思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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隣の晩ごはん 東野幸治

有吉弘行の目の奥を見破った人物の一人、東野幸治、彼には何か「突撃!隣の晩ごはん」でお馴染みの桂米助と重なる部分がある。

さて何が重なって見えるかと考えてみると、それは"恐縮"への突撃にある。米助のアポなし突撃を受ける一般家庭の人々は、別に「来ていただいて申し訳ない」と思っている訳ではないが、恐れ縮こまるという意味で恐縮し、その一般家庭の恐縮と米助の突撃の共演が見どころとなる。それはまさに"恐縮"への突撃なのである。

では東野幸治のそれは何であるのか?言ってみれば、彼は"恐縮"をテーマにした達人なのである。人々が恐縮する様子に大変詳しく、彼は、その自身の恐縮のなさを芸風としている。つまり東野幸治は有吉弘行の恐縮のなさを感じ、そのふてぶてしい目の奥を見抜いたと言える。同時に彼は失礼意識を見せない技も無駄なく働かせている。しかし決して失礼意識が全面的に欠けている訳ではない。彼は、まるで失礼知らずの好奇心旺盛な子供の風貌を手本とするのだ。失礼にならぬように気を使っている実際の様相を見せないためにも、いつでも好奇心の対象を探し、それに集中した視線によって自らの失礼意識を隠しているのである。つまり彼は「子供の好奇心を被った紳士」なのである。

たとえば「行列ができる法律相談所」では興味のない人の話を聞いていないとイジられているが、話し手に失礼にならないためになされる聞き入る態度を彼の芸風からして見せてはいけないのであり、だからと言って、その人が話している場面において自らが集中できる好奇心の対象がないため、恐縮なき余裕のマイペース風貌を示すのである。つまり東野幸治の主題は、「何で恐縮する必要があるんねん?」にある。

よって東野幸治は、米助の「突撃!隣の晩ごはん」的な、普通の人ならば決して恐縮して行えないずうしずうしい風貌でもって、人の恐縮へ突撃する資質を、充分に兼ね備えていると言える。多分、関西圏から全国区への進出が可能となったのも、全国区の米助の突撃性や「元気がでるテレビ」などを感知した結果であろう。しかも彼の場合には、さらに「隣の晩ごはん、スタジオ編」といったような進化さえ遂げている感じがする。米助はテレビカメラという武器で一般人を恐縮させるしかないのだが、東野の場合は「何で恐縮する必要があるんねん?」と、「そんなこと、どうでもええんじゃ~」という自身の好奇心テリトリーの発信でスタジオ版を可能としている感じがする。

さてwikiによれば、東野幸治が「どや顔」の言い出しっぺであるようだ。それは、どや顔に恐縮する人々、また恐縮してそのどや顔を指摘できない人々の様子に詳しかったゆえに成し得た業である。失礼意識を見せない好奇心旺盛なる子供の風貌による突撃によって、相手に"怒ることの大人気なさ"を意識させ可能となったものでだろう。

また「ちょっと、待ってください」といった司会者や上層部体制への物言いやら不服申し立てについては、従来、たいていの人々は恐縮してできなかった訳だが、その恐縮せざる負えない様々な要因を分析解釈してきて結果、成し得たものと思われる。東野幸治は自身を卑下してもらう場面で不服申し立ての「待った」をかける訳だが、その後、要求されている訳でもないのに、まるで人々から求められたかのような説明責任を果たす雰囲気を漂わせている。番組内の司会者にたいしては下から目線ではあるのだが、視聴者に向けては弁論大会に選出された生徒となって、上から目線からの青年の主張を行うのである。彼の場合は、一般社会での「下から目線の陳情願い」や「上から目線の説明責任」にはならず、「上から目線の陳情願い」やら「下から目線の説明責任」といった掴み所のない魅力があるのだろう。

こうして東野幸治のテーマには"恐縮"が深く関係している訳だが、彼の"恐縮"のテーマから日本芸人史の歴史を考察しよう。

私が見るところでは、とんねるず、ダウンタウン、爆笑問題は、コンビ常識化計画によって体制維持の安定化に漕ぎ着けた三大巨匠コンビである。騒ぎ立て役の石橋貴明、浜田雅功、太田光が新規支持層獲得の主導役を担い、相方がその騒ぎ立てを緩和させ、コンビ常識化体制の維持安定化の役を担う。相方はその騒ぎ立てによる視聴者支持の拡大をそっと喜びつつ、その騒ぎ立てに不快を抱く者へは一応謝罪を示す振りをしながらも、「これは芸なんだから」とか「芸がわからない連中だな」という雰囲気でコンビ体制の安定化を視野に入れつつ、恐縮する勢力の手が出せない状況を、いつも欠かさず確認しているのだ。(自らのコンビ体制安定化の社会的影響の吟味に乏しく、そのコンビ体制安定化は、優れた自らの芸の当然の報酬と考える傾向にある)各芸能人を招き入れては、その騒ぎ立て役の茶かし力によってコンビの常識化に巻き込み、徐々に勢力拡大させ安定化させる方法をとった巨匠達である。

いやはや、騒ぎ立て役の相方の言い過ぎを戒め、ゲストを守ろうとしているのか、それともゲストの不適応を戒め、自身の属するコンビ体制を守ろうとしているのかわからない感じもするが、実際は後者の社会構造についての知識を、ゲストや視聴者に試す試験場のようなものに仕立て上げ、口には出さない合格通知書を一部の支持者に配る効果を含んでいる。彼ら合格者は自らを「笑いがわかる者」として喜び、審査員的気分で参加する権利を獲得したつもりになる。彼ら巨匠達は、いずれも1961年から1965年までの、60年代前半に生まれた世代に属している。

先人にあたる、80年代の漫才ブームから台頭した80年代後半からのお笑いビック3と称される、タモリ、たけし、さんまの生まれたのは1945、1947、1955年である。彼らはコンビ常識化の世代とは異なり、同窓生的な世界からの常識化ではない。芸能界に入った後の人脈づくりと同時に進行する常識化であり、同好会運営的なサークル内計画による常識化ではない。ビック3の場合は、初めから気の合うサークル仲間を味方につけた常識化へと持ち込むのではなく、時勢変化に伴い、もっと広い分野の人脈を作りながら常識化を進めた世代であった点で異なる。

振り返れば、「笑っていいとも」は、82年10月に始まっている。「笑ってもいいかな?」の掛け声に、「いいとも!」と応えて始まる番組であった。その掛け声と返答によって、"恐縮"の扱い方に時代変化が生じ始めたのだ。もともとは公のテレビ舞台で部外者を笑うこととは、失礼の範疇にあり、むしろ恐縮することであったのだが、その「笑ってもいいかな?」の質問の投げかけと、その「いいとも!」という好んで集まった匿名他者の多数返答の演出によって、何気に部外者についての印象一元化を常識化する宣伝舞台へと変化し始めたのである。それを見たコンビ常識化の世代は、さらにその潮流に乗り、コンビネーション進出を取り入れたのである。「いいとも」以来、支持勢力と恐縮勢力の二分化状況の利用が推進されたのである。

こうした二分化状況を利用したコンビ常識化の"恐縮"の扱い方にたいして、東野幸治の"恐縮"の扱い方には独特のものがある。彼は先に示したとおり、「何で恐縮する必要があるんねん!」に基盤を置いている。先代にあたるコンビ常識化世代のような恐縮させと支持層の常識化計画には積極的には加わらない。むしろ先代の常識化効果で恐縮したいる人々に向けて、「何で恐縮する必要があるんねん!」と呼びかけているのだ。東野幸治はコンビ常識化体制と絡み合いなから、かつ「何で恐縮する必要があるんねん!」と人々に呼びかける、独特な社会の平穏化を願う希有な存在である。(実際に平穏化になりうるかどうかは知らない)

そんな協調性に欠ける彼の冷徹な個人主義とは、他者の"恐縮"を利用することへの拒否でもあるのだ。その"恐縮"の利用を退治しようとはしないが、味方にもならないために、徹底したマイペースに向かうのである。彼の素人いびり、若手芸人いびりは、自身の支持基盤をひけらかす他者の"恐縮"への利用ではない。「何で恐縮する必要があるんねん!」のもと、「もっと俺に絡んでや!」である。決して人の恐縮を積極的に救済しようとはしないが、人々が恐縮しない明るい社会を願っている徹底した個人主義の彼である。コンビ常識化世代は紳士の気取りを茶かして自身の体制維持に利用してきたが、東野幸治の場合は、実は自身が紳士なのである。中には彼の言動に失礼による突撃性が伺えるため、彼の紳士性に疑問を感じるかも知れないが、それは「何で恐縮する必要があるんねん!」の理想社会観のためであって、もし紳士性がないとするならば、今頃すでに大御所芸人らに潰されいただろう。

たとえば、藤井隆とのコンビによる「あらびき団」は面白い。失礼意識に非常に長けた藤井隆のフォローを頼りに、まるでコンビ常識化の騒ぎ立て役に徹する東野幸治のようであるが、しかし東野は「これは芸だから」的な当て付けや恐縮勢力の存在を前提とした余裕の計画性はない。石橋、浜田、太田と比べれば、東野に紳士性が潜んでいそうなことが察せられるだろう。むしろコンビ常識化世代の騒ぎ立て役への憧れは、くりーむしちゅーの有田哲平の方に感じとられる。ただ彼の場合は、相方の長渕剛ファンの上田晋也から、コンビ常識化体制へのフォローがなされないため、ネプチューンの堀内健と同じ立ち位置とならざる負えない。

さて東野幸治の逸話には、スタジオ内が感動な包まれている中、スタジオの片隅でご飯を口に掻き入れており、鶴瓶師匠の制止にも拘わらず、「そんなこと、どうでもええんじゃ~」と叫んだそうだ。やはりそこには好奇心のやり場がなく、「隣の晩ごはん」が気になっていた彼なのかも知れない。

しかし彼が中村主水について、どう思っているかが、非常に気になる……


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  1. 2010/05/16(日) 20:38:12|
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