思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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イングランドとスコットランドの関係(2)~百年戦争とバラ戦争~




現在のイギリスの連合状態からして言えることは、百年戦争(1338-1453)はイギリスとフランスの戦争ではなく、イングランドとフランスの戦争だったと理解しなければなりせん。またバラ戦争(1455-1485)にしてもイギリスの内乱でなく、イングランドの内乱と考えなければならないでしょう。

すでにスコットランドはアーブロース宣言(1320)やエディンバラ・ノーサンプトン条約(1328)でイングランドから独立していたため、百年戦争の際にはイングランドとフランスの動向を見て協力関係を選択できる立場にあったのであり、実際、フランスと協力していた時期があったのだ。またバラ戦争についても同様であり、ヨーク家が優勢となった1460年にはランカスター側のヘンリー六世の王妃マーガレットがスコットランドの援助を受けて戦ったという記述も見受けられる。

特に百年戦争の記述について日本の大学入試用の世界史参考書では、若干イギリスとイングランドの区別が甘い部分が認められそうである。たとえスコットランド問題にふれられていても、それまでのイングランドとスコットランドの歴史的関係が曖昧な感じであり、少なくともアーブロース宣言(1320)くらいは記述して百年戦争やバラ戦争のイングランドに限定された舞台を示唆する必要があろう。

おそらく日本の世界史教育は、イタリア・ルネサンス、17世紀のイギリス市民革命、18世紀末からのフランス革命を主とした戦後民主主義の理想を基軸としているため、あまりイングランドとスコットランドの歴史的関係が重視されなかったのだろう。

そもそもイギリス市民革命とフランス革命は大きく異なっていたのであって、特にそれはフランス革命を見たイギリス側のバーク保守思想に強く認められます。さらにはバークの保守思想がイギリス本土で浸透したこと自体、それまでのイングランドとスコットランドの歴史と関係していたのであり、そうした点に戦後日本教育が目が行き届かなかったことを意味するのである。

あるいはフランス革命がイギリス市民革命の模倣だった側面については、啓蒙思想を用いて行われたフランス革命にたいして、イギリス市民革命の場合は革命の進行状況と並行して政治思想が示され、革命後の安定を計るために働いた思想なのだ。そのことはホッブズやロックの亡命時期と著作出版時期を調べれば何となく察せられると思われます。

以上のことからして、せいぜいイギリスと記述するのは同君連合となったジェームズ一世の17世紀以降に限定した方がよさそうである。



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  1. 2013/09/01(日) 09:39:45|
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