思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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分散化された陳列型学問の問題 ~社会理論の総合化~




今や社会理論と一口に言っても、様々な切り口があり、細分化されている感じである。そこで1950年から1974年までのアメリカやフランスを中心とした社会理論の流れを一望しておきました。



1950・リースマンとライベンシュタイン

1957・ウイットフォーゲルとミュルダール

1960・ロストウとベル

1962・マクルーハンとブーアスティン

1963・H.S.ベッカーとゴッフマン

1969・ドラッカーとトゥレーヌ

1970・ボードリヤールとトフラー

1974・ウォーラーステイン


まず最後にウォーラーステインを持ってきたのも、先進国と後進国の相互関係を踏まえていることもあって、地理的な全体像の基準として据えておきたいという考えからである。

もちろん部分的な事例から一般的原理が引き出されている場合であっても、全体に広がっている一般的原理としての有用性を含んではいます。しかしそうした一般的原理の全体的浸透にたいしては、それぞれ異なった各部分領域における形態の相違も付随して気になって来るところであり、かつそうした多様の分布に関する全体的結果までも示唆する必要がありましょう。

つまりウォーラーステインを全体像の基準とすることによって、他の特殊事例の理解や一般的原理の示唆にある社会理論の盲点確認の指針とし、より多様状況の全体像へ近づけられるようするためであります。(逆に詳細な特殊事例や一般的原理によって、ウォーラーステインの穴埋めも行える)

ウォーラーステインの地理的全体像に近かったのはウイットフォーゲルとミュルダール(1957)あたりで、一方の一般的原理を目指したのはメディア論のマクルーハンとブーアスティン(1962)、相互作用論のベッカーとゴッフマン(1963)、消費論のライベンシュタイン(1950)とボードリヤール(1970)などであろう。

当たり前の話ですが、後から書かれたものは先に書かれたものを参照しうる立場にあるのにたいして、先に書かれたものは後から書かれたものを参照しうる立場にはありません。1960年のものは1960年以前のものを参照して仕上がり、1970年のものは新たに1960年から1970年までのものと出来事を確認してから仕上がる。後からの立場としては、従来の領域における改革や詳細化あるいは新たな切り口の提言になろうが、社会学史の中で注目されやすいものは大概新たな切り口を特徴とし、そんな中で一応の総合化に至ったウォーラーステインの近代世界システム論と考えておきたい。

またウォーラーステインを全体像の基準に据えたのも、ベトナム戦争(1965-1973)を終え、変動相場制(1973)やオイルショック(1973)、それに先進資本主義(米・英・仏・西独・伊・日)によるサミット(1975)が始められた時期も考え合わせた判断です。

その後の展開としては、『ケインズか?ハイエクか?』とも言い換えれる経済学上のガルブレイス(1908-2006)とフリードマン(1912-2006)の対立から、米英日の保守派による自由主義経済(レーガン・サッチャー・中曽根)の1980年代へ向かうこととなりました。



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  1. 2015/04/08(水) 21:00:00|
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