思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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能ある振りして ない爪隠す

【能ある振りして ない爪隠す】。
確か昔、一部の間だけだったのかも知れないが、ささやかれていた文句だったと思う。しかし現在、インターネットで【能ある振りして】、【ない爪隠す】などと、色々検索してみても、これといった類のものが上位に引っかかってこないのである。全く私にとっては不思議な出来事に思えた。それは、意外と今の若者世代が、先輩方にたいしてやさしいのだと思いたくなる現象に相当する。

「能ある振りして、ない爪隠す」とは、80年代以降からの漫才ブームの風潮にのった結果としてあらわれたであろう理念を基調としている。「能ある鷹は、爪を隠す」という、"能ある者は、それをひけらかさない"とか、"能ある者は実際の資質を隠している可能性があるから、用心した方がよい"といった意味の伝統理念は次第に役に立たなくなってゆき、"隠していることを人々に暗示させることの効果"が顕著になり出したことに由来する。そして"能があるのか、それともないのか"といった問題は全くどうでも事柄となり、"隠していることの表出"が重要な能力となり、その表出の効果を利用する状況づくりが勝負処となったことを示している。

それは喩えること、「なんちゃって効果」みたいなもので、自らが本気ではないことを相手に示し、自らのペースを優位にさせるものである。言葉の効果を仮面を通して見るのと同時に、その仮面の裏側に隠している事柄をそっと何気なく見せ、その表出自体の効果を覗き見るのである。[能]とは【個人素質に潜む事柄】などではなく、それは能ある"振り"をしたり、ない爪を隠している状況を"表出"したりする、【他者との言葉のやりとりの結果によって生じる効果】で判断されることになったと言えよう。[能]についての考え方の時代的変化が、「能ある振りして、ない爪隠す」のことわざに象徴されているのであって、全般的な人物評価の時代的変化をあらわしたものでもある。

つまり、インターネットで【能ある振りして、ない爪隠す】が上位検索されないことは、日本文化の歴史的変化を知らずして、単なる社会学的、心理学的な意見の闘争となり、その主導権争いが勝負処となったゲーム社会であることを意味している。さらには、優れたボケ役に下される人物評価としての【能ある者は、馬鹿の振りができる】に集中してしまった結果かも知れない。ビートたけし、タモリなど、80年代から台頭した芸人らはその初期開拓世代であるが、その初期開拓者たちも今日では落ち着いた年齢に達し、社会学的、心理学的など、様々な見識に優れているだろう先輩格と認められている。

その後に登場してきた芸人たちも今ではかなり司会業への進出を始めているが、他のあらゆる分野で、その「能ある振りして、ない爪隠す」に基づいた効果の様相が継承されている現代日本だと思う。いずれは彼らに監視やしがらみ付けがなされることがなかった日本文化の歴史経緯と理解される時が来るでだろう。ただし彼らからすれば、監視やしがらみ付けがなければ、ある意味において一人相撲となる可能性があったため、あからさまな時流維持に加担したのも致し方なかったと、評価しなければならない。


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  1. 2010/05/11(火) 05:27:35|
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