思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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日本自然主義の特質

ルソー (1712-1778) は 「自然に帰れ」 と言ったが、それは作為的な文明 culture にたいする無作為な自然 nature への回帰を呼びかけたものであった。

文明 culture の語源には農業生産力を高めた耕作の意味があるが、ルソーは冶金による農機具から発生した不平等の恒常化を考察し、部分的階級の作為優位にたいして自然を示した形であった。

どうやら自然主義の呼称が広まったのもルソーと同じフランスからのようであり、フランス文学界における写実主義 realism を受け継いだゾラの 「実験小説論」1880 に由来する。そして生理学者ベルナールや社会学者コントの実証主義 positivism の影響と合わさり、自然科学のような法則性を人間生活に見ようとしたのが自然主義の理念であろう。

こうしてルソーの場合は【作為的文明にたいして自然を対置させた】が、文学の自然主義では【写実主義からの自然科学導入】となっている。そのちがいは 「不自然」 の捉え方に現れる。ルソーは人為的社会に不自然を見たが、文学界では異常に不自然を見たのだ。

しかし直接的に文学界の自然主義の中に、異常についての不自然が示されている訳でない。自然主義文学の浸透により 「自然的人間性」 のイメージが人々へ植え付けられ、その 「自然的人間性」 が定められたことから 「異常である不自然」 のイメージも同時に発生したのであろう点にある。

「自然」 と解釈されたものとは、発生の特殊な原因を問わないリアルな事柄として写実されたものであり、一方のリアルでない 「不自然」 を、自らが設定した 「自然」 を基準として判定するようになったのだ。そして使い慣れた因果律の使用を 「不自然」 の解釈へ集中させてゆくようになったのである。

「不自然」 ではなく 「作為」 に 「自然」 の対置を求めたルソーは、部分的な作為の原因を冶金の発生を求め、現在の不平等の状況を説明したが、文学的自然主義の場合は、現在の 「不自然」 の原因を自然な人々へ解説するために解明しようとする方向へ雰囲気を向かわせたのである。



また日本の文学史でも、フランスを参考にした自然主義文学が位置付けられた。

島崎藤村 「破壊」1906、田山花袋 「蒲団」1907 が自然主義作品の代表作にあげられる日本文学史だが、それにたいして森鴎外や夏目漱石は ――― 後々ではあるが ――― 反自然主義の部類に位置づけられるようになった。

加藤周一は 「日本文学史序説」 にて、上京組の自然主義と表現した。つまり反自然主義のドイツ鴎外とイギリス漱石に、留学体験組の特質が意味づけられることとなり、日本で解釈されていた 「自然」 が、日本独自に解釈された 「自然」 である点が問題視されたのであろう。

結局のところ加藤周一は、日本文学の自然主義がルソーの 「あるがまま」、「無作為」、「無技巧」、「天地自然」、「田園的」 の方向にあって、フランス文学史の自然科学の対象としての自然とは異なっていた点を指摘した。



また鴎外や漱石と同じく反自然主義に分類される白樺派も、漱石の 「それから」1909 に準拠していた。武者小路実篤は 「それから」 の評論にて、「自然に従ふものは社会から外面的に迫害され、社会に従ふものは内面的に迫害される」 と【自然の力】に【社会の力】を対置させたのだ。

日本の自然主義とは、自然の力を発揮しようとした青年期を通して社会の力を学ぶ私小説で、そして社会の力に出会ってからも自然の力を発しようとすることは不自然と見なしていく雰囲気を作った。

自然主義は社会の力から学んだ。しかし反自然主義は社会の力に挑戦し調査しようとしたのである。



昭和に入ると小林秀雄が 「私小説論」1935 にて、フランスとは異なる日本の私小説化した自然主義を説明している。フランスではルソー 「懺悔録」 の私小説とゾラの 「実験小説論」 の自然主義の両方を踏まえ新たなジッドの時代にあったが、日本は田山花袋のモーパッサン理解によって私小説的自然主義の方向に進んだと説明されている。



「自然」 という解釈は、それぞれの地域文化によって異なり、時代によって異なっていた。そして特殊な自然観を拠点を基に、順次時代変化させて今日の日本における世界認識がなされているのである。

西欧では全体社会にメカニック (力学) という自然を見ようとしたが、日本では中村正直が訳したサミュエル・スマイルズの 「西国立志編」1871 より自助的な力学に自然を見たのだ。まさに日本の自然主義が私小説的傾向に落ち着いた歴史が示すとおりなのである。

日本では全体内の個々として見ず、個々の活動による全体の結果を見ようとしないのであり、ただ全体のために貢献しているか伝統的理念から互いを評価し合って、全体社会の動きを新たに認識する方向へは向こうとしないのである。

そして今や、各人が漠然とした匿名社会に効果がある自己工夫された意見発表で競争している。



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  1. 2011/11/28(月) 21:33:49|
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