思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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ドラッカーの周辺 ~亡命ユダヤ人たちの社会観~

マネージメント論でお馴染みのドラッカー(1909-2005)は、オーストリア生まれのドイツ系ユダヤ人で、1933年イギリスに渡り、1937年にアメリカへ移住した。1932年と言えばナチス党が第一党となった時代であり、同じく現象学的社会学のシュッツ(1899-1959)や フランクフルト学派のフロム(1900-1980)やアドルノ(1903-1969)、それにアイデンティティ論のエリクソン(1902-1994)らもユダヤ系の生まれのため、それぞれ1939年、1934年、1938年、1933年にアメリカへ渡っている。

彼らドイツにおけるユダヤ系の人々たちは、当然、ナチスのユダヤ人迫害の全体主義的な時代風潮に関心を向けざる負えない立場にあり、フロムの 「自由からの逃走」 1941 は、その基調となった関心からの一つの帰結であった。それは【部外者を排除する集団的団結性】を示すものであり、ベルグソンの 「閉じた社会」 やサムナーの [内集団・外集団]、「エスノセントリズム」 に隣接する観点にあったと言える。実際、フロムの場合は、個人的自由からの逃走によってエスノセントリズム的な閉じた内集団結束となってしまったナチスドイツと見ていた訳である。特にエリクソンの場合はユダヤコミュニティとドイツコミュニティの双方から差別を受けていたため、閉じたエスノセントリズム的集団の社会的点在状況を見ていた人物であり、個人的な心理学問題のアイデンティティ論へ辿り着いている。

さらにサムナーの [内集団・外集団] と 「エスノセントリズム」 に拠点を置いたシュッツの場合は、パークらの 「マージナル・マン」 の立場から社会学の問題に取り組んだ。おおよそマージナルマンとは、閉じた集団の点在を見る実存主義のようなもので、ナチスに追われたユダヤ人にとっては多かれ少なかれ感じられたものになっていたのである。ドラッカーにしても、決して例外ではなかったであろう。彼のマネージメント論とは、もともとナチスのマネージメントに指導者と成員の双方に知識がないゆえの閉じたマネージメントを見ながら、その後のマネージメント変革を示唆する目的があったであろう。

しかし現在の日本でのドラッカー人気は、自分磨きや自己成長にたいする反動で社会観なき自己啓発の延長に過ぎない。閉じたエスノセントリズム的集団の社会的点在の社会学を公開共有化しないまま、ただ自己活躍の場を獲得や持続を狙いながらプロパガンダ作成のための秘境知識として隠し持っているのである。全く自ら定めた社会貢献で社会を見ているつもりになっているから、どうしようもない状態というか、そのナンチャッテ的社会貢献の覗き見に彼らの社会観が輝いている。

つまりドラッカー人気には、ドラッカー自身の世界観はどうでもよく、世界的認知度にあやかったドラッカー利用に留まっている。シュッツはサムナーの社会学を用いながらエスノセントリズム的集団の社会的点在を問題としていたが、一方のエリクソンやドラッカーの場合は、その様々な集団の点在を理論づけることを避けながら、時代に合った現状の自己保身に適応するよう、一つの点在集団との囲い込みに自身を組み入れる形で理論発表していたことになる。それに比べてフロムの場合は自由の確保持続によってエスノセントリズム的集団性の改革を示そうとはしたが、しかし社会的な現実理解を離れた個人的努力へと固執させる傾向に向いてしまっている。

こうしてナチスに追われていた時代背景から【閉じたエスノセントリズム的な集団性】を洞察していたであろうユダヤ人たちであったが、同時に各人が様々な現実解釈へ向かっていった状況が伺えるのである。確かにドラッカーのマネージメント論の根底には、ナチスの閉じた組織のマネージメントにたいする批判があった訳だが、ただ今日のドラッカー人気はそうした全体的社会の中の一組織という歴史的過程を廃しながら、現代の大衆的顧客に合わせたマネージメント至上主義に仕上げた、小手先のマネージメント・ダーウィニズムの雰囲気を匂わせているのだ。



【決定からの逃走】

「決定からの逃走」 とは、ドラッカーの 「断絶の時代」 第三部11項からの言葉で、ヒッピー族や学生運動の反組織的な理想主義の特質を意味し、フロムの 「自由からの逃走」 になぞられた命名である。

ドラッカーは第一次世界大戦頃のドイツにおける渡り鳥 Wandervogel という青年運動家たちが、やがてはナチスの信奉者へと吸収されていった事情をあげながら、反組織主義的なアナーキズムも結局は扇動的リーダーシップに従属せざるおえなくなると見なしていた。ナチズムの閉じた集団性が 「自由からの逃走」 の結果であるならば、その閉じた集団性を回避するための反組織的な学生運動やアナーキズムとは、「決定からの逃走」 であると想定されたのである。

要するにドラッカーのマネージメント論とは、ナチズム組織とアナーキズムの二つを失敗を、未来への発展を説くためのサンプルと扱ったダーウィニズムだったのである。アナーキズムの失敗(決定からの逃走)は組織の必要性を意味し、ナチズムの失敗(自由からの逃走)はマネージメントの未熟と見されていたのである。ただしドラッカーがたとえた 「決定からの逃走」 とは、「組織内決定からの逃走」 であって、決定を避けることも一つの決定と説明することによって組織至上主義の立場を表明したことになる。

もし実践の現実を事実として見ることができる社会学者ならば、「決定を避けることも一つの決定」 という説明とは、機能主義的理論には決定状況についての形態論が欠けていることの指摘となるのだが、ドラッカーの場合は、その指摘を前もって踏まえた機能主義立場からの弁明となっていた訳である。彼は決定を避ける決定の失敗について、それを実践論の目標理念からのみ判断したにすぎず、さらなる現実認識への追究を進めず中断させたのである。

一般的に機能主義が行う解釈判断の特徴とは、たいてい自らが判断した失敗について単純に現実と見なしてしまう習性があり、自身が失敗と判断を下している理論前提の自覚に欠け、その判断に人々が賛同している現実を頼りとしていることに触れない。さらに失敗の現実を明らかにしようとする新たな社会学的な見解が現れると、まるで失敗を擁護しようとこじつけた結果と、軽くあしらうことに工夫を施すだけなのである。機能主義とは、単純な成功と失敗の絶対尺度を基礎として現実解釈するものであって、自らが支持する成功の理想像のための実践論が優先されるのである。

ドラッカーの組織偏重な説明に欠けていたのは、 シュッツ のような組織にエスノセントリズム性を見る【閉じた集団の社会的点在】の社会学やマージナルマンの立場からの現実認識である。そのためナチズムのユダヤ人排斥を上手に避け、自らの力で組織に辿り着くことに価値を置いてしまい、学生運動の失敗から組織の必要性を示唆する論述には、まるでホロコーストのユダヤ人犠牲を単なる未来のための反省材料とする現実認識、もしくは無関心の域に留まってしまったと言わざるおえない。こうしてドラッカーは、組織の現実論ではなく、組織の実践論の方を進めたと言える。



【パークの保守思想】

おそらくドラッカーの組織至上主義とは、イギリスの保守主義パークの考え方を参照とした結果であろう。しかし彼は学生運動側の反組織主義に説教するためだけにパークを利用した感じであり、イギリスにおける二大政党制の意味を充分に理解していない。パークが言いたかったこととは、イギリスでなされている、【伝統理念を共有した中】での伝統維持で得する側と損する側との議論の必要性であり、伝統を誤りと考えて主張されるフランス革命的な正義理念への非難である。

ドラッカーは1960年代の学生闘争を、ウィーン体制後のドイツのブルシェンシャフト、イタリアのカルボナリ、ロシアのデカブリストに重ねながら、イギリスには波及していたかったこと(「断絶の時代」 第三部11節冒頭)について触れているが、そのイギリスの特殊性には、どうやら無頓着であった。1960年代末のフランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、日本、中国の学生運動期にしても、同じくイギリスにはさほど波及しなかったが、それが伝統理念を共有した対立にあったイギリス文化の結果であったかどうかの点について、(実際の要因はどうかは知らないが)、考えが及んでいない。イギリスでは伝統に不満を持つ改革派にたいしてのみ、一方的に伝統の有益性配慮を求めるだけではなくして、保守派にたいしても伝統の有害性の配慮が求められる文化であり、ただ伝統の有害性に向けて新たな正義の実現を求めようとする方法にたいしては、その伝統配慮の欠如なり寛容性の欠如と見なされながら、保守派と改革派の両者から小馬鹿にされる訳である。

要するに学生運動が起きた地域とは、伝統理念を共有する議論がなされない文化であったために生じたと言えるのであって、逆にその伝統共有がないゆえに、誰もが体制内の個人的ステップアップを忍従の報酬と考えてきた伝統の中、新たに伝統的忍従に反逆する若者が現れたと解釈できるのである。

まさに保守側は自分たちは組織に忍従して来て、ようやく忍従させる立場についたのに、ここで若い奴らに暴れられては今までの忍従が水の泡だと抑えつけたのである。つまり忍従を報酬に結びつける伝統的な考え方によって組織づけられてきた体制であって、その組織体制を維持すること自体にパークの保守主義を当てはめてしまったドラッカーなのである。

ドラッカーの方法をよく見れば、学生運動の無秩序の反省からは【組織体制の必要性についての保守主義】が当てはめられ、ナチズムの閉鎖性の反省からは【マネージメントのイノベーションについての改革主義】が当てはめられた形であったことになる。それではイギリスの二大政党制の社会的利益配分の不均衡の調整意識が全く足りない。

イギリスの保守派とは、保守派の中での改革派との調整資質で争うことによって寛容な保守派のリーダーが権威を持つし大人同士が保守と改新で争うが、学生運動に対抗した保守派とは、保守派の団結や大人の団結による警官隊出動となったのである。全く学生運動の側からしても、そんな保守派団結組織だから、反組織主義に傾いてしまうのだ。ドラッカーは自らの組織主義が学生運動の原因になっていたにもかかわらず、自身の組織主義の必要性を学生運動の失敗から導き出していたのだから、パークの保守思想に近づき、それを発展させる域に達することはなかったのであろう。

ひょっとしたらマネージメント論には、単一で一般的なマネージメント権限の固定化のもとで品定めするばかりではなく、むしろ組織内でマネージメント権限が監視され交代していく議論の方が必要なのかも知れない。ただ最近のイギリスでは著しい授業料値上げによる学生闘争の雰囲気も現れ始め、昔ながらの伝統理念を共有する議論は衰退したようではある。



結論。ドラッカー人気とは、政治のどっちつかずの混迷と、二人三脚である。



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  1. 2011/06/13(月) 21:14:33|
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