思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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二刀流ルネサンス思考(2) ~イスラム文化圏の原理主義~




さて最近はイスラム国の過激化が少々話題になっていましたが、実は十一世紀頃まではイスラム文化圏の方が西欧よりも色々と先行していた面(古典ギリシャ哲学・アラビア数字・代数・化学・天文学など)があったようです。

では何故に、今日では欧米もしくは西欧の方が先行した状態になりえたのでしょうか?

一つには、西欧では普遍論争(realism と nominalism)が生じ、やがて演繹法と帰納法に区別したF.ベーコンによって実験科学が確立されたことなどが挙げられます。あの決着のつかない曖昧な実在論と唯名論の対立は単なる知的遊戯だったわけではなくして、実は大陸合理論とイギリス経験論の対立にも受け継がれたり、強いては実在と知識の関係(特にアインシュタインにも影響を与えたカントが代表格)を随時考え続けさせる雰囲気を西欧全体に残したと言えます。

二つ目には宗教改革から派生した歴史主義でありまして、それは原理主義と経過吟味の方法を新たに融合させた感じにあります。つまり今日まで度々繰り返されて来ている原理主義的なイスラム過激政治活動の場合は、西欧のような歴史主義的な歴史吟味の方法が広まらなかったから今もって生じるのである。

確かにドイツでも歴史主義を利用したナチス体制なんかが現れてしまいましたが、しかしそれが歴史主義のすべてはありません。(歴史主義とナチスの同一視は、質悪な一部の歴史主義の欠点から、気に入らない歴史主義全体を非難することと等しい)

おおよそ過激なイスラム原理主義が時代の格差に取り残された人々の中から過去の原理を復興させようと集団活動に集うという特徴を有したものと考えておきますと、それは決してイスラム教全体が過激な原理主義であるわけではないことも当然なのでありますが、一方で西欧のような歴史主義がなかったために放置される全体的な格差によって、一部の過激原理主義の集団を生む構造が維持されていると言わざるを得ません。

そうしますと、イスラム文化圏では新たに現在に至った経過を吟味する西欧の歴史学派のような学的拠点を設ける必要(一種の宗教改革になるよう)があり、また過激原理主義への対話の準備を整えた上で、それに応じなかったことを条件に制裁を発令するよう心掛ける必要もありましょう。

もともと九世紀頃からのイスラム文化圏では西欧よりも先行して周辺文化(ギリシャやインドなど)の収集研究を行っていましたが、十六世紀頃からの西欧の天文学や化学の収集には追いついて行っていません。おそらくはイスラム教とカトリック教という宗教上のちがいもあって学的交流も差し控えられていたのかも知れませんが、そのため今日に及ぶ西欧先行型の国際社会の中で過激イスラム原理主義が度々生じることになっている感じがします。


古くは現在スペインの地にあるコルドバは後ウマイヤ朝(756-1031)の首都であったようでして、カスティリア軍による占領(1236)までの間にはイブン・ハズム(994-1064)、アヴェロエス(1126-1198)、マイモニデス(1135-1204)などが輩出されたようです。しかしキリスト教領域になってからは哲学や神学の拠点(コルドバ周辺に限らずスペイン全体を見ても)として受け継がれたとは言えず、イギリス、フランス、ドイツなどの近代哲学にたいしても立ち遅れていた感じです。(特にアヴェロエスのイスラム教と結びついた哲学は、イタリアのトマス・アクィナスによるキリスト神学と哲学の融合によって、西欧における役目を終えた形でしょう)

西欧ではキリスト教にたいするルネサンス(古典ルネサンス思考)が推進されたと同時に、キリスト教内の宗教改革からも歴史考察の方法(原理ルネサンス思考)が進められた点で、宗教の社会学や歴史学の拠点を確保したのである。
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  1. 2014/10/05(日) 14:27:50|
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