思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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譲らされた思考

"譲れぬ思考"にたいしては、"譲らされた思考"がある。一個人の中でも"譲れぬ思考"による生活の疲れから余計なことは考えない方がよいと自ら訓練して"譲らされた思考"へ移行することがある。
一般的に"譲れぬ思考"の場合は、他の地位や名誉を問題とせず、平然と周辺他者へ譲る結果となり、何よりも自身の思考パターンを優先させる。反対に"譲らされた思考"は他の事柄を優先させるために思考パターンの方はわざわざ苦しみを受ける必要はないと考え、時代や周辺他者にたいして即時的に効果がある思考パターンとなる。
しかし"譲らされた思考"パターンには自らの思考が譲らされたと自覚されている場合と、特に自覚されずに、それが自然な思考パターンとされている場合とがある。特に自覚されている場合には"譲れぬ思考"の人々に嫌悪を感じることとなる。そして"譲れぬ思考"の人々に嫌みを向けることとなる。両者"譲れぬ思考"と"譲らされた思考"は共に、常識的な会話に見られる思考パターンの影響を受けている。しかし"譲れぬ思考"はその会話に積極的に加わる気はなく、せいぜい適当な冗談や道化で切り抜けようとするが、"譲らされた思考"は自分が望むその会話の中での立場を描く。そもそも思考を譲ったのは、譲りたくない他の優先させたい何かがあったためであり、その譲りたくない優先されるべきものとは、会話の中での立場に求められる傾向にある。その会話の中において"譲れぬ思考"の無用性を感じたために、思考は他に譲らされるのである。さらに突き進む"譲らされた思考"となると、"譲れぬ思考"の無用性を証明することへと向かう。彼は自らが"譲れぬ思考"をどこか他に譲ったという【現実】について思考するのではなく、まだ"譲れぬ思考"でいる者へ、その無用性を思い知らせる【方法】について思考するようになるのだ。
"譲らされた思考"とは、一体何に思考を譲ったかと言えば、自らが抱いている社会についての現世効果や有用性についての知識などに譲ったのである。そのため彼は、その自らが抱いている知識を順次発展変化させるために思考を使わず、その知識に思考を譲り、その知識を守るために思考が用いられることになるのだ。
知識と思考の関係。"譲れぬ思考"は、その知識が誤っているのならばより真実な知識へ譲っても構わない。譲れないのはあくまでも思考である。しかし"譲らされた思考"は、そうはいかない。思考よりも大事な、ある知識に譲ってしまっているため、その知識を守るために思考しなければならない。権威があると思われる知識に出会った際には、それがをどこかへ追いやるか、相手にしないなどの工夫をするために思考を凝らす。
我々自身はどうかと言えば、大なり小なり社会生活への参入にあたって、このような"譲らされた思考"を用いて暮らして行くことになる。心理学者や社会学者は、まずは先頭を切って自らの"譲らされた思考"で守ろうとしている知識を自覚し、"譲れぬ思考"によって新たな心理学や社会学を示すのが仕事だと思う。

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  1. 2010/04/07(水) 18:17:19|
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