思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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『四十七士物語』と『坊ちゃん』 ~ギリシャ神話と『菊と刀』~




アメリカの人類学者ベネディクト女史が著した日本人論『菊と刀』1946 では、『四十七士物語』(第十章)と漱石の『坊ちゃん』(第五章)について触れられている。

ベネディクトは『坊ちゃん』について『些細な事柄についてのこのような神経の過敏さ、このような傷つきさは、アメリカでは、不良青年の記録や、神経病患者の病歴簿の中で見受けられるだけである。』と記されおり、なるほど、後のサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』1951が精神分析的に解釈されていたであろうアメリカの実情も納得がいくところである。さらに別のところでは『古代ギリシャ人を思い起こさせるほど、繊細さに対する強い愛をもっている日本人』(第十一章)としているから、『過剰反応か?繊細感受か?』について各人それぞれ勝手に選別できる一般的状況も察せられよう。

おそらくサリンジャーの繊細さ――――いや、ここはイジリ屋上手の精神解説者さんに味方をしておいた方がよさそうなので、『過剰反応』としておきたい――――には日本の芭蕉や一茶や西行の句を引用していたことにも関係していたのであり、ベネディクトが日本と古代ギリシャを重ねたのも、一つに『平家物語』や『方丈記』の繊細さがヘラクレイトスの『万物は流転する』と類似した観点に由来していたものと考えられます。



実際、ヘラクレイトスの後にアイスキュロスやソポクレスのギリシャ悲劇の時代が訪れている。そう、古代ギリシャ悲劇は『四十七士物語』と『坊ちゃん』と微妙に隣接しているのである。アポロンとカサンドラの関係はクレオンとアンティゴネの関係に等しく、かつ浅野候と吉良候の関係、赤シャツと坊ちゃんの関係と等しい。

おそらく日本文化で悲劇とならないのは、ベネディクトがいう『自己練達』が絡んでいるからであり、『うっかり探し』と『恨み晴らし』の雰囲気にあるからだろう。ただ『四十七士物語』は団体対決であるのにたいして『坊ちゃん』では個人主義の対決となり、特に戦後は『組織と個人』の見解を通して解釈されるようになったのだ。

ギリシャ悲劇の一つであるソポクレスの『オイディプス王』にしても、日本人にかかると組織論である。オイディプスのような対応は人脈なき『うっかり』であって、充分な説明をしないまま『真摯に受け止める』と表明するのが基本なのである。あるいはダメ元で過去の精算を狙う『想定外だった』が、様子見のための第一手順に使われた原発事故後の日本だったのだ。

ただ中には『オイディプス王』を心理学的に解釈する少数勢力もあり、文学あたりにも用いれられたりしているようである。やはりそこには政治意識や社会意識は充分とは言えず、現に日々のニュースでビンビンと感じられる組織論にたいしても関心を抱いてもらい、是非考慮していただく必要がありそうだ。



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  1. 2013/04/15(月) 21:39:45|
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