思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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Buddy Holly ~ I am the walrus ~



バディ・ホリーの曲と言えば、ビートルズが Words of love 、ジョン・レノンが Peggy Sue をカバーしている。

That'll be the day

Peggy Sue

Oh, boy!

Think it over



何だかロックって言うと『不良性が格好いい』って感じだったかも知れないけど、その点でバディ・ホリーは異色だったんろうね。

詳しいことはわからないけど、おそらくそれまでの不良性からは『軽い』と揶揄されたであろうし、インテリ層からは『中途半端な身売り』って見られたかも知れないんだよね。

そこでバディ・ホリーを通して思うには、音楽性を発見して様々な批評を受けるのではなくて、様々な批評を下されているのを観察した中で新たな音楽性が発生したって感じがするんだ。

たとえばバディ・ホリーの安定した低めの声は内面の意志を表していて、軽い高めの声は様々な批評状況を確かめるためなれる公言発信って感じがするかな。

一方のそれまでの不良性では、内面意志が前面に出ていたため批評状況を調査する意識が低く、むしろ批評を跳ね退けようとする感じだね。

お馴染みの『ムンクの叫び』でたとえてみれば、バディ・ホリーは仲間のインテリ層 (左側の二人) からの批評を見ながら、新たな不良性の叫びを聞いていたんだ。しかし耳を押さえて狂気に苛まれるムンクの状況から、ギターを持って歌ったんだろうけどね。



全く今の日本を見てると、まるで自分の狭い専門領域を訴えるかのような縁どりメガネの人々がいるけど、あれは『ムンクの叫び』が聞こえないのか、あるいは聞こえないふりをしながら自分のテリトリー集団だけを肥やすような意思を示してるんだよな。もちろんバディ・ホリーのメガネにも自己保身のためのテリトリー主張は感じられるけど、彼の場合には『ムンクの叫び』への参入意思が感じられるよ。

ところがタモリや秋元康を見ていると、何だか『ムンクの叫び』が聞こえていながら素知らぬふりをして、ただ左側二人を喜ばせながらテリトリー集団を維持させることだけに一生懸命なメガネやサングラスに見えて仕方がないね。

そぅだな~、同じ福岡県出身でも陣内孝則、同じ都心育ちでも三谷幸喜の方がずるさの中にも可愛さがあるし、見込みがつけば進む意志があるように見えるから、僕は好きだね。



1980年代にコツを得たタモリや秋元康は、自己保身のために言わないだけではなく、自分の趣味が台頭するように計算して言わないでいるように思えてならないよ。特に秋元康の歌詞には、自分の社会的知識に気付かれないように、わざわざ人々を遠いところで争わせておきたい意図さえ感じられるものがあるかな。

そういうやり方はね、ビートルズ用語では walrus と言うと僕は思ってるんだ。何か自分の中で秘めた社会観で自分の熟練を感じているところが、つまりすましたセイウチの長い髭と似ていると言うことね。特にジョン・レノンの場合は、他者の walrus を見ると同時に自分にもないかと自問自答していたんじゃないかな?やっぱ、バディ・ホリーに憧れていたビートルズだからね。


I am the walrus

Glass onion

God (1970)


そろそろ我々も、人それぞれ『ムンクの叫び』をどのように見ているかについて区別し始めた方がいいのかな~





もし言い過ぎていたら、ごめんね?


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  1. 2012/07/23(月) 21:34:20|
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