思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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イスラム普及速度の不可解 ~傭兵経験と商人見聞~




イスラム教の始まりとその普及を調べてみますと、ユダヤ教やキリスト教あるいはゾロアスター教(ササン朝の国教)などの普及よりも新しく、しかも急速に政治と結びいて広がった宗教のように感じられます。キリスト教の場合はイエスが亡くなり、弟子のペテロとパウロが亡くなり、色々と迫害を受けながらも勢力を広げ、ミラノ勅令(313)の公認までに三百年近くかかっているわけですが、イスラム教の場合は地元メッカを追われながらも早くもムハンマド(570?-632)の時期においてメジナを拠点とした普及が始まり、642年のニハーヴァンドの戦いではササン朝ペルシャを倒すほどの勢力に達したものと理解できます。

なるほどキリスト教の発祥地域ではローマ帝国というがっちりとした保守化した統治体制が整っていたのにたいして、イスラム教の地域では小さな地元メッカの保守体制に追われながらも広大な周辺地域まで及んだ大きな統治体制には囲まれていなかったと考えられるでしょう。しかし逆に考えますと、それまで大きな統治体制によって大した外発的な期待を持たれて来なかったであろう地域(アラブ半島の紅海沿岸部)にもかかわらず、いきなり自らが大きな体制へと結び付けながらイスラム教を内発的に発祥させた形なので不思議に思えてくるのである。

実際の歴史的経緯では七世紀中頃にササン朝を破ったアラブ・イスラム教勢力だった。だが素朴に疑問に思えることには、別に新興イスラム教による結束を有すことなく、ただ単に武力統治の結束によってササン朝と戦い、破った後になってササン朝に広がっていたゾロアスター教へ改宗する手もあったと想定できるのだ。たとえば西ローマ帝国に侵入したゲルマン民族(クローヴィスの改宗)やイスラム圏に侵入したセルジューク・トルコ(ブワイフ朝を倒し、アッバース朝からスルタンの称号を受ける)のようにである。

しかし歴史的現実はそうならなかったのであって、そうした現実について解釈を施して行くことによって、アラブ地域におけるイスラム教の発祥普及に関する何かが、確認できることにもなろう。一つにはゲルマン民族の西ローマ帝国における武力修業(傭兵経験)、セルジューク・トルコのイスラム圏における武力修業が幾らか働いていたのにたいして、ムハンマドの場合は商人による周辺地域の見聞から立ち上げて行った点で大きく異なっていたと考えられるでしょう。



ともかく七世紀後半には充分な勢力となり得たイスラム圏と言えそうですが、やがて九世紀中頃になりますと古代ギリシャのプラトンやアリストテレスのアラビア語訳も行われるようになり、西欧文化圏にたいして影響を及ぼす側の文化体制にまで達しました。

おそらく現在のイスラム圏は近代西欧文化にたいして遅れをとった文化圏と見られがちだと思えるのですが、しかし近代西欧文化へ向かう契機となったイタリア・ルネサンスとは、決して西欧文化自体に潜んでいた内発的な自己改革による結果だったわけではなく、むしろイスラム圏の先行したギリシャ古典による興隆に刺激された結果であった点を忘れてはならないでしょう。



まあ今回はこのくらいにして、引き続きイスラム圏と周辺文化の関わりについて考察して行くことといたします。



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  1. 2013/05/05(日) 20:06:08|
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