思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

王権神授説と社会契約説 ~議会と革命~

レヴィ・ストロースは 「悲しき熱帯」1955 の終盤にて、契約や同意とは、社会的集団生活の第一次的原料であって、イギリスのホッブズ、ロック、ヒュームの主張する自然状態の闘争を回避するための二次的な形成ではないと述べている。ストロースはフランスのルソーが言う、【全体の意志のために個人がその固有の自律性を放棄すること】に、より普遍的な社会現象を求めていたのである。

イギリスの社会契約説とフランスの社会契約説のちがいは、自然状態の見方のちがいにあるように思われる。イギリスでは原始的な自然権を持っていた各人が互いに闘争するにいたることを自然状態と見なし、その自然状態を回避するために君主制なり共和制と契約したと考えるのである。つまり【意図的】な契約が発動されるまでの最終段階にあたる闘争状態を【自然】と名付けたのだ。

しかしルソーの場合は、自然状態を自利に励むかのように表現したホッブズにたいして、その自然状態が後天的な社会的格差の結果として、「不平等起源論」 で示した訳である。つまりイギリスの意図的契約以前までの自然的推移にたいして、ルソーは自利もしくは個人的な自然権が意識的に働く以前の自然へと遡ったのである。

イギリス社会契約説では、国家的体制までの自然状態で自然権理念が働き始めた領域は、ほとんど問題とされず、当時の王権神授説にたいする反論に留まっていたのである。そのため未開社会を探求していたレヴィ・ストロースにすれば、より初期段階を問題としていたルソーに味方したのは当然であったと言える。実際、ルソーの 「不平等起源論」1755 は、やがてモルガンの 「古代社会」1877 やエンゲルスの 「家族、私有財産および国家の起源」1884 へとつながる、未開から文明への推移過程を考察しようとする社会学的な解釈図式を用意していたため、やがてストロースがイギリス社会契約説よりもフランス的な社会契約説に汲みしたのも尤もであった。

なるほど、人間社会には未開社会を含めて、無意識的な契約や無意識的な同意が働いてきたと言える。それは言い換えれば、社会の成員の各人が何らかの人物評価を発していたことを意味する。未開社会の首長も集団から評価され、王政も民衆に評価されてきたのである。逆に言えば、イギリスの社会契約説はあまりにも意図的な契約や自然権の主張を大きな問題としすぎたため、未開社会を考察するには不向きであったのである。

しかしフランスの社会契約説は、ルソーの 「一般意志」 とか 「全体意志」 という用語によって、奇妙な社会の実体化(物象化)へ導く傾向にあった。それはデュルケームの 「集合意識」 や 「集合表象」 を生んだ物象化でもある。デュルケームは集合内の人々の動きを細かく調べていくことを避け、ただある社会現象と人々の意識の持ち方についての説明を人々に聞いて貰えればよかったのだ。しかも集合的結束を最優先させる人々に重宝されながら、同時にそれに合わない人々にたいしては社会的事実がわかっていないと示唆しながらである。まさに意識が個人にあることを主張する人々を抑え込む、そんな集合意識を作った理論であったのだ。

ストロースの方法にもデュルケーム的な物象化の傾向があった。実存主義や現象学からは直接扱えなかった社会構造を考察していた点は評価できるのだが、しかしイギリス社会契約説のように、各個人が自然権を主張しながら自分の安全にもつながる社会保全のための契約発動する意識(他者の発動も見ながらなされる)が省かれているのである。

未開社会の首長は集合意識の圧力を受けていたのではない。受けていたのは各成員たちの意識の圧力であり、集合意識と言うよりは、むしろ共有意識と言った方が正しかったのだ。ストロースは、各成員たちが各々集合していることを頼りとしている点を示したかったのかも知れないが、しかし互いが共有していることに各人が頼りとしていたと説明できたのだ。

おそらく 「集合意識」 とは、各人が自分が非難されることを避けるために 「集合」 の名を借りた結果である。もしその非難回避の意識を示したいのであるならば、「共有された集合観の意識」 と言った方がもっと正確な社会学となったであろう。未だかつて集合意識が社会現象を生んだことはなく、集合した社会状況の中で各意識たちが社会現象を生んできたのであるし、せいぜい自らの集合観を参考にしている個人たちがいただけなのである。

フランス社会契約説は 「集合意識」 というイメージを共有させながらフランス革命へ導いたと言ってもよいかも知れない。革命指導者もしくはその周辺は、理念を共有させた活動と言うより、意識を結束させた活動と思っていたようなものである。

比べること、イギリス社会契約説の場合は、政治運動には直接関わってはいなかった。反対に政治運動を見ながら緩和させる方向に議論が働いていたのである。ホッブズは清教徒革命の共和主義にたいして自然状態の闘争を回避するための王政だったと示そうとしたのであり、ロックは王政復古勢力の王権神授説にたいして社会契約説を示していたのであって、イギリスではフランスのように革命活動の理念として社会契約説が働いていた訳ではなかった。

ストロースが民族学の分野で成功したのも、国家的な社会契約にいたる直前のイギリス的な自然社会観ではなく、ルソーのような個人的な自然権が発動する以前の、全体への個人意志の平等的譲与に影響された結果であろう。それは未開社会に限らず現代社会にも当てはまることとして、無意識ではあるが各個人が全体についてのイメージによって活動している点を注視するのに大いに役立ったことだろう。つまり国家的体制以降の社会契約意識に限定されたイギリス的な社会観には至難な領域であり、一方のフランス的な社会観は原始社会から現代社会まで連続して流れてきている、無意識な契約や同意が働いている社会構造を示唆した形であった。

だがモルガンやエンゲルスの未開社会から国家体制へ向かう一つの要因である不平等

未完



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
スポンサーサイト
  1. 2011/07/12(火) 22:00:52|
  2. 現代思想
  3. | トラックバック:0

トラックバック

トラックバック URL
http://gold1513.blog48.fc2.com/tb.php/315-876fdfdf
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。