思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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卒入学・春の理由



1983年、柏原芳恵の 「春なのに」 が流れていた。

しかしそれは、日本の卒業時期が三月に定められていたゆえの出来事であったと考えなければならない。

ところで最近では、大学入学におけるグローバルな人材募集の必要性からなのか、欧米に多い秋の入学制度との対応が検討され話題にもなっている。

なるほど入学時期について、わざわざ春だけにこだわらなくてもよかったわけで、世界の大勢に合わせて秋に変更するのもよいかも知れない。



では、春卒入学の由来は?



そこで日本における入学時期の由来について調べてみたのだが、1920年までの大学クラスの卒入学は、欧米の教員採用に合わせて秋になされていたらしいのだ。つまり途中からわざわざ秋から春へ移したのである。

まず1900年に小学校クラスの入学が春に定められ、1901年には中学校クラス、1919年には高校クラス、そして1921年には大学クラスまでもが四月入学に至ったとのことである。



では何故、四月へ変更されたのかと言いますと、地租徴収の便宜性からだったのか、1884年の太政官達89号より次第に会計年度が三月決算へと整い始め、それに合わせて学校の卒入学時期も同時期に統一されたと言われているのである。

しかし会計年度だけが春の卒入学時期の要因だったとは思えない気がするのだが、いかがであろう?もっと卒入学についての世界観的な雰囲気との釣り合いが働いたと考える必要があると思えてならないのである。

たとえば清少納言の 「枕草子」 では 「春はあけぼの」 で始まり、冬で終わっているのであって、その古来からの雰囲気が働いたと思えるのである。あるいは1884年の会計年度三月決算に合わせただけではなく、それに先立つ1881年の段階ですでに 「蛍の光」 が作詞されていた点についても充分に吟味する必要があろう。



【蛍の光】【窓の雪】

書よむ月日 重ねつつ

いつしか年も 杉の戸を

【明けてぞ】今朝は 別れゆく



実際 「枕草子」 と照らし合わせても【蛍の光】は夏、【窓の雪】は冬で、秋は夕暮れであるから【明けてぞ】は春と見るのが相当なのである。また1884年の 「仰げば尊し」 にしても 「蛍の光」 を受け継いだ形に仕上げているから、ただ会計年度に統一した結果ではなく、卒業唱歌に認められるような世界観へ合わせた春への時期的移動だったと考える必要もあろう。



三番

朝夕なれにし 学びの窓

【蛍のともしび】【積む白雪】

忘るる間ぞなき ゆく年月

今こそ別れめ いざさらば



もし仮に、こうした卒業唱歌の世界観によって次第に一律春の卒入学時期へと定められたとするならば、それは古来日本の世界観を浸透させた結果と言え、今日までの日本に幾多の影響を残してきた事柄とも言いうるのである。



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  1. 2012/02/25(土) 11:15:29|
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