思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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90年代 流れ行く常識

90年には「おどるポンポコリン」がヒットした。テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」が始まった年である。主題歌では「エジソンは偉い人、そんなの常識」と歌われているが、「ちびまる子ちゃん」のテーマには、その常識が深く関わっている。これって一体……、という当たり前のこととして流れ行く常識に取り残された自分、時々なされる常識からのツッコミ的ナレーション、それらを欠くことが許されない物語なのだ。名付けること、それは「まるちゃん、流れ行く常識に感嘆するの巻」である。様々の登場人物が各々自らの信じる常識を主張し行動する物語であり、まるちゃんの感嘆ぶりが視聴者の心にも響き渡るのである。
そこで問題は、まるちゃんの友達のたまちゃん、まるちゃんのおばあちゃん、それと戸川先生には通常眼が描かれていない点である。それは何を意味するのか?この三人は様々な常識と闘わなくてもよい立場の人物を意味する。同時に本気になることがない人物でもある。常識の闘いの中では、他者の動向を見極めるために眼は必要であるし、他者の視線や眼差しを探らねばならない。三人の場合は、常識の闘争に加わる思いがないし、登場人物たちも三人の常識と闘うつもりがないため眼は描かれていない。その点、渦巻き状の丸尾くんは、特別な地位が与えられている。本人はその闘いに参戦しているつもりなのだが、渦巻き状のためみんなにさほどの権威を感じてもらえないし、丸尾くん自身も勝負所を的確に把握できない状態である。「ちびまる子ちゃん」とは、言わば"それぞれが自らの意見を常識化しようとする戦闘物語"なのである。あと常識の闘いに参戦することも本気になることもなく、かつ眼が描かれている人物としては、野口さんがいることを忘れないで欲しい。
さてちびまる子ちゃんの舞台はと言うと、70年代中頃、伝統茶化しの80年代以前である。主な年長世代の代表は父母、祖父母、戸川先生の五人で、内二人は眼差しなき眼鏡をかけている。たまちゃんに眼差しなき眼鏡が与えられたのは、恐らく年少世代での伝統理念継承の役割が与えられているからであろう。
やがて80年代からは旧伝統的世代を茶化したりかわしたりしながら、若者世代の様々な進出が試みられ、その多様化されたそれぞれの分衆(85年に新語部門金賞)が、それぞれ自らが常識のごとく振る舞うようになった。初めは各人が他人の選択を認めつつ自分の好みを選択していればよかったが、やがて、それぞれが他者の常識への疑問を、あるいは他者の常識からの置き去りを感じることになったのだろう。
そこで88年発売の長渕剛「とんぼ」は、83年の細川たかし「矢切の渡し」以来五年ぶりのミリオンセラーとなったらしい。多様化の中ミリオンセラーが眠っていた時代に再度ミリオンセラーとしてより広い共有理念を含んでいるだろう「とんぼ」では、「俺は俺で在り続けたい、そう願った」と、周りの様々な常識に振り回されそうな状況を示している。また「東京のバカ野郎が、知らん顔して黙ったまま、突っ立っている」 と、流れ行く常識から置き去りにされてしまった、そうした立場からの景色らしきものが見られる。ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」88は「弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者を叩く」と、常識闘争の行く末を見て、そこを拒否した。川村かおり、ECHOESの「ZOO」88、89(リバイバルに00菅野美穂)は、それぞれの常識で生活する人々を、まるでそれぞれ自らの生態に従っている者かのように動物園に喩えて歌った。流れ行く常識に取り残された隅っこで。
やがて「ちびまる子ちゃん」の持続的放映により、流れ行く常識についての見解も人々の間で共有化されていくこととなり、 従来の自分自身の常識の変更がなされることにもなっている。(ただし、それは裏を返せば、「とんぼ」、「TRAIN-TRAIN」,「ZOO」で示唆された社会の構造思索を中止し、流れ行く常識への新たな適応対策へ向かったことを意味する。)

「それが大事」91、高価な墓石を建てるよりも生きてる方が素晴らしい
「ロード」93、何でもないようなことが幸せだったと思う
「愛が生まれた日」94、天窓の星より近くが美しい
「pride」96、星に願いを月に祈りを捧げるためだけに生きてきた、だけど今はあなたへの愛こそが私のプライド

これらは従来の自分、あるいは他者が常識的に望んでいる高い目的意識を抱いていることについての観察や解釈がなされ、自らの従来の【強がり】の減退へと導く理念である。(この同時期には【強さ】も同時に求められている)強がりの減退とは、他者の常識投射やキャラクターを解釈することによりそれを嘲笑もしくは反省し、自らはその新たな解釈をステップアップした上位理念と見なしながら、新たな形態の従属集団へと向かう。過去のツッパリやぶりっ子もある種の常識投射の計画であったと解釈されることにより減退したことと同じである。従来の態度の常識投射は次第に新たな解釈理念によって効果は減少し、今度は常識投射についての解釈自体が、今までその態度の常識投射が効果を果たしていた地位を占めることになった。例えば花輪くんや丸尾くんなどのキャラクターや常識投射(意味合いは役割投射へ移ってゆく)についての解釈は次第に共有化されてゆき、あらゆる常識投射は、自然体とか等身大の理念の影響もあって減退されるが、やがてはそのキャラクターを意図的に取り入れ、場の役割獲得の手段として受け入れられてもゆく。
態度やスタイルなどの意図的計画による社会参入はもはや話題の中心ではなくなり、「マイブーム」97といった、各人の関心交換という形の話題が、社会参入の一つの勢力となる。それは「My Revolution」86、「サラダ記念日」87に始まるマイワールドと言い換えれそうな意識で、前年の「はじめて自分を褒めたい」96により拍車がかかったのかも知れない。「DA・YO・NE」95、「だっちゅ~の」98は、新規マイワールドの集団による一つの他集団へ向けた常識投射であり、場の指導権獲得の手段として用いられる。もっと他者のマイワールドも認めている意味合いのもと、個人的意見と積極的に限定とする「私的には~」00にいたっている。

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  1. 2010/03/10(水) 22:42:49|
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