思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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スクラータ人としての心得

わが 「暇人ヴィジョンの端くれ」 のような物の見方をするスクラータ人とは、数の点からすれかなりの少数派となるが、しかしちゃんとした長き歴史があるから心配ない。それは知識社会学で有名なマンハイムの言う 「浮動する知識人」 であったり、社会学者のパークやシュッツたちが扱った 「マージナル・マン」 である。特にマンハイムの場合は、互いに相手方の考え方をイデオロギーと揶揄し合っている状況を見ながら、充分に双方の集団から距離を置いて観察し、自身のイデオロギー性の点検にさえも注意を払う必要性を説いていたのである。

まあ~難しい分野から離れれば、スナフキンやルパン三世も同じスクラータ人の仲間なのだ。スナフキンはみんながそれぞれの意見を主張している状況を漠然と観察しているムーミンの相談役であったし、ルパン三世は同じはぐれ者である次元や五右衛門を手を組んだ華麗なるスクラータ人たちであった。

ただしエヴァンゲリオンの碇シンジは、スクラータ人ではない。彼は周囲の人々に振り回されていることに気付かず、彼ら世話焼き階級の解釈に埋もれることで自分の輝く役割としてしまったからだ。むしろクレヨンしんちゃんや名探偵コナンくんの方が、ずっとスクラータ精神に富んだキャラである。

(余談ではあるが、現政治家たちも毛利小五郎のように肝心な場面ではゆっくり眠って頂き、華麗なる裏方のコナンくんに仕事を任せてもらった方が、ずっとよい方々なのである。しかし結局は、裏方に回るのも利権まみれの各諸団体となってしまうであろうから、全くどうしようもない日本である。ここは首を長くして、華麗なるコナンくんみたいな裏方秘書が現れるのを、じっと待つしかない日本国民である。)

実際のところ集団的知識とは、集団化の中の身内の認め合いによって役立っているにすぎない。その集団的知識の行く末とは、たとえば全体主義やらファシズムへと変貌する可能性を多々含んでおり、それを阻止しうるのは、反対のつまはじきにされている役に立たない知識の側なのである。

だから我らスクラータ人は、みんなの役立つ知識によって自らがやられないよう充分用心しながらも、なおかつ集団的な危険性の回避を目指し、今からでも役に立たない知識を広く整理する任務にあたらなければならないのである。もしコナンくんを見習うならば、彼には肩書きがなく、そのため肩書きがある毛利小五郎を利用できるよう、ただ一人特殊な知識を積んで行かなければならないのだ。中には肩書きお馬鹿もいれば、「肩書きは?」 の質問お馬鹿と、色んな種類のお馬鹿がいて、さらにその連携体制までも監視しなければいけないから、大変だ。

全く誰に頼まれた訳でもない、そんな得体の知れない任務を引き受けてしまったものだが、一旦引き受けてしまった以上は、コナンくんのように出来る限りのことはしなくてはならない。そんな役回りとなりそうだが、敵は近い。スクラータ人一同、それぞれの配置で待機準備せよ。

以上、敬礼!



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  1. 2011/07/08(金) 11:43:59|
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