思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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マネージメント思考の覗き見 ~赤シャツ的社会観~

【自分磨き】から【人のため】

90年代初期に流行ったとされる 「自己啓発ブーム」90 とは、何やら【自分磨き】の人生観を若者世代に植え付けて行った状況を意味している。もはや様々なところから発信される情報の社会的影響を監視できず、どの情報に所属しながら自身の格好良さを飾るかが標準ルールとして浸透したのである。たとえばテレビ番組の批評などを聞かされた際に発せられた、「じゃあ~、見なければいいじゃん?」 的意見の台頭が、その【自分磨き】的人生観の増大化を意味していた訳である。

しかし彼らには漱石の 「坊ちゃん」 でいう、狸校長や赤シャツ教頭の発している社会的影響にたいしての監視意識はなかった。そのため自然と過去の自分の坊ちゃん性を反省しながら、野だいこ的吉川君の成長性へ向けて競争していく世代となった訳である。社会的意見を言う人々とは、自分を棚上げして世の中の責任にばかりする理屈屋と軽蔑していた訳である。全く上の世代からすれば、そうした傾向もある面では有り難かった。こちらの安楽椅子を監視されず、彼らの自己啓発に叱咤激励をしていれば足りるからである。こうして見事に、赤シャツ(年長世代)と野だいこ君(若者世代)の関係が標準的な社会構図となった訳だ。

しかし【自分磨き】も、結局は衰退の道を歩む運命となった。特に2006年のホリエモンの逮捕が、その転換点になったように思われる。ホリエモンへの期待とは、【自分磨き】で頑張ってみたところで上の世代の圧力で身動きが出来ないことに不満を持った人々から支持されていた訳だが、逮捕によって意見が分裂したのだ。小泉内閣で流行語となった 「抵抗勢力」01 と合わせて、その抵抗勢力と戦うホリエモンと見ていた【自分磨き】の人々だったのだが、逮捕後には "抵抗勢力の圧力" と見る側と "社会的ルールを考えない自分磨きの敗北" と見る側に分かれたのである。

そして2007年の不二家、ミートホープ、船場吉兆に、翌年の中国産冷凍餃子の問題などからホリエモンに顧客配慮の欠如を見ることとなり、【自分磨き】から【人のため】への移行が準備されたのだろう。2008年のリーマン・ショックからは、企業の自己成長的理念ではない持続的社会貢献の理念の表明が狙い目となった。

そんな意識変化の中で、顧客を考慮することと合わせたマネージメント論が広まった訳である。また世界的な評価がある点でドラッカーの名を絡ませた 「もしドラ」 を宣伝普及させることになりえたのだろう。



【マネージメント】の意味

マネージメントとは、ラテン語で 「手」 を意味する manus からイタリア語を経由し、英語 manage の 「経営」 を意味している。またフランス語では 「馬術」 を意味し、英語 manege に入り込んでもいる。すなわち、マネージメントとは世の中を手で操る術なのだ。

しかし、もともとの日本語の場合は、「運転手」 や 「助手」 のように組織的な部分的な担い手としての 「手」 が主流であって、マネージャーもその類であった。そうした自らが社会の担い手になる意味ではなく、世の中を自ら手で操るような計画意識とは、ずる賢く卑怯者のイメージであったのが、もはや野球部の女子マネージャーにまでにマネージメントが入り込んだ時代となった訳である。

古くは金を稼ぐこともマネージメントと等しく、やらしい自愛優先性と見られていた。たとえば 「見かけより心」、「お金より愛」 が、威力を持っていた時代であったが、少しずつ 「漫才ブーム」 の頃から茶化され、価値転換も進んだ。タテマエの現世にたいして心や愛が主要評価尺度として絡んでいた時代から、ホンネの現世として見かけやお金が主要評価尺度として君臨するようになった。

しかしそれは、実際のところ、価値の転換ではなかった。それはただの価値の反転に過ぎなかったのである。タテマエにたいしてのホンネ、心にたいしての見かけ、愛にたいしてのお金と、漫才ブームにヒントを得た小手先的な価値転換、つまりマニュアル(漫才ブーム)を参考にしたマネージメント(小手先)された価値反転だったのだ。しかもマニュアル化されたマネージメントも、今ではすっかり恒常化したため、マネージメント論にたいする不快感も大して生じなかった訳である。



公開されない顧客の限定性

ドラッカー自身のマネージメント論は知らないが、今日本で流行りの顧客を強調したマネージメント論の普及には、隠されたマネージメントがある。【自分磨き】から移行した【人のため】によって、顧客が強調されている訳だが、そこには顧客以外の人々を考慮していない。(いや、顧客の騒ぎ立て波及効果を受ける大事なサンプル?)言わば、薬物中毒者を顧客とする麻薬密売者のためのマネージメント論の雰囲気が漂ってしまうのである。

またゴッホの絵画と顧客の関係についても触れない点で、ケチくささがある。ゴッホには顧客意識がなかったから売れなかったと明確に言ってくれれば、なるほど今現在もしくは自分が働く期間に限った顧客の意識だけを大事にすればよいマネージメント論なんだとわかり、さらには顧客が必要とする時期を睨んでゴッホの絵画を収集して高値で売ればよいと応用もきいてくる。ゴッホなんかは顧客じゃないから粗末に扱っていい人々で、やはり顧客のためにゴッホの絵画の方を大切にしなければいけないと、一つのはっきりとした心得も獲得できるのだ。それにこの世の中は搾取階級と被搾取階級に分かれているのだと、社会人としての芽生えも早まるのである。

まあ~、流行りのマネージメント論とは、人々をマネージメントの有無で評価してやろうとする、たとえば 「過保護」 や 「放任」 で安上がりな育児方法の品定めを試みた心理学者と同じである。マネージメント論も、よく考えれば成功哲学や自己啓発書と何ら変わらない。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら」 は、「もし女子高校生が勝間和代を読んだら」 でもよいし、「もし女子高校生が自己啓発書を読んだら」 でも大して変わらないのである。たくさんの箇条文句が羅列されていれば、ところどころ引っ張り出しては物語形式に仕上げればよいのである。

へ・へ・へ、早いうちにバラエティー番組などでパロってくれると、既得権益がある方々には迷惑かも知れないが、政治停滞なども考えれば世の中のためにはよいことだ。(AV系パロディは、流石、早い)日本テレビの 「コレってアリですか」 でも、まだまだ足りない。人がキレることが出来ない状況を計算している人物のマネージメント思考について、それを 「もしドラ」 の女子マネージャーを主人公にした形で風刺してくれた方が面白くなりそうだ。

それから腹を探るようで申し訳ないが、実際のマネージメント論が狙っている事柄とは、肝心な領域の知識には触れない小出しの理論であることからして、顧客のニーズに応えるマネージメントと言うよりは、むしろ騒ぎ立ててくれる顧客の部外者への波及効果の方が大切にされているように見えてくる。つまり、ヴェブレンの言った【誇示的消費】を行う顧客の騒ぎ立てによって、話題に遅れてはならぬとボードリヤール的【記号の消費】に追従する人々を覗き見している。



社会観の隠し持ち

要するにマネージメント論では、もともと【全般的人々に比べて限定された顧客であること】についての情報公開を意図的に行わずに覗き見しているのである。全く野口さんがクスクス笑いする中で、「ズバリ、知識財産でしょ~」 と丸尾君に言ってもらいたい場面である。

つまりマネージメント論とは、顧客獲得で競争する自由資本主義のバイブルとして現れたのである。それにしてもマネージメント論を広めるのも結構だが、それにのめりん込む危険性を知りながら注意書きも示さない手際の良さには驚く。いんちき 「やせ薬」 でさえ、その効果は人それぞれであることくらい記す時代なのに、一体、顧客の何を考えたマネージメント論なのだろう。顧客の気持ちに一生懸命になりすぎて忘れてしまったのか、それともわざわざ顧客のことを思いその危険性を情報公開しないのか、よくわからない。まあ~、売れることが顧客配慮のバロメーターなのだから、私よりかは顧客のことを考えられたマネージメント論ではある。

しかし何だろう?食品関係などの職業とはちがって、出版関係はその購読による影響を示さない出しっぱなしの言論の自由だから、そのケチくさい覗き見には笑える。そう考えれば、香山リカが勝間和代に絡んだのは一理あったことになる。



自由研究のまとめ

要するに、「もしドラ」 的マネージメント論の持ち上げ状況とは、個人主義的【自分磨き】だった成功哲学や自己啓発本の、【人のため】で結束した身内囲い込み化に過ぎない。様々な人々がいる広い社会を見せずに、細かく分業化された企業単位で社会を覆いつくそうとする、現在のタコツボ的政界の改革にも役に立たないものだ。役に立つのは、せいぜい安い意見で仕事を得るマスコミ関係者(彼らも身内囲い込み体制に一生懸命)に、「政治家は国民(顧客)のことを、もっと考えろ!」 を与えるくらいなのである。

やれやれマネージメント論も、ただ顧客のための身内で工夫される知識構築の方法だけではなくて、環境や次世代のことを考えている顧客もいるのだから、広く役に立つマネージメント思考の提供についても早急に進めてもらいものだ。また若者の人事採用の際には、マネージメント論の批判が出来る活気溢れる人物を期待したいが、しばらくは赤シャツ的人事担当者による野だいこ吉川君の採用に用いられるマネージメント論となるだろう。

どうやらお馬鹿なマネージメント論が評価尺度の上位に繰り上がることで、お馬鹿おすまし階級の逃げ切りのための若者世代食い潰しが促進される。「がんばろう日本!」 の響きにも、何やらお馬鹿おすまし階級の、「こっちを覗かないで」 の声が混じって聞こえてくる。

いやはや、参りました。一般多数の頑張りが、その声を消しながら、こちらに白い眼を向けるのだろうか?あるいはまた、あちらの彼ら赤シャツ軍団が、こっちを覗こうとしているのかも知れない。



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  1. 2011/06/08(水) 20:58:16|
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