思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』1922




1922年、イギリス人類学においてラドクリフ=ブラウン(1881-1955)の『アンダマン島人』とマリノフスキー(1884-1942)の『西太平洋の遠洋航海者』が発表されました。そしてラドクリフ=ブラウンの方は自らの学問を「社会人類学 Social Anthropology」と名付け、マリノフスキーの方は「文化人類学 Cultual Anthropology」としたようです。

そうした社会人類学と文化人類学の違いについては、人類学を進める西欧文化と調査される現地文化における、知識(世界観など)の相対性に関する考慮の度合が感じられます。社会人類学の場合は心理学にたいする社会学の主張だったり、あるいは西欧で発展した社会学的思考で未開社会を解釈しようとする雰囲気にありますが、文化人類学の場合は社会学的思考も一つの西欧文化の産物と考えながら未開文化を解釈しようとする相対性の自覚が感じられます。

実際、マリノフスキーは原住民の物の見方や世界観を重視するよう説き、一方で西欧自身の世界の見方を豊かにし、深化させながら、我々自身の性質の理解を洗練させていくこと(『西太平洋の遠洋航海者』第二十章)を目標として記しています。

マンハイムの知識社会学で言うならば、個々の見方の違い(西欧と未開の部分的な見方の違い)よりも全体的な世界観の違いに注意し(部分的イデオロギー概念よりも全体的イデオロギー概念へ)、ただ未開文化の世界観を解釈するに留まらずに西欧文化自身の世界観についても再解釈が求められる(特殊的把握よりも普遍的把握へ)わけです。(マンハイム『イデオロギーとユートピア』Ⅰ章・2~6節を参照)

ラドクリフ=ブラウンが本国イギリス出身なのにたいして、マリノフスキーはポーランド出身(コペルニクスと同じクラカウ)、ドイツの統覚論(全体的イデオロギー概念に近い?)や民族心理学(文化論的観点?)のヴントの影響を受けてからイギリスへ渡り、LSE大学院で学んでからはケンブリッジ大学のトレス海峡調査を契機に人類学に参入したハドン(1855-1940)、リヴァーズ(1864-1922)、セリグマン(1873-1940)らの研究を受け継ぐことになったようです。(ハンガリー出身のマンハイムもドイツ語圏の学問を拠点とした)


なおアメリカにおいても知識(世界観)の相対性に注目したボアズ(1858-1942)の人類学やサピア(1884-1939)の言語学も現れており、彼らの学派からは日本論『菊と刀』1946 で知られるベネディクト(1887-1948)や『三つの未開社会における性と気質』1935 によって生物学的説明にたいする文化論的説明の必要性を示したマーガレット・ミード(1901-1978)ら女性人類学者を輩出しました。



以上、世界観の相対性にたいする注目度から判断して、ニュートン的な社会人類学とアインシュタイン的な文化人類学という命名だったと考えておきます。



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  1. 2015/05/28(木) 00:00:00|
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