思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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中臣鎌足論



587年、外来仏教の受容について賛成促進の蘇我氏と反対排斥の物部氏の間に起こった崇仏論争によって蘇我氏が物部氏を追い出し、続く武力抗争によって物部氏の敗退となったようだ。

ところで中臣氏とは神道と関係があったのだろうか、物部氏の仏教反対の立場で戦っていたわけであるが、それが645年の大化改新では、蘇我氏の皇位継承における計略にたいして中大兄皇子への協力関係に至っていた中臣鎌足だったのである。

特に壬申の乱なんかは、鎌足が天智天皇と大海人皇子の相当の仲介調整役を果たしていたことを如実に証明していた結果に思えて仕方がない。


そう考えるならば、大化改新において旧勢力にそれなりの主要ポストを与えたのも、結局は鎌足の助言が絡んでいたのではないかと想像してしまう。

あるいは鎌足亡き後の壬申の乱から、その後の遷都にまつわる 「藤原宮」 の命名にしても、何か皇族内でも認識されていた華麗なる鎌足の仕事振りと思えてくる。

それに息子の不比等の名も鎌足のモノの見方の現れと勘ぐってしまいたくなるわけだ。

きっと蘇我氏のような自分が有利になるための皇族利用計画に一生懸命にはならなかったのだろう。おそらく自らが信じるものを貫くんじゃなくて、「人の話を聞く方に味方するぞ」 っていう態度を示しながら、その場を判断して行ったんだろう。

全く藤原鎌足と藤原不比等が、その後の摂関政治も運命づけ、今日までの長く天皇制を維持させる基礎を築いたと言っても過言じゃないだろうね。

そうだな~、鎌足にはイギリス保守思想のバークや宮廷観察に優れたパスカルが入っている感じがしてくるよ。

現代日本で言えば、小泉総理の秘書だった飯島勲氏が近いのかな?考え方の面ではね。

やばい裏事情があるために敬遠されたのかどうか、素人の私にはようわからんけど、その後の飯島秘書を抜擢できる自民党員がいなかった点で、中臣鎌足の場合とは大きく異なっておるね。

つまり鎌足がわかる中大兄皇子役がいなかったちゅうことかな?



こっちは教科書レベルの知識で、ただ妄想しただけなんやけど、幾らかこれがホントならば、鎌足がわからないやつらばかりで愚痴を言ってる鎌足役がわてや。

まるでみんなの四年間が、わてには一年間って言う感じやな?

こちらは自分勝手に四倍多く見ているつもりで、あちらでは真摯にも実績を四分の一に値切ってくれるんだ。

2月29日が、こちらの時の流れの遅さを教えてくれる。



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  1. 2012/02/29(水) 16:15:56|
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