思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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資本主義起源論(5) ~剰余価値説批判~




社会学派の私からいたしますと、ちょいと難しいのだが、経済学には【剰余価値】という概念があるらしい。それはマルクスの名を通して聞いたことがある言葉なのだが、調べによると、すでにイギリスのアダム・スミスやリカードらによって触れられていたものでもあるらしい。しかし【搾取】と一緒に述べられた【剰余価値】に限ってみますと、やはりマルクスの 「資本論」1867? から広まったと概念と考えたいと思われますが、いかがでしょう?まあ、細かいことは抜きにして、【搾取】と【剰余価値】について洗ってゆくことにします。


まずは【搾取】と命名された時点においては相当の近代資本主義体制が進んだ状況と想定できるわけで、当然マルクスの立場からしても、そうした資本主義体制の状況を観察しながら理論化したと言えます。

繰り返すとおり私には詳しいマルクス事情がわからないのですが、どうも【搾取】の概念発生が何かドイツに独特な知的関心による結果ではないかと思えてならないのであります。

と言いますのも―――ちまたのマルクス主義と実際のマルクスの相違は考えないとして―――資本使用者側と雇用労働者側の階級分けに固執しすぎたため、その【剰余価値】の概念に "使用者側の労働" が考慮されていないように思えて仕方がないのです。

つまりウェーバーの指摘を参考にするならば、カルヴァン派が世俗的禁欲傾向から社会的組織化へ移行したのに比べ内面の思索的な自己修練にあったルター派のドイツであったと言え、そのルター派の特質が有したゆえに労働者側から考察される資本使用者 (搾取) についての理論へと傾いたように見えるのです。

第一に【剰余】とは、一方的に拾い集められた限定的な事柄を差し引いた余りでありまして、まさに事柄の拾い集め状況に左右された抽象的産物と言えます。ですからマルクス主義の算出した【剰余】とは、資本使用者と交渉するための労働者側からの実践的な社会学やら経済学でありまして、実際の第三者的な立場を基準とした現実解明とはかけ離れているのです。



他方の近代資本主義の発祥地イギリスにおける【賃金】とは【契約】によるものと見なされていたのであり、【搾取】が取り除かれた差益分ではなかったことでしょう。メイフラワー号 (1620) とは、本国イングランドに張り巡らされた契約募集体制の中で文句を言ってみたのだが、契約募集側も契約応募側も相手にしてくれず―――「文句を言うならば自分で契約募集する体制でも作るんだね、ハ・ハ・ハ」 とでも言われたのかどうか知りませんが―――、そのためアメリカ大陸に渡ったようなものだったのでしょう。 (実際は王権神授にたいして新たなる社会契約を求めたが、相手にされなかった感じである)

つまり【契約】の意識が少ないルター派の知的意識にあったドイツであったために、やがてカントの【実践理論】1788 からシュトラウスの 「イエス伝」1835、バウアー、フォイエルバッハ、シュテイルナーなどの伝統的であったキリスト教にたいする批判へと傾き、ようやくマルクス・エンゲルスの出現によって契約募集側の操作的隠れ蓑を見つけるいたったわけです。しかし結局はマルクスにしても、契約応募側 (労働者) に支持してもらえる内容とするためにか、【搾取】を用いた理論に仕上げることとなり、しかも学的経済学やら社会学の雰囲気を漂わせる形で利用されるようになってしまったわけです。

まさしく資本使用者側の【搾取】と雇用労働者側の【自己疎外】についての理論とは、その理論自体を交渉武器にすることによって雇用労働者の側にも【搾取】(使用者報酬の削減) の権利を与え、また資本使用者側に【自己疎外】の気持ちをわからせようとした一つの手段だったと考えれば、社会学理論とは世界史のほんの一部分を占める場所で権威づけられてきた結果だったとわかってくるでしょう。

要するに【剰余価値】が【搾取】された差額分の【賃金】とは、交渉のための 「労働者、諸君!」 という集客効果を狙った言葉使いでありまして、実際は "労働者賃金のみならず、使用者賃金 (使用者報酬) の決定権が使用者側によって独占されていること" こそが問題であったのです。

しかしマルクスは【賃金設定の発信地】を見るのではなく、買うために売る [商品-貨幣-商品] と売るために買う [貨幣-商品-貨幣] から【貨幣と商品の流れ】だけに注目させて、資本使用者側の [貨幣G-労働W-貨幣G'] の貨幣の差額 (G'-G=ΔG)に【搾取】を意味づけた感じなのです。



たとえばロックによりますと【全人類の共有権】――― 「統治論・二篇」 第五章参照―――を基礎とした方法がとられ、所有権 (占有もしくは囲い込み) について身近な人々だけではなく全人類の同意を求める必要性が示唆されていたおり、かの労使双方の賃金報酬の分配決定権についてもロックを見習いながら、組織体制を築いた創始者系統に独占的に分配配当権が委ね続けられいる歴史 (先手必勝の持続性、自然的な共有権の同意の欠如) を問題とする必要があったのです。

なるほどマルクスの剰余価値の搾取理論にしても、ある意味でロックの "全人類の同意" を間接的にも受け継いだ帰結と言えるかも知れません。しかし資本使用者側が行ってきた【開拓労働の報酬】や未来の体制維持を計算に入れた【イノベーション開発の必要経費】が考慮されないままに、ただ【搾取】の項目の中に割り当てられている感じがしてしまうのです。まさにマルクスは契約した後の使用者と労働者に階級を求めすぎたために価値の流通に拘ってしまい、契約募集と契約応募に分かれた契約状況に階級性を見ることには関心が向かなかったようです。



(マルクスについては全体像を把握しないまま漠然と話を進めているため、細部の批判にたいしては早期の吟味検討に応じることは出来ません。)



続く……


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  1. 2012/04/03(火) 11:44:42|
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