思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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『矛盾』とダブル・バインド ~秦と法家の時代~




さていつも通りいきなりであるが、古代中国では春秋時代、戦国時代と来て秦の統一(前221)となりました。すでに儒家の孔子を始めとする色んな学派に分かれた諸子百家が現れていた時期でして、一つには法家(李斯)の果たした役割が特に気になるところです。

そこで統一の十年ほど前に亡くなった法家の韓非子の『矛盾』である。諸子百家のように色んな人々が色んな正当性を主張しているという状況に加えて、同一人物が都合のよい相反する主張を向けてくる状況が示されたわけである。

それは『傲慢』にも当てはまる。人それぞれが責め立てる傲慢解釈が異なっているという問題の他に、同一人物が発する傲慢命名にも命名する本人にとって都合がよい『矛盾』に似た依怙贔屓があるのだ。



日本で言えば戦時中の二宮金次郎像がよい例である。生徒に勉学と仕事の両立を示して、勉学が出来るやつの意見の封じ込めには仕事の必要性を説いて追いやり、仕事が出来るやつの封じ込めには勉学の必要性を説いて追いやればよいわけである。そして金次郎の見本に近く、かつ文句を言わないであろう生徒を両立サンプルとして一人選んで褒め称えておけばよく、一方で彼よりも両立できてはいるが都合の悪い意見を示してくる者にたいしては、別の他の事柄を引き出してきて新たな不足を指摘することによって追いやれば解決するのである。

そうして当の金次郎を指さす選別役は自らの両立を果たしていない点を指摘する者たちを無事に追い出せるわけであり、同時に『非国民』の命名権もフルに発揮されて人々を手懐けたわけである。

つまり『ダブル・スタンダード』という解説権限によって『ダブル・バインド』という障害物を散布しているわけであり、そこには『ダブル・スタンダード』の仕組みが公表されぬよう『ダブル・バインド』の維持が仕掛け続けられているわけなのだ。



そう考えると、古代中国の秦による統一とは、諸子百家の意見分裂や振り分け解説上手が台頭してきた中、それらに苦心する人々を守るために『法の統一』を訴えた支持獲得の結果だったという側面もあったように思えてくるわけである。

おそらく古代中国の『矛盾』問題にたいしては、古代ギリシャのソクラテスだったならば色々と人々と問答をした中で『無知の知』を示し、近代ヨーロッパのデカルトだったならば本当に信じられるもの以外は徹底して疑うと決心した中で『我思う故に我あり』を示したにちがいない。



こうして問題は、古代中国における意識変化の歴史を整理するために、諺の歴史的順序に注目が集まるのである。

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  1. 2013/10/16(水) 05:26:21|
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