思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

ターナー『儀礼の過程』1969 ~中心化の社会的相対性~




1968年はフランスの五月革命、アメリカのコロンビア大学や日本の東京大学などの紛争闘争がありました。一般的に大学側や権限側は、自らを中央集権的な「中心」と考えて他を「周辺」としますが、そんな非公開のまま粛々と物事な進められている中央体制にたいしては、新たに学生側が自らを「中心」と考えながら時代から外れた「周辺」と見なしていた感じもしないではありません。

そうした中心・周辺の反転的意味による集団形成につきましては、たとえば今年のはじめに話題になったISISにしましても似た感じにありますし、今年で二十年目となった地下鉄サリンのオウム真理教についても同様です。

そんな状況についての解釈図式としては、ターナー(1920-1983)の『儀礼の過程』1969 が参考になる感じであります。コミュニタスを部分的に応用するならば、伝統化した中心・周辺の理念にたいして反転された中心・周辺の理念(象徴的反転)による結束(グループ結束を確認する昇進儀礼?)みたいなものでしょう。

中心・周辺の理念図式につきましては、シルズ(1910-1995)『中心と周縁』1961、プレビッシュ(1901-1986)『開発のための新しい貿易政策をもとめて』1964、アミン(1920-)『世界的規模での蓄積』1970、ウォーラーステイン(1930-)『近代世界システム』1974、日本では山口昌男(1931-2013)『文化と両義性』1975 などで大きく取り扱われているようです。



時としては双方が共に自らを「中心」と見なし、他方を「周辺」とみなして争うこともありますが、それは自文化中心主義(1906 サムナー)同士の争いであり、また双方の「中心」主張によってダブルバインド(1956 ベイトソン)の状態に置かれる立場が派生する場合もありましょう。

そんな状況にたいしては、時に「脱中心化 decentralization」という安上がりの提案や出しゃばりな治療役によって、中心化の社会的分布やその相対性に関する現実理解が阻害されている場合さえ生じたりします。



.
スポンサーサイト
  1. 2015/04/12(日) 00:00:00|
  2. 世界史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<ゴーギャン(1897) ~何処から来て、何処へ行く~ | ホーム | ブルデュー『ディスタンクション』1979 ~悪意なき欺瞞~>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://gold1513.blog48.fc2.com/tb.php/545-8c9bdc30
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。