思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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資本主義起源論(1) ~ウェーバーの 「プロテスタンティズムの倫理」~




M.ウェーバーの名著として知られている 「ブロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」1905 から、資本主義についての考察をしたいと思います。

まずは当書の私的概要を説明を試みるために、目次について記しておきましょう。



第一章 問題の提起

一) 信仰と社会階層
二) 資本主義の精神
三) ルターの職業観念―研究課題

第二章 禁欲的ブロテスタンティズムの職業倫理

一) 世俗内的禁欲の宗教的基盤
二) 禁欲と資本主義精神



簡単に要約してみますと、近代資本主義が発生し始めたのはカトリックではなく【プロテスタント勢力】にあったこと、そしてプロテスタントにしてもルター派ではなく【カルヴァン派勢力】にあったことを示そうとした著書であります。それは資本主義を促進させた【イギリスにおけるカルヴァン派の浸透】と比べながら、立ち遅れた側の【自国ドイツにおけるルター派の浸透】を見ていたウェーバーだったことを意味します。

ですから、そうした観点を踏まえますと、ひとまずは途中の 「ルターの職業観念」 から読み始めるのも一つの方法と言えます。



そこで 「ルターの職業観念」 の冒頭を見てみますと、まずは共に西ゲルマン系言語であるドイツ語 Beruf と英語 calling に職業にたいする使命感のような雰囲気が含まれていると説明されています。しかし資本主義体制を先行させたイギリスに比べてドイツの場合は立ち遅れたのでありまして、共に似た使命的な職業観にありながら違いが生じたと言うことは、つまりその使命的な職業観自体が資本主義体制の発芽の充分な条件として働いたわけではなかったことを意味しているわけです。

その使命的職業観からはギリシャ語やラテン語などにも該当するのかが調べられた結果、せいぜいラテン系スペイン語 voacion に同等の雰囲気が認められるくらいで、ある種の西ゲルマン語に特有な傾向として示された形です。

また13世紀のトマス・アクィナス (ローマ・カトリックの代表として?) の人それぞれの社会的な職業分化を神の摂理と見なす職業観にたいしては、ルターの職業観にしても同様の類似性にあると帰結され、カルヴァンの改新性にたいしてのルターの伝統的保守性が示唆されています。

確かに世俗外の特定領域に限られた修道院的活動にたいして新たに世俗内活動にまで隣人愛の拡張を進めようとした点で、ルターに新たなプロテスタント改革の方向性が認められるのでありますが、しかしウェーバーが説明するには、ルターの世俗内的な職業使命とはせいぜい【強制】による【他者のため】のための使命であり、また【服従】と【順応】の特質に留まった状態だったと考えられています。

そしてドイツのルターの職業観念の保守性にたいしてはカルヴァン派の特質にあるイギリスのミルトンの 「失楽園」1667 を引用し、その違いの概要が示されています。



つまりそうしたドイツ・ルター派とイギリス・ミルトン (カルヴァン派の浸透) のプロテスタント内における相違へと話を進めることを念頭におきながら、まずはじめの 「信仰と社会階層」 で、より読者の関心を引きやすい当時のドイツの状況を話題を取り上げる形で、カトリックとプロテスタントの行動志向の相違について説明し始めたウェーバーと言えます。

実際、カトリックとプロテスタントの行動志向の相違については、フランスの社会学者デュルケームの 「自殺論」1897 でも題材にされているとおり、広く西ヨーロッパにおいて比較的顕著に認識されていた事柄と言えましょう。



そして 「信仰と社会階層」 に続く 「資本主義の精神」 においては、イギリスとドイツのそれぞれの使命的な職業観の区別へと話をつなげるために、北アメリカのベンジャミン・フランクリンと南ドイツのヤコーブ・フッガーの比較がなされています。確かにフランクリンにせよフッガーせよ双方ともに自己職業に励む見解を示している点で類似している感じなのですが、しかしフランクリンの場合には倫理なり世俗内禁欲がより多く働いているとウェーバーは説明しているわけなのです。

こうして 「資本主義の精神」 ではベンジャミン・フランクリン、そして 「ルターの職業観念」 ではミルトンと、それぞれ資本主義を促進発芽させたと思われるカルヴァン派的特質を含んだ代表例として示されているわけです。



第二章 「世俗内的禁欲の宗教的基盤」 となりますと、表題どおり世俗内禁欲のプロテスタント勢力を大きく四つに分類して話が進められています。それは特に第一章においてはドイツにおけるルター派の資本主義発芽の不足を説明することに力が注がれたていたのにたいして、第二章ではカルヴァン派もしくはクェーカー派 (再洗礼派の分派) に宿る資本主義発芽を吟味することの方へ力点がおかれ始めたと言えます。

まず【カルヴァン派】について触れられるところの趣旨は、ルター派が "神秘的感情" に傾くのにたいして、カルヴァン派は "禁欲的行為" に傾くことの相違と言えましょう。二番目の【敬虔派】では地域差が問題されている感じでありまして、ドイツの敬虔派にはルター派の影響が大きいことを示唆し、カルヴァン派とルター派のさまざまな中間段階にあるため、使用人と雇用人の役割分担という形によって社会に反映されている意味が述べられています。

そして三番目の【メソジスト派】ではイギリスもしくはアメリカの動きとして―――それよりも若干時期を古くするのですが―――ドイツ敬虔派と比較しながら、地域差の説明を補っています。そして最後の【再洗礼派】に入りますと、敬虔派やメソジスト派よりも先行し、カルヴァン派とは異なった独自の世俗内禁欲の傾向として説明されています。

おおよそ再洗礼について説明しておきますと、それは伝統的であった幼児洗礼にたいして新たに世俗社会を見聞した後になされる洗礼更新を始めたようなものであります。それゆえ偶像崇拝や免罪符売買に宿っている大衆操作性や集客効果性などの現実吟味を行う、そんな冷静な意識が再洗礼の条件に加わったことを意味し、特にウェーバーは再洗礼派の分派であるイギリスのクェーカー派―――分派でありながら、洗礼は排除―――に 「正直は最善の商策」 の発祥を見て、先の第一章で述べたベンジャミン・フランクリンへ影響を与えた原型と見なしているようです。

一方のカルヴァン派につきましは、クェーカー派とは異なった私的な経済的営利追求へと解放させたものとして区別を示しているわけなのです。



結論となる最後の 「禁欲と資本主義精神」 になりますと、リチャード・バクスターから始まり、さすがにイギリスの特有性に焦点が集まっています。

途中では再びトマス・アクィナスとルターによる職業分化についての説明に触れられており、彼らがすでに職業分化していることの【原因】を "神の摂理" と考えるに留まっているのにたいして、イギリスのバクスターやアダム・スミスの場合には、新たに生じるであろう職業分化という【結果】を監視評価 (見えざる手?) する領域を示していると言うわけです。

さらにウェーバーはカルヴァン派に旧約聖書 「ヨブ記」 を基調とする精神を見て、ピューリタニズムが【イギリスのヘブライ主義】と呼ばれている状況と結びつけています。またウェーバーはジョン・ウェスレー (1703-1791) の 「可能な限りの取得と節約」 に 「可能な限り他に」 を加えるいたった事情を、バニヤンの 「巡礼者」1678,1684 がデフォーの 「ロビンソン・クルーソー」1719 にいたった延長と見ているようです。実際 「ロビンソン・クルーソー」 の日記場面 (6月27日から7月4日) を見る限り、 「ヨブ記」 と類似した試練観にあると言ってよいでしょう。

もしウェーバーの見解を偶像崇拝に絡ませておくならば、世俗的な偶像崇拝の消費にたいする節約禁欲 (修道院的生活) から、新たな職業分化の現実認識を伴った偶像崇拝的でない生産へ、蓄えられた資本を投資していく過程を示したものと喩えられるかも知れません。



以上、ウェーバーの 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 の概要とさせてもらい、次回へ続く …………




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