思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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『社会学の再生を求めて』1970 ~フランス革命以降の社会学史~




グールドナー『社会学の再生を求めて』1970 の第Ⅰ部・第三、四章の社会学の歴史について。

まず第三章では功利主義について述べられていますが、それは学術的領域の功利主義理論に注目したのではなく中産階級に普及したところの功利主義の風潮についてであり、同書の記述に加えてフランスのケネー(『経済表』1756)やチュルゴー(『富の形成と分配』1774)の重農主義、イギリスのアダム・スミス(『国富論』1776)の自由経済主義も並行して考えておいてもよさそうな感じがします。と言うのも伝統となっていた封建体制(重商主義に至る)にたいして新たに中産階級に広がった功利主義と考えるならば、まさに重商主義な規制にたいして新たに広がった重農主義や自由経済主義にも、功利主義と同じではないにせよ、似たような並行的時代変化の雰囲気が認められると思われるからである。

さて当のグールドナーは、早々とフランス革命の前兆となったシェイエース『第三身分とは何か』1789 の話から、新たな中産階級の台頭と功利主義の親密性を旧封建体制の特権階級と対比させて述べています。そもそもイギリスのベンサムの『道徳および立法の諸原理』1789 とフランス革命は同じ年でありました(ちなみにミルの『功利主義』は1863年)から、問題は学術的領域の功利主義理論ではなく、すでに中産階級に広がりつつあった功利主義的な傾向(封建的特権にたいする)だったのも理解できます。

要するにグールドナーの見解にとっての功利主義とは、新たな有用性を示すことによって伝統的な特権に対抗して来た一手段に見えていたというわけだ。

しかし一方で当時1960年代の流行りであったサイケデリック文化のような半ば伝統化した功利主義自体にたいする動きにも注目しており、グールドナーは十九世紀のロマン主義にも同様の反功利主義の傾向を見ていました。ただ初期ロマン主義は興隆しつつあった産業社会にたいする拒絶反応であったのに比べ、1960年代のサイケデリックなロマン主義は大衆消費社会と共に恒常化した産業社会にたいする拒絶反応であったという違いに留意しています。

そして第四章からはフランス革命以降に興隆した功利主義を考慮しながら、第一期の社会学的実証主義、第二期のマルクス主義、第三期の古典的社会学(ウェーバー、デュルケーム、パーソンズ)、第四期のパーソンズ派構造機能主義として社会学史が進められています。

第一期についてはフランスの王政復古(1814)を機に普及した実証主義と考えられていますが、実際コントの『社会再組織に必要な科学的作業のプラン』1822 を見れば国王の理論(神学的段階)と人民の理論(形而上学的段階)にたいして実証的理論の必要性が説かれており、国王の理論に対抗したフランス革命(1789)に人民の理論が屈した王政復古(1814)から派閥闘争を終わらせる第三の道として実証主義の共有化を提言したコントのようです。

次の第二期マルクス主義については、ヘーゲルや青年ヘーゲル左派の問題よりも功利主義との関係に重きをおかれています。そしてロマン主義に反功利主義的な傾向を認めるとするならば、台頭しつつあった功利的な中産階級にたいする一つの反動であった、そんな十九世紀初頭のドイツ・ロマン主義であり、たとえマルクス自身がマルクス以前のロマン主義を軽蔑していたとしても、ただ単に右派的ロマン主義に限らずして左派的ロマン主義の土壌も有していたと考えられています。

そして第三期ではフランスのデュルケームとドイツのウェーバーの話になるわけですが、すでに十九世紀前半には例えばフランス実証主義(サン・シモン、コント)とドイツ青年ヘーゲル左派(シュトラウス、フォイエルバッハ、B.バウアー、シュティルナー)のように地域的な違いも現れていました。デュルケームが進化論的考え方にたいして比較研究を行ったり、功利主義の修正主義的な拡大を始めたのにたいして、一方の中産階級文化(新興功利主義の傾向)にたいする因襲的軽蔑とロマン主義という流れが大きかったドイツにおけるウェーバーは機能主義を退けたと見ています。

そして第一次大戦後になりますとラドクリフ・ブラウンとマリノフスキーによってイギリスの機能的人類学(1922)が注目されて行くことになりました。おそらく機能的社会学ではなく機能的人類学であったのも、クロムウェル一代の様子を見て王政復古(1660)し、フランス革命の急進性を問題としたバークの保守思想(「改革は敵だ」ではなく「持続の有益性を考慮して改革せよ」である)が働き、かつ早期に二大政党制を確立したイギリスの文化状況に一因があったからだろう。合理的に説明できない持続の有用性について一応は認めて合っていた文化圏であったから、わざわざ新たに機能的社会学によって確認し合おうとする新興努力の必要性もなく、またフランスでは王政復古にたいする中産階級台頭に基づいた科学であったのにたいして、イギリスでは国を牽引しうる新興産業(先行産業革命)に集中して向けられた科学だった感じもしないではありません。

第一次大戦までは帝国的進出とともに進められていただろう進化論的人類学も、第一次大戦によって現地文化にたいする配慮と共に機能的人類学へと転じる契機になった感じである。またマリノフスキーの土着制度擁護には、バーク的な当のイギリス貴族制度にたいする擁護の意味合いも暗に有していたとグールドナーは見ていたようです。

そして第四期のパーソンズになりますと急に西欧からアメリカへと舞台が移されますが、ここでは特に問題としないこととします。


総じてグールドナーの社会学史には、功利性の形態が全域に広がっています。ベンサムやミルのようなイギリス功利主義も全域(地理的にも歴史的にも)に広がっていた功利理念の中で特別に功利領域を限定しながら理論的に強調された一形態に過ぎず、フランス革命の動因にも功利理念の働きを見て、それぞれ実証主義(新たな科学的知識の効用)や機能主義(社会的制度の効用)に一種の功利主義を見ていた感じです。(もちろんマルクスにも効用理念を見ていました)



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