思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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毒舌琵琶法師 有吉弘行

再ブレイクの二発屋の異名を持つ有吉弘行。奇才なるナンシー関が注目していた奇才なる彼である。
有吉弘行の顔を見ていると、私には何だか、ナンシー関と同郷の棟方志功の版画が思い浮かんでくる。ナンシーは特別に棟方の影響はないとしているが、何か"俗世間を覗く視線"として、有吉と棟方の版画の視線が重なって見える私である。

有吉は自身の目の奥が死んでいるのを見抜いたのは、ナンシー関と東野幸治としている。明るく楽しく振る舞うことが求められる俗世間にたいして、有吉は冷ややかな視線を持っているのだろう。お笑いに重き価値を置く二人からすれば、その俗世間の諸行無常を冷淡に見つめる有吉の目の奥が死んでいるのである。

ともかく有吉は、自身の目の奥を見てくれる人がいるということ自体が、嬉しく喜ばしい人生の一大事となった。諸行無常の俗世間では決して見られることのない自身の目の奥と思い、俗世間で求められる需要にたいする道具的な供給物としての自分で、その俗世間の需要意識への軽蔑に満たされた有吉であったのであり、そんな思い中、自身の目の奥を見る人間の存在が堪らなかったのだろう。

有吉の視線は、この世を諸行無常の俗世間と見る視線であるため、棟方版画のように見えるのであり、お笑いに価値を置く世界からは彼の目の奥は死んでいるように見えるのだと結論づけられる。ナンシー関が棟方志功の直接的影響を認めなかったのは、彼女が俗世間を刻んだのにたいして、棟方は俗世間を見つめる視線を刻んだことに起因すると見た。

有吉は自身の目の奥を見破ったナンシー関という人間が何を見ているのかを探求した。この世の惰性に諦念を決めていた彼にとっては新たな喜びであったろう。ぜひ彼には、現在の芸能界に見られる"逃げ切り栄華体制の秘境的計画"の暴露改革と、諸行無常なる平家物語の普及を期待する意味で、彼のことを「毒舌琵琶法師]と呼んでおきたい。


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  1. 2010/05/14(金) 23:42:37|
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