思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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資本主義起源論(3) ~マキャベリとルター~




イタリアのマキャベリ (1469-1527) とドイツのルター (1482-1546) は、ほぼ同時期に生存した二人である。

まずルターが教皇レオ10世の免罪符販売を問題にしたことは教科書的な世界史レベルでも広く知れ渡っている事柄でありますが、そこでマキャベリズムを無理解で無知である大衆操作主義と拡大解釈しておくならば、教皇側の背景にマキャベリズム的な新たな商法を見ていたルターだったと喩えられるわけであります。

あるいはマキャベリズムと免罪符販売の共通性を、指導部の自階級中心主義に基づく【説明責任なき遂行の自由】と見なすのならば、ルターの場合は、キリスト教の【理念的な原理主義】の方向へ向かったと言えます。

地域差を考慮するならば、962年の神聖ローマ皇帝の帝冠よりやがて12世紀頃から教皇ゲルフ党と皇帝ギベリン党の対立状況に見まわれた地域の中、分裂状況にあったイタリア地域では国家統一を期待してか皇帝論に傾いたマキャベリであり、一方の教皇と皇帝が守ろうとした免罪符販売のような新たな利権にたいして原典復帰を目指したドイツ側のルターでありました。

さてルター派は確かにプロテスタントではありましたが、しかしウェーバーはそこに資本主義推進の精神を認めていませんでした。またマキャベリズム的な指導階級が資本主義の発生を促進したのではなく、カルヴァン派の予定説に求めていたウェーバーなのです。



そこでカルヴァンの予定説について触れておこうと思いますが、簡単に言うこと、「あらかじめ神によって救われる人々と救われない人々とに分けられているが、その救済区別について我々には認知できない」 であります。つまり救済の区別については伝統的理念に沿ったものでありましたが、その救済区別の基準について識別できないとした不可知性については新たに広まった事柄であったのです。

おそらく新たに生じた不可知説とは、ルターも問題にしていた免罪符販売にたいしての対抗理念の結果と言えましょう。教皇側は免罪符の販売を進めているがそんなことで救済されるわけではないと言いたいのであり、だからと言ってカルヴァン自身にしても知る手立てがないと表明した形です。

もし仮に救済基準について明示していたのであるならば、いくらかの支持者を獲得できたのでしょうが、一方で新たな別の解釈をする教派も生じてプロテスタント内の争いが大きくなったことでありましょう。ですからわざわざ不可知性を訴えたことによって、反カトリック勢力としての共通前提が確保できたと言えるのかも知れません。

なるほど救済の不可知説が広まったことをいいことに、「僕はもともと救済されない人間だから、やりたいようにやりますわ」 といった開き直り勢力も台頭しそうな感じも致しますが、それは伝統的理念の広がりを考慮していない発想であります。

と言いますのも、不可知説とは免罪符販売にたいしてのアンチテーゼであったのであり、また免罪符購入をしていた人々にしても救済を求めていたのであります。要するに神による救済予定に関しては伝統的な理念に沿った考え方であったと言え、決してカルヴァン派もキリスト教自体を否定したのではなく、あくまでも免罪符の売買に焦点を絞った否定だったのであります。

仮に開き直りの考えが台頭するほどの状況であったとしても、カルヴァン派における議論を追いやるくらいに 「神の救済など、そもそもない」 とする意見と 「神はすべての人間に救済を用意している」 とする意見との議論対立が大勢主流となり、その上で前者の救済論自体の否定を支持する形で開き直らなければ意味がなかったのです。

しかし実際はカルヴァン派の予定説 (不可知性は別問題) の議論は注目され続けていたのでありまして、たとえ開き直り勢力が幾らか生じていたにせよ、あくまでもカトリックの権限に対抗するためのプロテスタントの議論舞台からすれば、配慮するほどの必要はなかった開き直り勢力だったと言えるのです。



そうしたカルヴァン派の予定不可知説の影響としましては、直接的な区分評価 (救済是非の指定) で生じる対立を回避できたものと言えそうです。

たとえば新たな資本主義体制で生じる階級差について、そのまま救済の是非とは関係がないと見なしているために被支配者側も従属しやすくなりますし、指導者側も自らが上に立つこと自体に目的をおく必要がなかったと考えられるのです。

また不可知性を主張していたために、怠惰な宗教修練にたいして非難できる余地と私的商法の努力勤勉にたいして非難できる余地の双方を許容する状況を作り、徐々に議論調整しながら世俗内禁欲から社会組織化の連携へ移行させていく雰囲気を保てたのでしょう。まさにそんなカルヴァン派の不可知論が広く普及して行った中、特にイギリスにおいて繰り広げられた対立調整から、近代の資本主義につながる理念共有が推進されたものと考えられるのであります。



マキャベリがいたイタリアやルターがいたドイツと比べてわかるとおり、近代資本主義発祥の地となったのは並行して国家統一を進めたイギリスでありました。イタリアやドイツの国家統一とは、日本の王政復古 (1867) と時期を等しくするプロシア・フランス戦争終結の1871年頃でありましたが、イギリスは同君連合 (1603) や合同法 (1707) で一応イングランド・スコットランドの統一国家体制に至っています。(アイルランド合併は1801年)



ところで話は飛びますが、イタリア・ナポリのヴィーコ (1668-1744) は、理性について【神聖理性】【国家理性】【自然理性】――― 「新しい学」1725 第四巻第九部 ―――の三つに分類しています。それを応用するならば、おおよそドイツのルターは神聖理性を追求し、イタリアのマキャベリは国家理性を追求し始めたと言った感じであります。そしてイギリスの場合は神聖理性の基盤の上に国家理性を共有させながら近代資本主義進めたものと喩えられましょう。

さらに逆を言うならば、イタリアには神聖理性が足りなくドイツには国家理性が足りなかったということになり、伝統的な神聖理性を変化させながら国家理性を共有すること (common wealth) で近代資本主義を興したイギリスということになります。


まだ続きます……


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  1. 2012/03/25(日) 01:44:19|
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