思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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80年代 一世風靡セピア

一世風靡セピアは、84年の「前略、道の上より」によってメジャーになった。当時はさほど気にしていなかったが、今思えば、彼らには他に類を見ない[テレビ・路上]や[時代・伝統]の対立理念があったように感じられる。

80年代は漫才ブームを始めとして、伝統理念からの離反が促進されてきたと私は考えているのだが、一世風靡セピアは、まさに伝統理念と時代変化の狭間の中から、時代追従への疑問を抱いて登場したように思える。wikiによれば「セピア」の由来は、それぞれの色を持った人間の混ざり合わさった色らしいが、私は色褪せていく伝統の意味を認めたい。彼らは代々受け継がれてきた人脈に養われて伝統を受け継いだのではなく、人々の時代変化への追従にたいする疑問から、若き同世代の結束によって伝統理念を解した。また弟子を育て養成するつもりもなく、まさに「一世」の名に相応しかった。

先の70年代のフォークソング世代においては、テレビ出演にたいして商業主義への追従と見るむきがあり、ニューミュージックにも若干その傾向は受け継がれていた。勿論、一世風靡にもその意識は残されていただろう。しかし彼らの場合は、"テレビ出演への行動"と"出演態度"といった区別が明確にされていた。頑なに出演を拒むのは単なる商業主義への不服を表す格好づけになってしまうし、世に自らの理念を広める機会をわざわざ見逃すことにもなる。要はテレビ商業主義的な理念への追従態度にならないこと、あるいは時代追従への疑問投げかけにあったのだろう。

テレビ商業主義については、同時に、時代変化への追従を先頭をきって誘導する象徴に相当する。一世風靡セピアは、[テレビ]にたいして[道の上]を立て、[時代追従]にたいして[伝統的セピア]を立てたようなものである。「前略、道の上より」の歌詞を見れば、まるでテレビスタジオの"スポットライト"にたいして、路上の"お天道様"があらわれ、人々が時代から取り残されぬようメディアの話題に懸命になる中、他の領域の存在を指し示すがごとく、"海には海の世界がある"と示されている。

こうした事情により、テレビ出演の際、要求を忘れなかった一世風靡セピアは当然であったと言える。(ただし、哀川翔は紅白歌合戦の不出場については、お茶目ながらも後悔の念を示しているらしい)また個人主義的傾向が主流となる中で、伝統的なお祭りに見られるような没個性的グループであった点も、時代追従にたいする一つのアンチテーゼのように思えてしまう。

一世風靡セピアは、時代の変わり目に、伝統理念と時代変化の狭間を歩んだグループである。そのメンバー柳葉敏郎は、「踊る大捜査線」にて、伝統理念と新規進出のやりとりを主題としたドリフの長老、いかりや長介と共演された。

ああ何だか、今日見るセピア色の記憶ではなく、あの頃見たセピア色の記憶が、頭から離れない……


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  1. 2010/05/12(水) 06:38:11|
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