思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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【推薦図書】ショーペンハウアー 「幸福について」 新潮文庫




「他人と共同関係を結ぶために、それに必要な多大の犠牲を払ったり、ましてや明らかに自己を否認してまでも他人との共同関係を求めようとしたりすることは、価値と豊かさをを内に具えた人ならば、思いとどまるだろうが、それを思いとどまらせるのは、言わば自己に対する満足感なのである。普通の人間は、これとは反対の気持ちから、いかにも社交的、順応的になる。自分自身に耐えるよりも、他人に耐えるほうが楽だからである。」

「人間が社交的になるのは、孤独に耐えられず、孤独のなかで自分自身に耐えられないからである。」

(第五章・九より)



新潮文庫、おまえは偉い!(上から目線の褒め言葉)

マイナー・マイノリティだったショーペンハウアーが、幾らかメジャー・マジョリティ化する契機となった著書の邦訳出版は、いつの日か大きな意味をなすことでしょう。



さて当邦訳書 「幸福について」 の初版は1958年だったらしいが、それは1951年に邦訳されたフロム 「自由からの逃走」 東京創元社と合わせて考えておくのがよい。

簡単に 「自由からの逃走」 を要約しておくならば、ちまたに浸透している権威ある理念への大衆的支持とは個人の自由からの逃走であり、周囲の意見から外れる恐怖を回避した結果と説明した本なのである。つまりショーペンハウアーの孤独と順応についての解釈も、フロムと見解と類似していたと言える訳です。

1945年8月15日に敗戦宣言がなされた日本では、イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーの状況と重ねながら【全体主義の敗北】として読まれた 「自由からの逃走」 なのです。それに日教組の日の丸・君が代にたいする反対活動にしても、一種の権威側優先指導による全体主義化を危惧した方針だったと言ってよいでしょう。

要するに 「自由からの逃走」 で示唆されている【個性や自由の理想像】とは、単に平和な社会像への意思だけではなく、【多数派メジャー・マジョリティによる全体主義化への危惧】を含んでいたのであって、戦後の1970年までの安保闘争や学生運動の団結にも、ある意味で【現行権威側による一方的な社会誘導性にたいしての危惧意識】が働いていたのです。

ところが1970年代に入りますと【全体主義への危惧意識】は、世界的にも薄れることになったのです。日本の状況で言いますと、よど号ハイジャック事件(1970)、浅間山荘事件(1972)によって、結局は現行権威との闘いも自分たちの全体主義的な指導権獲得に憧れていたにすぎなかったと見なされるようになったのです。

そのため【全体主義への危惧意識】は、正義感に陶酔した英雄意識の結果と卑下されるようになり、【社会的に認められる自工夫】の方が人々にとって重要な判断基準となり始めた1970年代なのであります。



いやはやショーペンハウアーとかけ離れた話になってしまったのでありましょうか?

ショーペンハウアーの時代とは、カントの哲学が話題になったドイツで新たな次世代の展開がなされていた時期に相当します。特にフィヒテ、ヘーゲルらがカントの継承と権威づけられている中で、ショーペンハウアーは彼らにたいして批判的な対応をしていたのであります。

実際、ショーペンハウアーは各国を回ってきた経験があったり、インド哲学にも触れていた点で、ドイツの状況をドイツという限定された地域の出来事として見ていたのです。そのためショーペンハウアーは本家カントから外れたドイツの主流哲学のにたいして批判的であったのであり、文壇的に主要な話題となされている知的領域と相手にされない知的領域の区別を認識し、その社会的な結果を察知したために新たな【孤独と順応の人々の多様状況】について考察しえたのです。

彼の論敵であったフィヒテは非我に出会う自我の発展論を示していたのならば、ショーペンハウアーは寄り合いドイツ哲学者という非我との出会いによって、孤独と順応の社会心理学の原型に達したのでしょう。

ショーペンハウアーの 「幸福について」1851 とは、人々の主流から外れた側から生み出された社会心理学の原型です。そして彼の影響を受けたニーチェの 「悲劇の誕生」1872 では、主流なるアポロ性にたいして、外れた側のディオニュソス性が示されたのであります。



そこでショーペンハウアーの主著 「意志と表象としての世界」1819 における注目されていない頃の第二版(1844) と、「幸福について」1851 によって注目され始めた後の第三版(1859) の序文を載せておきます。

第二版

「私は、自分の品性を落として大勢に順応することによって、欠点や弱点を増やすようなまねはしないであろう。」

第三版

「生涯の終わりになって私の影響が始まり出したのを見て私は満足している。この影響が古来の常例どおりに、始まるのが遅かった時にはそれに釣り合う分だけ永く続く、ということであればよいと希望している。」

(中央公論社 世界の名著45) より



ただし日本では、夏目漱石の 「草枕」 が示すとおり 「智に働けば角が立つ」 だけです。ショーペンハウアーを読んだ芥川龍之介や太宰治も自殺で生涯を終えました。

やはり下手に有名なるのは危険なことでありまして、ナンチャッテ君臨によって亡き少数派を褒めたり茶かしたりする大衆向けの解説役が、味しい人生のようですね。




物わかりのよい人が物わかりの悪い人に不快を感ずるのに比して、物わかりの悪い人には物わかりのよい人にたいする百倍もの嫌悪の情がある。

(「幸福について」 第五章三十四)

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  1. 2012/01/05(木) 17:26:04|
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