思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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造語体系の形成期 ~起源論的思考の盲点~




文字を記すようになってから現在にいたるまでの日本語体系の歴史を眺めますと、確かに幾らかの時代的変化がなされて来たように思われます。しかし持続保存して来た側面と変化を起こした側面に分けて見ますと、すでに奈良時代の頃から現在まで引き継がれながら固定されて来たであろう日本語体系の部分が想定できます。

では奈良時代に確立されていた部分の日本語体系は、どこから来たのでしょうか?

たとえば世界史的な観点からしますと、アルタイ語やらオーストロネシア語などの影響と考えられるかも知れませんが、そうしますとアルタイ語やオーストロネシア語がどこから来たという点にも疑問が生じてきます。つまり過去からさらなる過去へと局所的な起源を求めようとする方向性では、内実の解明にあたって必ず限界が生じるのであります。

逆に日本語体系の中でも変化して来た部分があったことを考えますと、ある時点(たとえば奈良時代)において確立されていた部分についても、実は過去へ遡って考えてみれば徐々に形成されて来たものではないかと想像できることでしょう。

そこで漠然とした古くて素朴な原始的言語体系の状態から考えますと、まずは素朴な言語体系を参考にしながら新たな言葉(外来語の借用も含む)が作り出されるようになるわけですが、その新たに加わった言葉が使用されることによって今度は何らかの新たな言語体系が作り出されたりもするようになります。そして従来使われていた言葉の中からは変化を被るものもありましょうし、はたまた排除されたりするものも中にはあると考えられます。(たとえば境界線付近において中国語の文法体系の人々と全く交流が断絶していたとは考えにくく、アルタイ系文法体系を選択した言語集団が成立していたのだ)

そんな "言語体系による造語の追加" と "造語言語による言語体系の形成" の繰り返しを『造語体系の進行』と名付けておきますと、19世紀以降のアルタイ語系と呼ばれる言語同士における音韻対応語の希少さが意味するところとは、それぞれの地域に文法体系が行き渡った後に生じたそれぞれの造語体系の進行による差異化が深く関わっており、要するにアルタイ系と名付け得るそれぞれの言語体系は、造語領域を多く残したまま広まった荒い骨格のような文法体系を基準に、それぞれの音韻体系を充実させて行った言語ではなかろうかと理解しておけるかも知れません。



そこでアルタイ・オーストロネシアの混合によって一定の言語体系を形成した日本語と考え、かつタミル語到来を仮定して考察したいと思うのだが、そう考えた場合、タミル語の幾つかを加えたことによって新たな日本語体系が形成された可能性(造語体系の形成期)が浮かび上がるのである。(タミル語からの借用がなされる際には、借用時の言語体系を参考として借用の是非が選択される)

名詞の借用についてはそれほど言語体系を変化させる威力がありませんが、特に基本的動詞の借用となりますと、時として従来の言語体系を変化させる結果に導かれます。たとえば『なる』や『なす』がタミル語語源だったとするならば、それが音韻印象に基づいて加えられたタミル語動詞にもかかわらず、実際それを使用することによって今度は他の語彙の音韻との間に新たな共通イメージが生じ、さらには新たな動詞活用体系への移行を促進させることにもなりうるわけです。

いやはや別にタミル語を介した借用と考える必要はなく、はじめにすべての動詞が一斉に決定づけられたわけではないという点だけで充分なのだが、途中から派生した動詞たちによって徐々に用いられる音韻のイメージのようなものが確立して行き、おそらくは従来用いられていた動詞も徐々に修正されていたと考えられます。そうした造語追加によってなされた音韻イメージ体系の変更形成を独立的に認めながら、タミル語到来説を検討してみる余地があるわけです。

そして北方アルタイ系と南方オーストロネシア系の混在によって形成された動詞の音韻イメージ体系にたいしては、新たに加わったタミル語借用の動詞たち(造語体系に支えられた借用)によって新たな動詞の音韻イメージ体系(新たな造語体系に変化)になったかも知れない可能性についても考えてみる必要が残されているのだ。



簡単まとめておきますと、要するに今までの素朴な日本語起源の探求には、古語文法に至るまでの漸進的な文法体系の形成過程に関して、考え得る想定の吟味が足りないのである。
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  1. 2014/07/05(土) 12:00:01|
  2. 新しい日本人論
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