思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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『和而不同』『和光同塵』 ~和の理想像と社会認識~



春秋時代(前770-前403)、戦国時代(前403-前221)、秦統一(前221)と経過してきた古代中国史の中、孔子による春秋時代の『和して同ぜず』(和而不同)と老子による戦国時代の『和光同塵』(和其光 同其塵)というよく似た有名な故事がある。

この二つの故事は、『和』という人々の集まりについての理想像が強調されている点でよく似ているが、しかし『和して同ぜず』の場合は『同じて和せず』(同而不和)にたいする反対の意味にあって、君子の『和する』と小人の『同じる』の相違を示していたわけですが、一方の『同塵』の場合は『和其光』の『和らげる』という理想像に加えて『同其塵』の『同じくする』という理想像が並べて追加させています。

こうした孔子と老子の相違点は思った以上に大きいのですが、和することを理想像に掲げることによって社会認識の充実化を阻止し、かつ和を求めようとする理由についてさえも明確に示されない特徴で一致しています。

まさに孔子は君子と小人の区別を設けて人物を評価していますが、君子的態度と小人的態度の人々が混在した社会的結果を述べていませんし、老子の場合となりますと、『知る者は言わず、言う者は知らず』(『老子』第56章)としながらも同じく自らの物言いについても『言う者は知らず』に値するのかが定かにされないまま、まるで質の悪い自己啓発論のマインドコントロール効果のように、自分にたいする反対意見者に限定して『言う者は知らず』を用意したように見えてしまいます。

こうして孔子と老子は人々を互いに相違で比較させるために個人の理想像を説明したような感じであり、異なった人々が混在しているがゆえの社会的多様性の結果については説明していません。つまり人々が互いに評価し合うための指針として『和する』という理想像を示しただけであって、人々が和するようになる目的なり理由については定かではありません。

その点、春秋時代の出来事である『呉越同舟』(『孫子』九地篇)には、和する理由の一つとして、互いに自分の安全を確保しようとする意味が含まれていますし、また漢時代の劉向によって収集された戦国時代の『漁夫の利』や『犬兎の争い』には、和する理由の一つとして不和による第三者の割り込みという危機意識が示唆され始めています。




これは春秋時代の中から特別に三つの呉越魯(青文字)と戦国時代の七つ(赤文字)のおおよその位置を示した図でありまして、だいたいの周時代の宗法の影響を受けた春秋時代の孔子の出身地であった魯の位置、また『呉越同舟』の故事由来となった南東部の呉越の位置が確認できます。あるいは戦国時代に入ってからの秦を警戒して趙に無駄な争いを呼びかけた燕策に由来する『漁夫の利』、斉策に由来する『犬兎の争い』など、先行していた南東部の『呉越同舟』とは若干異なった内容ではあるが、素朴であった孔子や老子による和の理想像にたいして新たな社会認識が展開された位置関係が確認できます。

やがて社会認識を進めない理想像による顧客集めは儒家八派と墨家三派のような学派分裂(『韓非子』顕学篇)につながり、法家による一応の基準期待によって秦統一にいたった感じです。また老子の政治的影響はそれほど大きくはなく、むしろ南北朝時代に入った北朝側北魏の道教によって民間信仰として影響を残した感じのようです。



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  1. 2013/10/18(金) 19:23:11|
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