思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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カントからマルクス主義

カントからのドイツ哲学界の状況を紐解くにあたって、一つの観点に注意してみることを勧めたい。それは【名付けるもの】と【名付けられるもの】の状況、あるいは【解釈するもの】と【解釈されるもの】の状況を思い描くことである。カントまでのイギリスやフランスの思想状況とは、ただ"解釈するもの"の立場に立ち、真理への追求に懸命だったと喩えられる。例えば物理学や化学で解釈される対象の場合は、別に人間の側が何と言おうと何とも思わないだろうが、人間や社会について解釈がなされると、その解釈されるものの立場からの反発が起こるようになる。理性計画的な啓蒙主義にたいする対抗的衝動として疾風怒濤のロマン主義が生じたドイツの状況と考え合わせれば、フランス啓蒙主義の理性の使い方を批判吟味し始めたのがドイツ思想なのである。

さてイギリスのヒュームは、"解釈されるもの自体"について、それを"解釈する側の認識能力"では認識仕切れない状況を考察し、懐疑論を示していた。それは解釈される側の立場における不満や不服などは全く問題とはされず、解釈する者同士で確認し合う不可知論である。しかしカント以降のドイツ思想は、彼ら哲学者自身が意図していたかどうかは全く別問題として、偏見に満たされたそうした解釈を受ける側に立って、解釈する側の理性ついての批判的吟味がなされたと考えておくのがよい。カント自らが、「コペルニクス的転回」と言ったのは、単なる自惚れや誇張ではなかった。「理性」についての吟味がなし得たのは、解釈される側からの解釈する側についての理性論であり、逆に言えば、理性にたいする「感性」の役割を示したい意図を潜めたものであった。ただ個人内の理性論と考えてしまうと、当時のドイツ哲学界における共有理念を見失ってしまうだろう。当時の合理主義的思想の理性の使い方を問題とした理性論なのである。
すでにドイツでは、ライプニッツがモナド論を記していたが、それは個々人の集合体である社会として解釈した一図式を提示したものである。モナド論とは、それぞれが"解釈する単体"であり、かつそれぞれの単体から"解釈される単体"でもある。それぞれの単体は自らの解釈を表出し、またその表出を影響を受ける単体なのである。
恐らくカントは自らは意識していなかったろうが、ライプニッツのモナド論的図式を通して、現実社会の様々な解釈をする人々の状況を思い描いていたのであろう。イギリスではロックが、意見の多様性を踏まえた寛容による議論を説いていたが、カントは解釈をするにあたって、誰もが認めうる理性使用の前提を求めて「純粋理性批判」を著した。デカルトは「我思うゆえに我あり」を誰もが認めうる前提としたところまではよかったが、それ以降は独走的な合理主義的演繹に向かった。カントはデカルトの始めの動機を引き継ぎ、イギリスの不可知論を合わせるに至った。現行の一般的に認められている様々の偏見的な解釈にたいしては、単なる実証的な反証の提示による改革のみに限らず、解釈者の理性の使い方自体を吟味批判する領域を切り開いたのである。我々は"もの自体"を認識できないモナドであり、各モナドが理論づけの手がかりとしている"現象"からは、やがて先天的認識とか後天的認識へと混み入った話へと進んでいくのである。

現代の我々の日常的意識においてカントからヘーゲルまでのドイツ思想を読むと、一体何を言いたいのかよくわからなくなることがあるが、それは単に内省に徹した自己意識の産物であったことが原因ではなく、社会とは"解釈する"モナドの集まりであること、同時に"解釈される"モナドでもあることの社会的状況について、潜在的にも思い描きながら進められていた当時のドイツ思想界なのである。実際、現代の我々がドイツ思想を振り返る場合には、かなり時代的ドイツ特有の共有理念が前提されているため難解であろう。どこまでが今後の我々にとっても踏襲しうる前提基準なのか、どこまでが当時のドイツ思想に限られた特殊な前提だったかを見極めなければ理解が深めるのが困難なものである。

理論的理性と実践的理性

まずカントに始まりフィヒテ、シェリングの考えには、"理論的理性"と"実践的理性"という対立図式、あるいは分類的前提が色濃く残されている。(ライプニッツにはカントほどの強い理論的理性と実践的理性の区別は認められない)私の支持する知識社会学の知識論的立場からすれば、その対立前提は当時のドイツ思想界にかなり限定されたものにすぎず、ある面において"知識所持の現実"を度外視した理論と見なされる。そこでは、活動しようとする際に働くと思われる道徳などの理念を実践的理性の名の下で考察したりする訳だが、それは"理性を持った人間"が行っている社会的表出をしている現実からではなく、哲学的な"理性を持った内部意識"の理論的な前提から、不当にも人間の現実活動についての理論化に向かっている。道徳理性を持った人々が行う活動については社会的秩序の貢献者と讃えようとするが、実際の彼らが表出している様々の社会的影響を考察しないのだ。道徳理性が働いていない人々は、社会を乱す者、社会の意義を知らない暴れ者として解釈され、結局は社会的秩序のための理想として道徳が必要であり、その道徳理念の獲得方法を考察しているにすぎない。ニーチェが「道徳の系譜」を著したのは、その"実践的理性を所持している人間"を考察しようとしたものである。道徳的人間に解釈される非道徳的人間の立場から、道徳的人間が解釈されることになったのである。道徳は人間を離れて生じたことはなく、その道徳を持っている人間の現実を解釈することになった。
同様に徹底した知識社会学の立場からすれば、実践的理論は徹底的に排除され、現実についての理論構築に集中してゆく。むしろ実践的理論が現れた際には、例えば実践論を説き回るマルクス主義者を観察するのと同様に、その実践的理論が支持されている社会的現実が研究対象とされることとなる。
もしこのような徹底的な現実理解の立場を、マルクスが語ったように「実践をしないただの解釈するだけの哲学者」と見なすならば、その判断には"理性の位置"がわかっていないと言っておきたい。私の理性は現実解釈に徹するように使われるのだが、勿論、私にも何らかの実践が生じる。仮に私が実践をする際に、何らかの実践的理念に基づいて行動したとしよう。私は、当の実践の理念は所持されている現実であるがゆえ、現実解釈の中に含まれてしまうのである。理性内では、あくまでも現実解釈が優位であって、現実になされた実践という出来事は、外部に何らかの影響を与えた現実として位置づけられる。要するに実践理念の優位を主張する場合には、必ずその自らが"理念を抱いている現実"についての背理的盲目が生じるのであり、自らが抱いている実践的理念の社会的影響を見ないようにさせている問題点を残すのである。私は決して全知にいたらない理性を、すべての現実へ集中させようとするのではない。自らの実践的目的を抱いている現実を見ていない理性にたいして現実を示すのであって、理性で捉え切れない実践の現実までを無理に理性へ突きつけている訳ではない。

啓蒙主義と歴史主義

ヘーゲルになると、道徳は退けられ人倫なる概念を示した。それは倫理性を道徳から家族、市民社会、国家の理法へ移されたようなものであり、歴史的な人々が抱いてきた知識や理念に弁証法的な過程を見たことによる。ドイツではもともと、フランス的啓蒙主義の狭義な設定的「自由」に対抗していた訳であったが、「道徳」もドイツ的な狭義な設定的啓蒙主義だったとしてヘーゲルによって退けられたのである。
歴史主義とは現在にいたるまでの知識や理念を所持した人々(モナド)の歴史的過程と見たが、一方の啓蒙主義は歴史に欠陥を求め、それを克服するための理想理念を作り、ただ自らの抱く合理的と称する人間観や社会観を通して過去の歴史を性格論的に解釈したにすぎない。ヘーゲルは知識所持の社会学には至らなかったが、知識歴史学の概要として、その新たな知識変換においてなされてきたであろう認識論的な一側面としての弁証法を示した。
しかし道徳理念から離れたヘーゲルであったが、歴史的弁証法による止揚の概念で主観的精神、客観的精神、絶対的精神という歴史的な精神の発展論を説いている。シュトラスやフォイエルバッハとなると、人々が抱いている宗教的理念について、それを"知識所持の現実"として社会心理学的な考察の一端をを見せ始め、ヘーゲルの狭義な弁証法的発展論にたいして、より包括的な様々な人々の知識所持の現実を研究対象に取り入れ始めている。ヘーゲルの歴史的な精神発展論(弁証法的理念の発展)は、その中で自らの理念形成を試みるための思索ならば、かなり面白いが、マルクス共産主義の歴史的必然性の帰結のような用いられ方をされると、もはや"法則"についての盲目である。それはライプニッツのようなモナドの集まりに沿う"法則"ではなく、せいぜい予定調和なり目的因を実践的な理論に仕上げて、その理論化されたものを各モナドに刷り込む前提の下で可能となる"法則"である。ヘーゲルの歴史的な精神発展論には、実は"法則"は描かれてはいない。ただ概要、案内図を張り出した程度である。

以上のとおり道徳理念という実践的理性は、ヘーゲルやニーチェなどによって啓蒙主義的な理想理念、つまり目的に釘付けされた理性にすぎないことが明らかにされ、"歴史過程"や"理念を抱いている現実"を見ていない点で追い出された。変わって実践理念の領域に入り込んできたのが、マルクス主義的な変革実践のための理論である。空想的社会主義と呼ばれたものにたいして、効果ある社会的実践として登場したのである。言わば理想主義にたいする現実主義を自称する実践である。

現代社会に目を移してみても、"理論"と"実践"の対立は強く感じる理念に相当しよう。しかしそれはカントに代表される18世紀後半のドイツ思想の対立とは大分違っており、もはや実践に道徳の意味がほとんどない点で、ヘーゲルやニーチェ以降の状況を引き継いでいる。理論構築の領域についても、現実描写の認識問題ではなく実践的効果があるかないかの問題へつなげられる現実主義の傾向が主流であり、マルクスが言った「哲学者は理論づけたが、実践がなされていない」の意味を受け継いでいる。

一体こうした意識変化は何を意味するのか?それは現実理解の領域の排除である。カントの著した「純粋理性批判」と「実践理性批判」、現実理解の領域に相当するのは前者の側のみである。つまり現実理解と実践は区別されていたのだ。そしてヘーゲルによって、おおよそ実践理性の領域から道徳が追い出され、弁証法的歴史発展による現実理解が入り込んだ訳だが、マルクス主義的共産思想が「純粋理性批判」を踏まえることなく、実践理性に安易な現実理解を結び付けてしまったのである。プラグマティズムもその典型に属する。しかしプラグマティズムはそれを自称していたが、今日では現実的対応と解されるものになり、実践と現実理解の境界線を取り払ってしまっている。それは性格論的な写実的実証主義の優位を意味し、それを暴くのは知識論的な知識社会学の仕事である。

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  1. 2010/04/15(木) 23:59:55|
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