思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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ノルウェー襲撃事件の見方~心理ではなく思考~

ノルウェーで労働党員たちを狙った襲撃事件が起こった。何やらそこには移民の政策に動機の一因があったとされるが、その件について吟味しておきたい。

まずは移民者へ向けられた殺意ではなく、その移民政策をもとにことを進める与党労働党の青年支持者に向けられた殺意であった点であるが、それはノルウェー社会における歴史についての考え方に注意する必要がある。どうみても実行犯の彼は時代変化から独り隔離した状態にあったと考えてよいと思われるが、その状況を把握するためには、ノルウェーの全般的な社会風潮としての、何の苦もなく時代変化に合わせていく人々と保守的にものを申す人々とがどのような考え方で意見を示していたかという点について、もっと詳しく調べる必要があるのだ。

きっと安上がりの犯罪解説の心理学者たちは、実行犯の犯罪にいたった経緯を "心理" によって説明するだろうが、そうではない。実行犯の "ものの考え方" と周辺他者の "ものの考え方" の歴史的経緯を調べるのが新たな心理学の仕事とならなければならない。なるほど、事件が起きたからその現実解明に心理学者たちが乗り出して意見を述べるのだろう。しかし実際は、【そのような心理学的解説をする風潮であったから事件が起きた】という観点が必要となる時代が来ると予言しておく。

現代の犯罪についての心理学的解説なんかは、結局のところ現実解明ではなく、事件に便乗した大衆無知の利用に過ぎない。現実解明とは、心理学者自身を含む全体的社会状況の歴史的経緯まで含まなければ明確にはならないのである。犯罪者という個人に原因を求め、そしてその原因を監視していくことに未来を描ければ、ひとまず大衆に向けた仕事として認められるのが心理学的解説なのである。

そのような犯罪解説の心理学の実態とは、実は個人個人の【不満発散衝動の抑制】あるいは【不満衝動なき自分の幸せ】についての人々の考えを喜ばせる効用があるだけなのだ。犯罪解説の内容に関心を向けてばかりいないで、【犯罪解説を聞かせている現実】に注意を払ってもらいたい。

言い換えれば、それは【自らの苦労の誇示】と【自らの幸せの誇示】をくすぐるのである。犯罪者を見ては、苦労の正当化と解釈しながら自らの苦労克服を褒め、不器用な不幸と解釈しながら自らの華麗なる幸せを褒めるのであるから、いつまでたっても社会観や歴史観が進展しないのである。つまり巷の犯罪解説とは個人個人の苦労観や幸福観をくすぐりながら社会観や歴史観を隠す効用しかない。

社会状況や歴史経緯に触れない犯罪解説とは、言論の自由を利用しながら大多数が嫌う事柄につけ込んだ自らの人物評価発信の箔付け行為である。そのため今後は長い歳月がかかるだろうが、事件解説の際には社会状況や歴史経緯について説明する必要性が求められるようになるだろう。また心理解説ではなく、思考解説に重点が置かれるようにもなると言っておきたい。と言うのは、今回のノルウェーの事件のように、様々な思考をする人々の集まりが社会であって、実行犯が周辺他者との思考から取り残された結果と見なせるからである。実行犯が始め警官を装い青年労働党員を集合させたのは、効率よく射殺するだけの目的だったのではない。おそらく権威あるものになびく集団性への復讐を感じていたためと思われる。新たな移民受け入れに人々がなびいたゆえに自らが取り残されてきたとイメージされ、それにたいして復讐の殺意が向けられていたのだろう。実行犯は新たな移民政策のみへの思考による団結にたいして、取り残された自身の家父長制度への思考から事件を引き起こしたのであり、あらゆる様々な人々の、そして複雑な各個人内の様々な思考が絡まった結果と見る必要性がある。

幾つかの犯罪解説を聞けば、犯罪者の思考について解説してみせるものも少しくらいはあるにはあるが、周辺他者の思考の関わりまで触れようとはするものはほとんどないのだ。その触れない理由の一つには、犯罪を弁護しているかのように思われてしまう危険性があるからである。つまり第三者が訴えても説得力がなく、被害者たちが間抜けな犯罪解説を憎むまでは、さほど事態の進展は期待出来ないことを意味する。

しかし仮に被害者のみが訴え始めたとしても、充分に事は進まないだろう。たとえば松本サリン事件に関係した河野義行氏が被害者家族として犯罪にたいする新たな提議を起こしたが、たいていの人々たちはたいした反応もせず他人事であって、専門家の意見も犯罪発生の追究領域へ向かったとは言えず、マスメディアも河野氏の意見をただ伝えるに留まったからだ。昔の被害者感情としては 「今後、同じことが起きないこと」 の訴えがまだあった方だったが、加害者側の罪の意識が減ったことなども合わさってか、ちがった方向へと関心が向かっている。ただ逆に考えてみるならば、加害者の罪の意識の減退とは、犯罪解説の社会観の軽薄さにたいして実行犯からの挑戦や諦めが先取りされていたからなのである。犯罪解説者たちは実行犯にその犯罪解説の先読みがある点について指摘してはいたのだが、その自らの犯罪解説では未だに認識されていない現実領域にたいしてあまりにも無頓着であった。

全く彼らは言論の自由のもと、ただお呼ばれして語っただけであったのだ。しかし 「心理学者」 の名で語っていたのであるならば、彼らは積極的にその後の犯罪づくりに手を貸したことになる。実際の社会的要因を進めず、心理学の名という権威を借りて自らの出番を獲得してだけであって、その後の犯罪低減をまともに果たせなかったからである。嫌みを言わせてもらえば、犯罪解説の心理学者たちのような権威の名を借りた 「現状では仕方がないじゃん?」 的な安楽椅子を、広く平等に人々にも分け与える提案ぐらいはする義務があったと思う。

ともかく河野氏には多かれ少なかれ、犯罪心理学者よりは犯罪者側の過去には何らかの特殊な経緯があったことへの配慮があり、その配慮の社会的必要性も示唆していたと思う。もっとも始めは犯人扱いされたのであるから、解説者の事件につけ込んだ自己進出性を感じていたことと思われるし、もっと言えば、そんな社会風潮であるから中には犯罪者の道へ導かれてしまう人々も出ても仕方がないといった思いもあったのかも知れない。

まあ~、たいていの人々は自分が被害の当事者になるまでは他人事であるから、とぼけた心理学者が職業選択の自由と言論の自由で御活動できてきたと言うことで、またそんな社会状況と見ている実行犯たちですから、とぼけた心理学者を真似た供述をするようにもなっている訳です。そして被害者たちも、そんなとぼけた実行犯を憎んでは重罪の要求をすることしかなく、現実認識の方は進展することがありません。ただとぼけた犯罪解説の心理学者たちは、のこのこと安上がりの心理学理論で伝統的仕事を確保できるのですから笑えます。

要するに、人々の向ける不満の矛先が社会を作っているのだ。ほとんど人々は、実行犯は悪いことをしたが、心理学者は頼りないが悪いことをしていないと思っている。しかし実行犯も心理学者のように頼りなくとも安楽椅子を持続できる立場であったならば、その悪いことをしなかったであろうことに気付いていないのだ。全く不満の矛先が向けられることがない心理学者たちは、そんな自らの立場を心で喜んでいるかいないかを、よく人々(特に被害者)が見れるようになれば、世の中も変わってくることでしょう。

そんな訳で、ノーベル賞(平和賞)の開催国のノルウェーは、新たに心理学部門でも作って【心理学の社会的影響】についての研究者たちを表彰し始めれば、お馬鹿な心理学者たちの 「現状の学問状況では仕方ないじゃん?」 的な利権体制を改革したと言うことで、今後の世界情勢に大いなる貢献を果たせるかも知れませんね。



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  1. 2011/07/27(水) 21:14:14|
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