思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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日本語の閉母音体系 ~日本語とローマ字の相対性理論~

日本語の母音

おそらく日本語の母音と聞けば、「アイウエオ」 の五つと思い浮かべるのが通常である。ローマ字表記ならば、「a i u e o」 である。

もう少し考えを進めれば、「ヤユヨワヲ」、つまり 「ya yu yo wa wo」 が、「ia iu io ua uo」 の母音の組み合わせと見なすことも可能ではある。

さて問題は、外国語と出会った日本語の母音である。いや詳しくは【母音イメージ】と言い直した方が正確なのかも知れないが、要するにローマ字表記の 「si ti tu zi di du」 を、日本語では 「スィ ティ トゥ ズィ ディ ドゥ」 と代用表記させることに日本語に独特な母音イメージが隠されています。

たとえば "di" の "ディ" 表記とは、"d=デ" と "i=ィ" と解釈され、子音 d に母音 エ の残像をイメージした表記なのである。つまり "di" に二つの母音をイメージしている日本語である。

日本は明治維新以降、優れた西欧文化と見たのか、ローマ字表記を人間の発する普遍的な発声形態を表わせるものかのように考えるようになった。そのためローマ字表記の基準から計って日本語のサ行やタ行などにズレを感じるようになった訳が、しかしその日本語のズレだけを確かめるだけで充分なのであろうか?

なるほど日本語のカタカナや平仮名は、子音と母音が組み合わさって一文字になっているため、他言語の発音を表記にするにはぎこちない感じはするし、比べることローマ字の方が、日本語の 「シチツ」 を 「shi chi tsu」 と言うように、いとも簡単に表記してしまったからそう考えてしまったのも仕方がなかったとは思う。

しかしそれは発音表記に優れていたという、かなり特殊な問題に限定されたものに過ぎないのである。「タチツテト」 を 「ta chi tsu te to」 と表記できたところで、日本語のタ行自体に脈づいている子音基準が全く見えてこない点が忘れられているのだ。決して日本語は t音を誤解してタ行を作ったのではない。日本語には t音とは異なった別のタ行そのもの自体を作ったのであり、その日本語のタ行の基準からすれば、「ta ti tu te to」 が 「タ ティ トゥ テ ト」 と見なされる点にも気を配らなくてはならないのである。

つまりアインシュタインの相対性理論を借りれば、ローマ字慣性系から見た日本語のローマ字表記に偏り過ぎて、日本語慣性系から見えるローマ字の様子に充分な関心が払われていないのであって、何やらローマ字を絶対的な座標系に据え置いている感じにあるのだ。



「ティ」 「トゥ」 「スィ」

日本語の同一子音でまとまった行の中でローマ字表記との変則性を見せるものには、たとえばサ行にイ段の一つ、タ行にはイ段とウ段の二つがある。つまりタ行の方が規則性から遠く離れている。そのタ行の 「ティ」 「トゥ」 から母音だけを残すと、「ei」 「ou」 となる。英語のアルファベット読みを利用すれば 「A エィ」 と 「O オゥ」 であり、それぞれ口を横開きした開音エから閉音イと、口を縦開きした開音オから閉音ウである。

実際に発声して見ればわかるが、「ティ」 「トゥ」 の発音について、「テ」 や 「ト」 のような e や o の発声は関係していない。では何故そのような日本語表記になるのか。それは閉音にあるイ段とウ段の即時性と子音残りの相違と思われる。日本語からすれば ti と tu には何か【母音発声までの微小な時間に子音残りを感じる】ため、そのそれぞれの閉音に対応する開音が表記される形となったのだ。

一方の開母音にあたる 「タテト」 の場合は、子音から母音へ移る際には、閉じ気味な口から開く母音発声へと向かうため、子音残りを感じさせないのである。逆に言えば、子音残りに向けられていた意識が開母音への移行の方へと移されているのである。つまり閉母音のイ段とウ段の時には、開く動作が少ないために舌の子音残りの時間の方を強く感じてしまい、その子音残りの時間に 「テ」 と 「ト」 に象徴させながら、それぞれ本来の母音 「ィ」 と 「ゥ」 を添えた表記となっている。

おそらく日本語では、子音残りを感じさせない形にするために 「チ」 と 「ツ」 になったのである。サ行については、si はタ行のような 「セィ」 ではなく、「スィ」 の形となるが、それは日本語では一般的な外来語の子音終止にたいして、最も口の開きを必要としない u音が当てはめられることによる。back は 「バック」 であるし、if は 「イフ」 、com は 「コム」 である。-s も 「-ス」 や 「-ズ」 となるウ段適用にあるため、si は 「スィ」 となり、タ行ウ段が 「トゥ」 と変則になったのにたいして、サ行ウ段は sの u音適用にあるためにそのまま規則内におさまった 「ス」 となっている。( t と d は、子音終止において u音適用されない点でも、日本語においては他の子音と比べて特殊な子音なのである。start は 「スタート」 であるし、heart は 「ハート」 となる。)

やはり si の発声には、何か舌の移行時間に子音残りか感じられるのであり、イ音による横開きに若干の開音化が認められても、子音残りの印象を消せるまでの母音の開音化には及んではいない。つまりイの発声はアエオの開母音には遠く及ばず、所詮ウ段と等しい閉母音の仲間のため、「スィ」 となるのである。



子音閉音性と閉母音との接点

韓国語を母国語とする人々は、はじめ 「ザズゼゾ」 の発声に苦労すると言うが、それも韓国語に特有な発音体系の結果である。

一つ目に注意したいことには、韓国語では [k・g] [t・d] [p・b] [ch・j] の組み合わせがなされているのに、何故か [s・z] の対応だけがないのである。k t p ch はそれぞれ有声音化の g d b j が対応し、かつ激音という子音も対応している。しかし s のみが有声音化 z を持たず、激音もないのだ。

韓国語で ザズゼゾ の発声が困難なのは、s の有声音化 z がないことと、[ch・j] を基本子音にしたことによる。そして韓国で [ch・j] が基本子音に含まれていることについては、ロシア語の [ч・ж] と類似する。(ただしロシア語で [ч・ж] の対応がなされているか否かは問題外) それらは日本語においては、 チャ チ チュ チェ チョ、ヂャ ヂ ヂュ ヂェ ヂョ と i音が含まれた子音イメージとなる。

さて日本語の 「ヤユヨ」 と 「ワヲ」 は、それぞれヤ行とワ行として子音 y と w がイメージされている訳だが、韓国語では母音として表記される。日本語もしくはローマ字のヤ行 y とは i の子音化であり、ワ行 w とは u の子音化とたとえられるが、共に閉母音の二つである i と u なのである。要するに子音自体に閉音性が特徴づけられているために、閉母音にあたる i と u が子音化されるようになりえたのである。

日本語では【子音の閉音性】と【閉母音 i u】を結びつけた発音体系にある。そのため子音の単独音に微弱な閉母音の u (時には i) をイメージするのである。そのため韓国語のような [ch・j] のような単独子音は生じぜず、閉母音 i音を含めたチもしくはヂからの母音付加として、チャチュチョ や ヂャヂュヂョ と表記されるのである。

逆に言えば、韓国語は ya yu yo wa wo などを母音とイメージしているため、子音に閉音性をイメージすることがないし、そこに閉母音との隣接する共有領域を感じないのである。またローマ字表記について言うならば、確かに日本語のように閉母音の子音化の y と w の使用にはあるが、しかしそれを子音の閉音性と閉母音の共有領域の産物とイメージしていない点では韓国語と同じである。つまり一般的にローマ字表記に日本語にはない緻密な発音体系を感じる風潮があるのだが、実は日本語の方が y と w における【子音閉音性と閉母音の隣接領域】が整っているのであり、他の子音にも y や w のように何らかの超微弱な閉母音との親和性がイメージされているのである。

確かに日本語では単独な子音自体に閉母音の u もしくは i の微弱音との親和性を見ていると思われる。ただ例外として鼻音 n の 「ん」 のみがあるが、それ以外の子音の場合は、単独で発声する際に何らかの息を必要することを意味し、そこに超微弱な閉母音のイメージが含まれているのである。



h音の役割

日本語のタ行とサ行におけるイ段 ti と si の例外について考えてみよう。日本語ではそれぞれ 「チ」 chi と 「シ」 shi と表記されるが、それは h音の前方子音に含まれている微弱な閉母音の無音化(i音化)の特質を意味しているように思える。日本語において 「シ」 shi になったのは、s 自体の子音閉音性に微弱な閉母音 u がイメージされているため、その閉母音 u を無音化(i音化)するために si の間に h が入り込んだ形なのである。

「チ」 chi についてはなかなか難しく定かではないが、おそらくは [s・z] ではなく [c・z] の方に対応させた ci であろう。つまり 「スィ」 si と 「ズィ」 zi ではなく、「ツィ」 ci と 「ヅィ」 zi の対応から、子音 c の閉音性に親密性がある閉母音 u を無音化(i音化)するために h音が入った結果であろう。実際のところ、ローマ字自体とはそれぞれの一つ一つの文字に厳密な発音が位置づけられている訳ではなく、幾つかのパターンでそれぞれの文字を位置づけて幅を持たせているのである。



日本語の特殊性

日本語のタ行がローマ字 t と異なっているのは、日本語側に単独子音と閉母音との親和適性の判断基準が働いていた結果であろう。実際に単独子音と閉母音自体に関係あるのか、あるいは主観的にその関係性に判断基準が働いているのかは難しいところだが、日本語には【子音と閉母音の関連体系】が働いているのである。

タ行が t音と一致しないのは、子音 t が閉母音らと相性が合わず、双方の u と i の場合に若干の遅れを感じることにある。s の場合も閉母音と相性が合わないが、s 自身は閉母音 u と親近性があるためか、i のみが若干遅れるのである。

これは全くの日本語だけが勝手に決めた基準による結果であろうか?おそらく日本語は [si・shi] や [ti・chi] の対応について、他言語には少ないサ行とタ行という独特のパターンから異なる角度から見ているのである。ローマ字から見れば変則であっても日本語から見れば変則ではない。

日本語のサ行とシャ行は 「シ」 で直交し、ザ行とダ行は 「ジ、ヂ」 と 「ズ、ヅ」 で合流する。しかしローマ字の体系では、s列や sh列、z列や d列がそれぞれが並列に並んでいて交わることがない形である。確かに交わったり合流しているため、日本語の側は発音領域が縮小された形ではある。しかしその直交と合流とは、ある言語体系に支えられた結果であって、並列状態にあったそれぞれの列なり群の橋渡しをする役割が隠れているのである。

簡単に言って日本語は閉母音と子音の関係によってローマ字とのズレを生んでいる。特に 「s t z d」 の子音に閉母音 i と u のアンバランスを認めたのが日本語なのである。また日本語に限らず、あらゆる言語にも様々な規則が含まれているのであろう。つまり発音形態とはその言語体系の中の規則によって系統づけられているだろうから、必ずしも様々な言語の発音に応用できる包括的な発音記号なるものには期待できない領域も横たわっているのだ。いくら日本語の 「ツ」 を素晴らしい発音記号によって様々な母国語の方々へ説明するよりも、「タチツテト」 という規則が実感できなければ、tsu という発声の個別な説明のみではあまり意味がないであろう。



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