思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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無核模型と有核模型 ~長岡半太郎と金子みすず~




1904年、原子についての解釈図式としてイギリスのトムソン(1856-1940)による無核模型と日本の長岡半太郎(1865-1950)による有核模型が提唱されたと言う。1911年には実験結果などから有核模型側を継承したラザフォード模型に発展しました。

しかし有核模型についてはフランスのジャン・ペラン(1870-1942)が1901年に原子の惑星構造説を示されていたようですから、有核模型は日本の独創性と言うよりも、西ヨーロッパの理論状況の収集による模型精査に長岡の功績を求めるのが妥当でしょう。また調べによりますと、長岡はベルリン大学にてヘルムホルツ、クント、プランク、ボルツマンらに学び、特にボルツマンの気体分子論に注目していたようです。

さてヨーロッパでは大陸合理論とイギリス経験論という哲学的分類がなされ、さらに唯物論と観念論という分類も進んだ地域でしたが、19世紀後半に一挙に開国した日本で長岡のような有核模型が示されたところを考えますと、何か『唯人論』と命名してもよさそうな大胆さがあったように思えます。つまり歴史あるヨーロッパ科学にせよ人間がこしらえた理論であり、そう簡単に現実が理論詰めで解明されるものではないという基礎的な見解です。

実際、ヨーロッパ科学と言っても色々な立場があったわけで、おそらく長岡自身の考えとしても『科学理論とは、それぞれ各人の考え方がぶつかり合って精査されて来た歴史的結果』と洞察し、現行科学の理論状況の中で有核模型の可能性を示すことが出来たと思われます。



そう、開国までの日本文化には西欧のような写実主義への理想はなかったのであり、むしろ唯名論と言ってよさそうな、歌舞伎でいうところの『見得』に似た他者の発する言葉を見る態度によって、伝達内容を見ていたのだ。あるいは明治維新後、フランスを中心とした象徴主義によって日本文化が注目されるようになったことにしても、ある意味において、長岡が有核模型に達しえたことと関係していたと言えそうであり、世代的にも長岡と近く、ドイツ留学の経験があった森鴎外(1862-1922)が早くから『かのように』1912 について注目していた点も、唯人論的な観点に近づきやすかった日本文化の一つの特質を意味する。

おそらく長岡が土星の輪のイメージを微視的観点に当てはめて吟味しえたことは、一般の日本人がすんなり金子みすずの『蜂と神さま』を理解できるように、もともとの日本文化の一部に含まれていたことを意味し、最近の山中教授のiPS細胞の発想地点にも働いていただろうと思えるイメージなのです。



『蜂と神さま』

蜂は お花の中に

お花は お庭の中に

お庭は 土塀の中に

土塀は 町の中に

町は 日本の中に

日本は 世界の中に

世界は 神様の中に

さうして さうして 神様は

小ちゃな 蜂の中に



一般的にキリスト教の『神』にたいしては、宗教的な統治を狙った思惑を感じやすい日本文化圏の立場と思われるのだが、『蜂と神さま』のような『神』にたいしては、存在解釈や現実解釈のための参考図式に用いられ、長岡模型やiPS細胞理論へと応用されたイメージだったと考えておこう。

しかしそうしたイメージが物理学の領域では存分に働き得たのに比べて、数学にたいしては極端に働いていない日本の状況のように思われ、ただ物理学などで行われる検証を助けるためにと、自らの使命を厳密性に限定させてき来た印象を受けるのである。その点、ヨーロッパの物理学がヨーロッパの人々によって作られてきたように、ヨーロッパの数学がヨーロッパの人々によって作られてきたという観点のもとで、長沼伸一郎の『物理数学の直観的方法』から新たな日本における発展の道が示されていたのである。

そうした数学における直観的方法とは、ただ単に大学数学を早く覚えるためだけのものではなく、数学にしても物理学のように様々な数学者のイメージ観点から進展して来た側面を実感させることにも役立ち、さらには数学に限らず、あらゆる領域における新たな発想の創出や吟味のための参考資料となりうる可能性を秘めていたのである。

もはや湯川秀樹や朝永振一郎の実績を褒め称えながら、単にあらゆる分野がそれぞれに日本人の底力を信じて頑張るのではなくして、微視的物理学に発揮される運命にあった日本文化と考えて、それを他分野における吟味方法にも応用するべきであろう。それは国内の政治議論にも適用できる可能性があり、日中韓の『それぞれ異なった現実認識』についての理解にもつながる領域だと言っておく。



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  1. 2013/10/10(木) 05:43:49|
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