思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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記号の消費 ボードリヤール ~隠れた記号操作の時代~




フランス構造主義に位置する事柄に、ボードリヤールの【記号の消費】がある。消費とは各人の生活維持に必要な衣食住の確保に限らず、ヴァブレンの【誇示的消費】のような他者へ見せ見られるための消費があり、その誇示にはバルトの【神話力】ような記号の発信が認められるのである。

我々は、ただ寒さ除けという使用目的だけで衣服を消費している訳ではなく、またデザインを消費し、見せ見られる記号の発信を消費しているのである。



記号の消費とは、それぞれ個人個人が選択して行うと同時に、所属の選択を意味する。つまり社会的多様性の中で特定集団に自らを所属させる【差異】の消費と言える。

それは日本でも1980年代以降のニューアカの名のもと広がっていった考え方であり、消費状況を見た生産側も多品種化の計画を進める時代になったのだ。



特にキーワードとされたのは【記号の消費】と【差異】であったと思われるが、それが主流概念になったこと自体が、時代的なモノの考え方であったと言える。

【記号の消費】にたいして、消費した後の様々な人々が行っている【記号の発信】を社会的に考察したのであろうか?消費者側が【差異】を欲し、生産者側も【差異】を計算しているながら、マジョリティ化 (多数化) しえた【差異】とマジョリティ化しえなかった【差異】の社会学的考察をしたのであろうか?あるいは伝統的マジョリティ状況にたいしての新たな【差異】を狙った新規マジョリティの発生について考察してきたのであろうか?

中にはそうしたものもあったろう。しかしあくまでも主流は【記号の消費】と【差異】に留まった、歴史観なき小手先社会学だったのである。



フランス構造主義とは?

一体、フランス構造主義とは、何であったのか?はじめて拝見した際には 「構造」 の言葉に反応してしまい、何か今まで見えなかった構造に注目したものと簡単に考えてしまう命名である。

確かにフランスのサルトルやカミュの実存主義にたいする反動から生じた面もあろう。しかし肝心な点は、中世の普遍論争に見られた言葉の実在論と唯名論の対立にある気がする。

フランス構造主義とは、言葉を写実的に現実を理解するための道具 (実在論的見方) ではなく、現実社会における言葉の使用の結果 (唯名論的見方) にたいして構造を見ようとしたものと言える。すなわち度々ソシュールの言語学が構造主義の解説に登場するのも、そうした事情にあり、【言葉の恣意性】にしても唯名論的見方を示す一つの帰結と言えます。

ですからフロイトの無意識やピアジェの方法は、フランス構造主義とは若干ズレた領域にあり、フランス構造主義には【言語や記号などが使用されている社会状況】に気を配るのが好ましいでしょう。



「生産社会の神話と構造」

特にバルトの 「神話作用」1957 とボードリヤールの 「消費社会の神話と構造」1970 が言葉と社会の関係をわかりやすく示した著書と思われますが、さらに【神話】の意味には広く【知識】や【世界観】などの人間が抱いている解釈理念へ拡張することによって、新たな社会学の方向を指し示した形です。

しかし今日の社会学の状況を見る限り 「消費社会の神話と構造」 に偏っていて、何か 「生産社会の神話と構造」 の考察が足りない気がしてならない。確かにボードリヤールは生産側にも触れていた。しかし記号発信を欲している消費者の需要意識は生産供給側によって市場調査され、そして【特権的な秘密裏】の中で【隠し持ち階層化計画の知識】による競争がなされている点が曖昧なのである。

つまりボードリヤールは他者との差異を求める大衆消費社会を考察し、それを市場調査する生産側の競争に触れてはいるが、生産側のコマーシャル宣伝と消費側の限られた中からの記号選択との相違によって生じる、現状階層化の促進効果に届いていない。

生産側は、ただ自らの記号発信に一生懸命な訳ではなく、他の生産勢力の記号発信を抑え込む意味を含めて競争し合ってもいる。また生産供給の記号発信はただ一方的ではなく消費者の意識に訴えてはいるが、しかし同じ生産側の牽制契約意識によって消費者を争わせておく領域に焦点を絞っているのだ。その無意識の利用の操作性を検知できるマイノリティ (少数派) を撃退させながら、検知できないマジョリティ (多数派) の分裂化効果へと進むのである。

実際のところ、消費社会はない。あくまでも社会の中に消費や生産、あるいは雇用と使用などが絡み合っているのだ。ある意味、「消費社会の神話と構造」 の普及は 「生産社会の神話と構造」 の側を隠した結果となり、秘密裏の生産側の大衆操作性を延命させる働きをしてきたのである。



社会的多様状況の利用

全くボードリヤールの一般的理解とは、ただ【差異】を基調とした社会学的説明に頼ったために、差異の消費と差異の生産の循環を素描したに過ぎなかった。つまり【社会的多様状況の利用】を見なかったのだ。

社会的に効果ある差異発信とは社会的多様状況に関係していたにもかかわらず、ただ効果ある差異発信について述べ、効果があがらない差異発信に触れなかったのである。というか、効果がない差異発信と効果がある差異発信という 「差異」 によって、効果ある差異発信が働いた社会を説明した形である。

効果ある【差異発信】とは、マジョリティ性の中での差異であって、それが生産側の効果ある記号作りの基本となり、そのマジョリティ性を考慮している記号へ消費者が群がって、再度生産計画の基本へと循環する。つまり囲われたマジョリティ性の中での差異が強固されるのである。



その傾向は、AKBじゃんけん選抜に象徴される。

それは従来の一般消費社会へ向けた個人的差異 (個性の記号) ではなく、囲われたメンバーとファンの中での個人的差異体系 (組織内差異の記号) を一般消費社会へ向けたのである。AKBじゃんけん選抜を生産した側は、まさに囲われた中での効果ある個人的差異の競争体系を計画したのであり、一般社会の個人的差異との間に 「差異」 を作ると同時に、しかも他の生産ライバルとの間にも 「差異」 を作ったのである。

じゃんけん競争を舞台化させたことは、競争させる人 (舞台設定計画) と競争する人 (採用されるため舞台従属) の階層化を表す記号発信であり、競争する場所をじゃんけんという囲われた体制内で集中させることによって、自らの裏事情から関心を反らす役割さえ担っているのである。

また一定数のファン消費者が求めるにいたったのも、「消費社会の神話と構造」 は広まった一方で、「生産社会の神話と構造」 が進められなかった生産計画意識についてのノーマークによる結果であろう。メディアが話題に取り上げるのも、競争させる人 (舞台設定計画) と競争する人 (採用されるため舞台従属) の階層化の中、話題に取り上げることで自らが競争させる側に入り込める気分になる仕組みにある。



もはや記号の発信の社会的効果について、解釈できる人々とできない人々の人数配分とその社会的構造が計算されている。自らが不利にならないところで熱く競争させる者、またそれにあやかり熱く競争するふりをして支え支えられる者、そして自分だけではないことの雰囲気で素直に燃える者など、多様な人々が社会を覗き合っているのである。


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  1. 2011/12/14(水) 19:49:51|
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