思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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社会学排除の心理学 ~アイデンティティ論の社会的影響~

ウィーン派のナルシシズム論、イギリス派の母子関係論に続いては、アメリカ派のアイデンティティ論が心理学分派の一つにあげられる。

アイデンティティ論の提唱者エリクソンの経歴を調べれば、アメリカ生まれのアメリカ育ちではない。ドイツで生まれ、ウィーンではアンネ・フロイトに師事した後、ナチスの台頭とともに、1939年にはアメリカに渡ったらしい。アメリカでは当初から青年心理に関する分野で活躍していたらしく、後のアイデンティティ論への道筋に寄与した活動だったとも思われる。

そんな訳で、アイデンティティ論の形成過程から見れば純アメリカ的な理論とは言い難いが、しかし、特に青年期に関するアイデンティティ論として受け入れ広める契機になった点で、やはりアメリカ派の心理学として分類してよいだろう。



さて、エリクソンがアイデンティティ論を構築するに至った経緯については、一つに彼自身がユダヤ系デンマーク人であったことが左右したと思われる。それは、ユダヤ人集団からは北欧系と差別され、ドイツ人集団からはユダヤ系と、双方から差別を受けた経験が働いたと考えられるからだ。そうした彼の経験とは、シカゴ学派の社会学者パークらが説いた 「マージナル・マン」 という、双方の集団から排除された境界人もしくは周縁人に等しい立場と言える。

おそらく、双方に帰属できなかった社会的マージナルマンとは、帰属集団の特質にたいして冷静な観察判断を持ちうる立場となりえたことだろう。それぞれの集団結束については、たとえばサムナーの説いた 「自文化中心主義」 の特質を見てとり、その集団の自文化中心性のためマージナルマンが排除されることや、同時にその自文化中心主義の排他性自体が他集団との衝突へ繋がるゆえ、戦争の要因として働いていたであろうことも洞察しうるのである。

仮にマージナルマンが戦争を回避しようと双方の自文化中心的な集団に注意勧告を試みても、結局は双方から批判され追放されることになるだろう。しかし終戦となれば、自集団内では互いに戦争責任について揉め合ったり、あるいは戦争反対運動なんかで盛り上がったりするのである。つまり自集団内の戦争犠牲者たちとは、自集団内の生き残った者の利権であり、まるでその利権を得るために戦争犠牲の慰霊を取り仕切ろうと計算する者たちも中には現れる訳である。(戦争犠牲者や部外者には利権分配の参加権がないことを意味する) 彼らは自らが属する自集団が排除してきた事柄については触れず、それぞれの同士の囲い込み体制の中で競争し協調していく。日本で言えば、政治家の政局優先は政界に限った問題ではなく、全般的な外集団への無関心の結果だと気付かない。もし外集団への関心が共有されているのであれば、総理大臣の品定め評論よりは、もう少しまともな評論家が選ばれているだろう。自集団が排除している事柄を自覚しないうちは、やはり自集団内に浸透している伝統的評論が影響して総理大臣が選ばれてゆくのである。別に政治家が問題なのではない。政治家評論体制が問題なのである。

全くマージナルマンからすれば、その時々の自集団中心性に歩調を合わさなければ、色々意見を言ってみたところで馬鹿を見るのがわかるだけなのである。まさにアイデンティティ論が社会学を避けた理由は、このような自文化中心集団の強固な体制に逆らわないことにある。

フロイトやカーンバーグらのウィーン派が行った幼児の自己愛から協調への成長指針も、伝統的成長観を改革する危険性を避け、その自文化中心性を隠しながらその体制を支えることの利権を選択した人々によって作られた理論であり、アイデンティティ論にしても、同様に社会学を敬遠しながら個人領域の治療側のみに関心をそらした結果なのである。

そもそもアイデンティティ identity とは 「同一性」 を意味するが、エリクソンの心理学では、自我同一性 Ego Identity や自己同一性 Self Identity と、自我や自己のような個人内の同一性が問題とされている訳である。確か80年代中頃までの日本では、アイデンティティや同一性と聞いても、何のことなのか解釈できた人は少なかったと思う。実際、自分は自分なのに、同一とか何とかと改めて語る問題ではないし、一体何と比べて同一なのか定かではなかったのだ。

アイデンティティとは、多分、【生活圏の人々に見られている自己イメージ】と【自分が人々に見てもらいたい自己イメージ】との同一性であろう。そのイメージ差による苦しみが同一性の拡散であり、周囲が抱いている自己イメージに適応することが一つの治療手段となる。

なるほどアイデンティティの喪失に悩むのは個人である。だからその個人の心理に関心を集中させることになるのだろう。しかし、それは周辺他者の影響もあるから、実際は社会学の問題でもあるのだ。悩んでいる個人の見られたいイメージを変化させることの他にも、周辺の人々が抱くイメージを変化させることまでを要求する訳ではないが、少なくとも周辺他者が抱くイメージの根拠となっている世界観のようなものを調べる必要は、学者という立場ならば有するのだ。たいていアイデンティティが確立している人々たちとは互いに何らかの世界観を共有しているのであって、それをアイデンティティ喪失で悩んでいる側にも伝えることが、心理学者の仕事だと思われる。

たとえばフェスティンガーの認知的不協和の理論と比べてみれば、アイデンティティ論よりは多くの社会学的立場を含んでいる。アイデンティティの喪失とは知識的不協和と言い換えることができるし、アイデンティティの確立とは知識的協和なのである。自分の考え方を変えるか、あるいは他者の考え方を変えさせるかと多々なパターンを想定できる理論なのだ。認知的不協和論の場合は治療を主題としなかったため社会的現実を広く確保できたが、アイデンティティ論は困った人々の治療を目標としているため、その困った当人へと群がる心理学界の囲い込み体制化へ大きく貢献したのである。

実際、不協和と協和の理論は、自分自身を含め人間全般の個人の過去の歴史を連続的に想起できるが、アイデンティティの有無による理論ではアイデンティティが安定して暮らす領域を漠然と扱いながら、まるでそこからアイデンティティの拡散状態にある他者を覗き込むような感じである。

よく考えてみれば同一性という用語も、算数の答え合わせをさせられているようなものだ。治療される側からすれば、みんなが正解しているのを感じながら、先生に何でわからないかという視線で追い討ちを受ける感じがする。つまり、答えが合っていない同一性喪失よりも、他の生徒の冷たい視線に乗じた心理学者の視線によって、さらに人々との同一性が崩される感じである。



ところでエリクソン(1902-1994)はナチスの台頭でアメリカに渡った(1933)が、同じくナチス台頭でアメリカに渡った(1937)人物には社会学者シュッツ(1899-1959)もいる。シュッツとは現象学的社会学とも呼ばれているとおり、フッサールの現象学を学んだ銀行員を兼ねた社会学者であった。彼には先の 「自文化中心主義」 や 「マージナルマン」 についての考察もあり、かなり知識社会学の立場を心得ていた人物であった。

そのシュッツの弟子にあたるバーガーとルックマンは、「日常世界の構成」1966 にてアイデンティティ論について触れられている。個人内部に関心集中させている心理学の特質にたいしては、その理論自体が社会的に対象化(理論普及による社会変化)し、その対象化状況による内在化(その理論普及からの新たな影響)が生じている点を指摘した形ではある。当書では詳しく触れていないが、新しい対象化(新たな理論普及)が起こると等しく各人が内在化する訳ではないから、同一性獲得の競争状態が生じるのであって、その競争自体が同一性獲得の是非にも関わっているのである。

しかし変化してゆく個人と社会を弁証法的な関係と説明することによって、彼らはヘーゲルの発展的歴史観に限定させてしまい、ランケの近代歴史学の立場には達していない。たとえばフロイト的なウィーン派の心理学が発生し普及してきた社会的な知識状況についての歴史学的考察を避けながら、すでに体制化した心理学界を擁護する形で 「弁証法」 を強調しているのである。

そうした弁証法を歴史的変化に当てはめるヘーゲル的な説明とは、専門分野の囲い込み体制を維持するための宣伝文句であり、実際は歴史的変化の一部に理論的な弁証法的開発をした人々がいたに過ぎない。わかりやすく言い直せば、弁証法的に歴史が変化してきたのではなく、歴史の変化の中にちょっとした弁証法使用が含まれていたのだ。



なるほど、ウィーン派のナルシシズム論やイギリス派の母子関係論は幼児期から青年期もしくは大人社会への成長を描こうとしたが、アメリカのアイデンティティ論は特に子供から大人への途上に相当する青年期を問題とすることで普及した感じである。そのためアイデンティティ論の場合は、成長よりも正常もしくは健康を問題し、ウィーン派の協調やイギリス派の自立の理想は緩和されたものと言える。(決してアメリカ社会に自立成長観が浸透していないと言う意味ではない。自立成長観へ心理学が割り込まなかったと言う意味。)

これからの心理学者に求められるのは、アルフレッド・シュッツが触れていたサムナーの自文化中心主義、内集団と外集団を観察するパークのマージナルマン的な視座に就くことである。確かにエリクソンの場合もシュッツと同じくマージナルマン的立場を経験したものの、ただ心理学界からの要請が先立った運命となったため、アイデンティティ論へと向かった。つまり心理学者たちは自らの仲間囲い込み利権にしがみつくことなく、もっと社会学見解に耳を傾けるべきである。たとえばフェスティンガーの認知的不協和理論を特殊事例の指差し解説に用いるのではなく、自分自身を含めた社会的かつ歴史的な連続した現実について知識社会学的に考え直す必要がある。さらにグールドナーの社会学の社会学(社会観の社会学もしくは社会意識の社会学)にヒントを得ながら、【心理学者の社会学】によって自らの社会的立場を自覚し公開していく必要性が求められるだろう。



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  1. 2011/05/28(土) 07:52:28|
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