思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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シーア派とスンニ派 ~イスラム主義とアラブ主義~




イスラム教にはシーア派とスンニ派の大きな二派がある。現在のイスラム教全体ではスンニ派が多数を占めているようで、シーア派が多い地域は主にイランやアゼルバイジャン、イラクなどの限られた地域であるらしい。

その分裂状況を調べてみれば、ムハンマドのハーシム家を除外してウマイヤ家の王朝を開いたムアーウィヤ(在位661-680)にたいして、ハーシム分家の第四代正統カリフだったアリー(在位656-661)を正統後継者としたのがシーア派だそうだ。そしてシーア派はザーブ河畔の戦い(750)でウマイヤ朝を破ってアッバース朝を開いたわけでしたが、その名の由来にしてもムハンマドのハーシム家につながっていたアッバース家とのことです。

こうして見ると一見ウマイヤ家とハーシム家の争いのように思えますが、そこにはスンニ派のアラブ主義とシーア派のイスラム主義と言ったような違いがありました。アッバース朝は過激シーア派や非アラブ系のイスラム改宗者(マワーリー)と共に反主流のアラブ人さえも味方につけて建国にいたったようです。ただしウマイヤ朝を倒しアラブと非アラブの不平等を是正してからは、過激シーア派を弾圧し多数スンニ派を保護したようであります。



そうした事情を考えますと、現在のイランの主流がシーア派である点にも何となく納得がいくでしょう。歴史的にはサファヴィー朝(1501-1736)でシーア派十二イマーム派が国教とされたことによって、現在のイランにも引き続き残されたものと考えられているようです。また汎イスラム主義を提唱したアフガーニー(1839-1897)がイラン出身あるいは東隣アフガンに縁があった点にも同様の傾向を認めておきたいものです。

やがてイラン革命(1979)の指導者となったホメイニはシーア派であり、それにたいしてイラク側のアラブ民族主義のバース党に属したサダム・フセインがスンニ派であったことも、ここ三十年の歴史を解釈していく一つの基準になりましょう。(シリアのバース党は、シーア派の傾向?)

おそらくイランの場合はサファヴィー朝の16世紀から国家的な独立意識を持ち始めたのにたいして、16世紀のイラクの場合はペルシャ系サファヴィー朝とトルコ系オスマン朝の攻防から17世紀前半には後者に服属することになって、1932年の独立まで待たねばなりませんでした。

実際の現代イラン人の意識は確認できませんが、おそらく旧約聖書に記されている古代ユダヤ人をバビロン捕囚から解放したとされるクロス王に若干なりともペルシャ・イランの祖先を見ていると思われますし、19世紀中頃にイギリス人ローリンソンによって解読されたベヒストゥーン碑文の影響もあるでしょう。



まあイスラム圏とは、そう単純に解釈できる地域ではなかろう。対立軸にしてもアラブ主義やイスラム主義などなど多様化されており、事件が起きるごとに各国の結束した少数派がそれぞれの活動を活性化させる可能性を秘めているのである。それにシーア派とスンニ派の対立に限っても、それぞれの国によって多数派なのか少数派なのか、あるいは権限に近いのか遠いかの相違も生じており、周辺諸国の事件勃発における反応も異なるから難解とならざるをえないのである。

ともあれ隣接するイラクとイランの関係を整理しておくことは、イスラム圏を理解していく一つの手掛かりになると期待できるでしょう。



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  1. 2013/05/04(土) 21:27:04|
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