思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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不規則変化動詞に規則あり ~後からの文法知識と言語~




さて今回はタミル語到来説から少し距離を置いて話を進めます。

まず日本語の動詞活用には不規則変化活用と呼ばれるものがあります。現代の日本語と言えば、カ変やサ変動詞であります。

ところが何故に『不規則変化』と呼ばれるかと言いますと、それは "後からの文法知識" によって『規則変化』が生じたために、その "後からの文法知識" を基準によって定められたものであります。

しかしよく考えてみますと、不規則変化と呼ばれる活用は "後からの文法知識" によって定められた規則活用に合わせると違和感が生じるがゆえに、不規則な活用をするのであります。つまり不規則変化には "後からの文法知識" で理解できない無意識な規則に合致しながら活用していると言えます。


そこで古語に限ったラ変(あり・居り・侍り・いまそがり)とナ変(死ぬ・往ぬ)の活用を見てみましょう。

ラ変『あり』は終止形が『ある』になれば四段活用と同じなるのに、終止形を『あり』にしておきたかったのです。逆に言えば、終止形が『ある』では違和感があった時代なのだ。おそらく否定の形容詞『なし』と並べてイ段終止にしたかったのかも知れませんし、あるいは『あるなし』は動作を表すわけではないと考えてウ段終止に違和感を感じていたのでしょう。

ナ変『死ぬ』については連用形『死ぬる』と已然形『死ぬれ』にラ行が添えられている点で不規則であり、連用形『死ぬ』と已然形『死ね』のようにラ行を除けば四段活用と等しくなります。それは『死ぬ時』とか『死ねば』という表現にぶっきらぼうの雰囲気を感じたために、『死ぬる時』とか『死ぬれば』のように、安らかに流れながら死へ移行するラ行を添えたのでしょう。それならば終止形自体を『死ぬる』にしておけばよかったようにも思えますが、そうしますと『死ぬらない』とか『死ぬらず』と回りくどい感じが出てきてしまうので、微妙なところで使い分けられたのでしょう。(名詞化では『死に』より『死』の方が用いられる点が特異であり、名詞『死』から動詞化された特殊性を示しているのかも知れない)

以上の古語に限った二つの不規則変化動詞からしますと、不規則は単に音韻関係から生じるのではなく、人生観や世界観などを通して感じる音韻イメージによって生じたものと察せられましょう。


さて次に現代まで残されたカ変とサ変についてですが、これは少々面倒です。しかしそこには日本語体系の微妙な規則が見え隠れしている感じです。

まずは古語の終止形から見ますとカ変が『く』でサ変が『す』であるのに比べて、現代の終止形ではカ変の『くる』とサ変の『する』に変化しています。サ変『す』については『成す』『戻す』『寄す』などによってさほど『-る』がなくとも違和感がない(活用類似ではなく、『成る』『戻る』『寄る』との対比による動作イメージの類似)でしょうが、カ変『来(く)』については馴染みのある対応語が極めて希薄でして、何故はじめから『来る』としておかなかったのか少々不思議に思えるくらいです。

では古語においてカ変活用が何に近かったかと言いますと未然形と命令形のみが異なっていた上二段活用でありまして、サ変については連用形のみが異なっていた下二段活用だったと言えます。(ちなみに現在の埼玉や群馬の方言に『きない』という表現が認められることからして、極めてカ変は上一段活用に近かったと言えます。)

しかし問題はカ変の連用形『き』が甲類であるのにたいして、上二段の連用形『き』は乙類であることです。カ変『来たり』と上一段『着たり』が甲類なのにたいして、上二段『起きたり』は乙類なのである。それは単に語幹部一字の時には甲類となり、語幹部二字になる時には乙類にでもなると言うのだろうか?(いや四段活用の連用形『き』は甲類である)あるいは唯一の例外であるサ変の連用形『し』が下二段活用の連用形『せ』と同じ形を採らなかったことにも何か理由(無意識な規則)があったはずである。


まさにはじめに断っておいたように、ここが面倒で難解な部分なのだ。特に動詞(終止部ウ段)からの名詞化は、終止部のイ段もしくはエ段(カ変やサ変の場合の名詞化はイ段だから、ここではエ段は除外できる)への移行であるから、全動詞に当てはまる連用形に注目するのが一つの手段となろう。さらに単独一字の連用形は古語の上一段の特徴であり、カ変とサ変にも共通する特徴なのだ。(しかも甲乙の区別があるものは共に甲類である)


最後に話をタミル語に近づけておきますと、 上一段の『見る』、下二段の『見す』と『見ゆ』、四段の『なる』と『なす』などは、三つの動詞語尾【-る・-す・-ゆ】と共に活用体系を跨いで無意識な規則を働かせているように思えるものでありますが、特に大野晋によるタミル語との対応語には『見る』『なる』『なす』が認められますので、仮にタミル語到来が事実であったとしたならば、それは同時に偶発的なタミル語到来によって日本語の言語体系が推し進められたことも意味することになります。
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  1. 2014/07/05(土) 12:01:59|
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