思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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日本語のタミル語接触説の擁護 ~もしかして 言語学 ~

[なす・なる] と [見す・見る]

日本語とタミル語の研究で有名な大野晋の著書 「日本語の起源」 岩波新書 の対応語一覧表を調べて見ると、興味深い点が浮かび上がった。それは三つの掲載された、「なる」 nar-u 、「なす」 natt-u 、「見る」 mir-i の対応である。

特に 「なる」 と 「なす」 の場合は、日本語の動詞全般に浸透している [-る・-す] の文法体系の原型と仮定できそうなもので、古語における 「見る」 と 「見す」 と共振した形である。もし 「なる」 と 「なす」 の由来がタミル語の影響にあったとするならば、その影響を受けた後もしくは並行しながら、[-る・-す] の文法体系が出来上がったと想定しうるのである。すれば、「見る」 の語源にしても大野氏の説からすればタミル語の影響の下で入り込んだ可能性も高いので、[-る・-す] の文法体系に則って新たな 「見す」 が派生しえたことになる。

(ただし 「見す」 がタミル語側の mir-i から変化した活用形がそのまま日本語へ定着したのか、それとも 「なる」 と 「なす」 から生じたであろう日本語の文法体系 [-る・-す] の応用によって新たに派生したのかの検証が必要となる訳だが、ここでは充分な資料がないため何とも言えない。)

もし 「なす」 のタミル語由来を正当とするならば、古語の自動詞や使役助動詞 「す」 についてもタルミ語由来か否かの吟味の必要性が出てくることになろう。[-る・-す] の日本語体系の特殊性については、語順や助詞などの共通点を持つ韓国朝鮮語と比較してもよい。韓国朝鮮語では 「見える」 poida と 「見る」 poda である。あるいは日本語では 「見る」 「見す」 「見ゆ」 の区別があったために、簡単な音による 「見せる」 と 「見える」 の区別がなされているのだが、韓国朝鮮語では共に poida と簡潔な音の区別は必要されず、他動詞か自動詞かの区別で意味が振り分けられている感じである。

日本語の [見る・見す・見ゆ] には、派生的であったかも知れないが、[-る・-す・-ゆ] の三つの接尾辞的な関係が含まれている。 [-る・-す] は [なる・なす] と並行して整えられたものであり、タミル語との接触に由来している可能性が残されていると言える。

(すれば残りの 「-ゆ] の由来も気にかかり、大野氏がタミル語と対応させている 「栄ゆ」 「萎ゆ」 が関係するのかも知れない。 「栄ゆ」 「萎ゆ」 「老ゆ」 「消ゆ」 の一連の流れにたいして、為す術もなく、ただ 「見ゆ」 ことしか出来ない現実の中、まるで美を求めた 「もののあわれ」 のように思えてくるのが不気味である。)



変化活用文法の対応関係

大野氏は一つ一つの単語の音から、日本語とタルミ語の対応を調べられているのだが、問題は動詞などの変化活用の規則についての対応にある。たとえば 「さぼる」 とは1919年にフランス語のサボタージュから作られたが、それはすでに日本語に確固とした [-る] があった上での外来音の導入された結果である。つまり【確固たる変化規則があった上での外来音のみの導入】か、それとも【外来音に馴染んでからの日本語における音と意味の対応化となった】かに注意しなければならないのである。

こうして各言語内の体系に注目するならば、「なる」 と 「なす」 がタミル語に由来するかしないかは、かなり重要な問題となってくるのだ。今日の日本語における外来語の動詞化 「~する」 などは古語の 「~す」 に由来するもので、「なす」 も一般的動作を意味する自発性の動詞に位置するため、タミル語より導入した 「為す」 の結果から、新たに派生した日本語における 「~す」 の意味付けであった可能性が生じるのである。あるいは自発状況 「~す」 と結果発生 「~る」 の対応関係(たとえば 「見す」 と 「見る」 の他に、「さとす」 と 「さとる」、「起こす」 と 「起こる」 など)さえも、タミル語か導入された結果、新たに派生してきた可能性を含んでいるのである。

お隣韓国の外来語の動詞化は 「~hada」 であり、明らかに日本語とは異なっている。朝鮮半島からの影響よりは、タミル語の影響の方に吟味の余地が残されているのが明白であろう。

大野氏によれば、「上がる」 や 「上げる」 の元になっている 「上ぐ」 についてもタミル語 onk-u と推測されているが、自然的推移の 「~がる」 と意図的推移の 「~げる」 の由来がタルミ語にあるのか、それとも他にあるのかで、日本語の変化規則の歴史的構築状況を探るための大きな一つの指針となりうる題材となっている。(当然、「下ぐ」 の由来についても大きな関心が生じることになろう。)



タミル語と日本語

もし日本語とタミル語に関係かあるとしたならば、同じ原型なる言語体系が分散していった歴史的分化なのか、それとも他の独特の土着言語体系にあった日本語がタミル語と出会ったのかが、大変興味深い事柄になろう。その一つには日本語における [なす・なる] と [見る・見す・見ゆ] の体系や変化規則とタミル語の 「なる」 nar-u と 「見る」 mir-i の周辺体系とその変化規則との比較で、ある程度の親密度が測定できるかも知れない。ただ関連性が稀薄だった場合は、日本語の変化規則の原型が求められる先は、一体どこにあるかが問題として残される。



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