思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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心理学者に潜むイデオロギー

マンハイムの 「イデオロギーとユートピア」1929 とは、政治社会についての見解を中心に虚偽イデオロギーを考察した本である。それはある特定の意見を持った人々を、【虚偽イデオロギーで被われてしまった人々】と解釈されている現実を問題とした知識社会学である。

そこでマンハイムのような政治社会の領域だけではなく、それをもっと人間心理についての見解まで拡張しようと思い立ったのが、ここでの問題意識である。



たとえば戦後の日本における資本主義を正統とする側からなされてきた判断解釈には、マルクス共産思想のイデオロギー性があった。それはマルクス主義の側だけに 「イデオロギー」 というレッテルが貼ったものであり、そうしたレッテルの貼り方についてマンハイムは【イデオロギー概念の特殊的把握】と呼んでいる。

まさにマンハイムはレッテルを貼られた側の特質ではなく、レッテルを貼る側の特質について考察していた訳だが、その虚偽意識という意味での 「イデオロギー」 を一部の敵方のみに適用させる方法を【イデオロギー概念の特殊的把握】と呼んだのである。



さて、そうした他者が抱いている知識についての判断解釈とは、政治社会の分野に限らず心理学の分野にも浸透しているのだ。

特に精神医学と呼ばれる分野は見苦しいほどである。患者や被験者を好き勝手なまま一方的に【イデオロギー概念の特殊的把握】で片付けるのである。

と言うのは、患者や被験者が抱いている考えや思いは、ただ精神医学の側から一方的に、イデオロギーのような虚偽意識として判断や診断がなされ、そして是正されるべきものとして把握されるからである。

しかしよく考えれば、精神医学の側が判断する理論内容こそ、実は虚偽意識 (イデオロギー) ではなかろうかという疑念があるのだ。いや少なくとも、双方に異なった形での虚偽意識を認める必要性があるにもかかわらず、精神医学はそれを踏まえないまま、のこのこと自分の側を正当としながら一方的に他者解釈をして来ているのである。

要するに現代精神医学でなされている【イデオロギー概念の特殊的把握】とは、他者の考えを虚偽意識として調査しながら、自らの調査結果には全く虚偽意識を見ようとしないのである。



古くはソクラテスの【無知の知】では、他者に無知や虚偽意識を見ながら、しかも自らにも無知と虚偽意識を見ていた。またデカルトの【我思うゆえに我あり】も、すべての人々が抱いている意見に虚偽意識を見て達したものであったのだ。

そうした【無知の知】のような自他双方に虚偽的イデオロギーを見ながら把握される判断解釈を、マンハイムは【イデオロギー概念の普遍的把握】と呼んでいる。

(特に 「イデオロギーとユートピア」 1章の2節から7節が重要である)

まさに虚偽意識とは一部の人々にあるのではなく、懐疑論や不可知論が示すとおり程度や分野のちがいはあれ、普遍的にすべての人々に行き渡っている。



そこで人それぞれの世界の解釈の仕方に注目したディルタイの世界観学を問題としたいのだが、それは普遍的イデオロギー性を認めた上での知識形態論を示したようなものである。

フランスの社会学者コントは宗教的知識、形而上学的知識、実証的知識と【発展段階】を示してしまっいましたが、ドイツのディルタイは【形態論 (相対主義) 】を示し、歴史上もしくは現リアルタイムの実際の人々が抱いている世界観 (思考パターン、思考形態、解釈図式) を問題とした形でした。

そうしたディルタイの相対主義にたいして新たな問題提議をしたのが、現象学で有名なフッサールの 「厳密な学としての哲学」1911 です。現象学における【判断中止】も普遍的にすべての人々に潜むイデオロギー性を自覚させる一つの方法と言えますし、【意識の志向性】には世界観の多様化 (ディルタイの相対主義) が関係していたと見なせます。



要するに、今日に至るところの 「私解釈する人、彼解釈される人」 気分にある精神科医たちは、ただ一方的に被験者の考え方のみにイデオロギーを見る【イデオロギー概念の特殊的把握】を行ってきているのであります。

確かにドイツではフォイエルバッハがキリスト教知識、ニーチェが道徳知識と、それぞれの知識にイデオロギー性を見始めていた訳ですが、しかし実証主義の立場から他者のイデオロギー構築の心理を説明し広め始めたのはフロイトからであって、後に続いた人々たちも彼を持ち上げつつ、精神分析する側の特権である【イデオロギー概念の特殊的把握】を守るために【イデオロギー概念の普遍的的把握】を押しのけては、それぞれ自らの小手先開発で精神医学の発展を演出してきた訳なのです。

イギリスの懐疑論からドイツのカントと【イデオロギー概念の普遍的把握】へ向かって行ったにもかかわらず、フランスの実証主義から専門家たちによって【イデオロギー概念の特殊的把握】が割り込んでしまったのです。



なるほど、すべて人々が抱く知識が虚偽的イデオロギーであるならば、「なおさら虚偽しかない状況の中において信憑性が高いのは専門家の見解にある」 という理屈が生じる。

しかし知識社会学の立場から見れば、虚偽的イデオロギーの社会的影響が大きな現実解明の関心を占めるのであり、その信憑性を獲得されている専門家団体の社会構造、あるいはそこから発信されている心理学理論自体の社会的影響を示す立場が必要とされるのである。

時代はフロイトの台頭によって形而上学を理解しない実証的な理論説明が優勢となってゆき、アメリカのプラグマティズム (実用主義?) も、理論支持の集客に効果がある【理論発表の自己工夫】へと意味が変貌して行ったようなものだ。つまり【自己と知識所持】の関係を見ない【自己工夫の自我】の審査員となった心理学者なのである。

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  1. 2011/12/03(土) 06:36:13|
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