「昭和枯れすすき」の場合なんかは、自らが示したい供給のために、「この俺を捨てろ」と突き放つ。そう、「なぜ、こんなに好きよ」の言葉を薄々期待しながら。

くぅ~~~~~。貧乏くささが身に染みてくるぞ。今晩は一杯、飲んじゃおうかなぁ~。
全く、さまよい飛び交う哀愁も、おいらのこの背中、とまり木にしようと狙いすましていやがる。

さあ、引力ある三白眼の視線が、おいらの守り神となった。悪いが、行けるところまで、行かせてもらうぜ!


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  1. 2010/05/18(火) 05:53:37|
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