思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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自由にたいする恐怖 ~イギリス心理学の発生~

ウィーン学派のフロイト、コフート、カーンバーグらは、幼児にナルシシズム(自己愛)を見ていた。それはウィーンのオーケストラ的協調(対象愛)を大人の成熟と前提とした幼児の協調性欠如を示す理論と想定しておいたが、イギリスの心理学状況は異なった方向にあった。

単純に考えてイギリスの場合は、フランスのデカルト合流主義と異なりロックの経験主義の立場にあって、たとえば知識の "白紙" からの形成を見ていたように、形成論的思考が優位に働いていた文化であった。オーエン(1771-1858)の性格形成論も、形成論的思考が働かせながら個人を囲んでいる環境を考慮に入れていた点で、ウィーン派のような個人心理学の雰囲気にはなかった。また早くから市民革命を果たしたイギリスであったことからしても各人が政治的関心があった国民性とも言えると同時に、19世紀後半の外交態度を自ら 「光栄ある孤立」 としていた点で対立状況内の立ち位置が重要視されているため、ウィーン派の協調性崇拝とは縁が遠かったのである。おそらくイギリスでは、そもそもナルシシズムを人間幼児の普遍性として前提することはせず、個別的に派生した特質に名付けられる事柄であったと思われる。

やがてフロイトの理論もイギリスに伝わったのだろうが、1926年にイギリスへ招かれたウィーン生まれのクラインの定住、そして1939年には亡命のためにやってきたフロイトの娘アンナとの間で論争が起きたらしい。それはイギリス精神分析協会の派閥分岐にもなったほどで、その後のイギリスにおける心理学的地盤を作った形となった。

おおよその論争点は、乳児期の内面表象の有無であった。例のウィーン派の自己愛から対象愛への発展説にたいして、クラインが問題を投げかけた形で、[幼児・大人]から[小さい大人・大人]へ移行させた。フロイトは発達段階説をとり、クラインは人生全般の内表象と外的環境による心的ポジション論を説いた。

こうしてイギリスでは、女性外国人によって新たな基盤を得たのである。イギリス人自身は個体内部について理論づけることは好みではなく、世界的風潮ということで外来文化の参考とする態度であったと言ってよい。政治意識が盛んなイギリスでは、むしろ二大政党の対立による、相手方政党の優位による取り残され感や自政党優位の充足感から、それを母親を政党と見立てた子供の疎外感と充足感へと当てはめた感じの母子関係論へと進んだのである。

イギリスでは幼児とは言え、個体解釈をしながら社会へ向けてそれを説明することは紳士的ではなく無礼であり、外来文化の参考としてウィーン派の二人、しかも女性二人を参照した形で本家本元のウィーン派とは異なった母子関係論へと向かったと言える。

クライン派に縁があったウィニコット(1896-1971)やアンナ派を含む両者に関わったボウルビィ(1907-1990)の母子関係論とは、そのイギリス的特質の現れであろう。ウィーン派の心理学とは、自己愛的幼児から他愛的愛の協調へと成長する大人が前提とされていた。しかしその大人から子供が生まれると、突然に子を見守る親の姿が消え、再び自己愛の幼児の方へ関心が移されるのだ。彼らは大人の成長と幼児の自己愛を比較しては、大人自らが自称する成長観を喜ばせる個人心理学に仕上げたのであり、 "親が子を見る時の視線" と "子が親を見る時の視線"、また "親を見ていた子が親となって、子を見ている" という事柄を見せないようにしているのである。彼らは周囲の大人の成長観によって卑下されながら育ち、大人になると今度は卑下する権利を獲得したつもりになるのだろう。そんな文化環境では生徒同士の間でも協調の有無で互いに賞賛卑下し合って育つこととなり、オーケストラにその協調性エリートの理想像が象徴されることとなる。

一方、イギリスの母子関係論とは、ウィーンの個人心理学が隠していた事柄に関心を向け始めたと言ってもよい。心理学者自身も昔は子供として親たちに見られていたのであり、その過去の親と子の関係が現在の自分に関係しているのだ。当然、自分の親たちも昔は子供であったし、祖父母も子供であった。さすがは伝統を配慮する保守主義のバークを生み出したイギリスらしく、現在に過去の文化的集積を見た結果と言える。

確かにウィーン派の側も自分が子供だったと考えてはいただろう。しかし、それは現在の自分を成長した人間と見せたいために過去の自分を卑下するのであって、順次子供から大人になった過去の親たちがどのように子供たちを見てきたかという文化背景には興味を示してはいなかったのである。彼らは自分が無知 (他者を見ない自己愛) だったと感じた瞬間の、反省した自分に絶大なる自分の成長を見てしまい、まだ反省していない人々を見つけては彼らの心理的実態を解説することに生きがいを見い出したのである。

全くウィーン派は協調性に成長を見た。しかしイギリスにとって協調性とは、孤立の恐怖による自己保身であることが自覚されている。ディケンズの 「クリスマスキャロル」1843 を見れば、協調性に自身の利得が認められないと判断した利権的自立であったし、協調性への目覚めは死後の恐怖から生じた死後の理想像であって、ウィーン派の心理学的な自己愛からの成長とは異なるものである。

またイギリスでの協調性とは、敵方があっての自党内における自己保身と協力であり、漠然とした一般社会における個人の社会性の獲得ではない。子供たちは大人たちが議論をして争っているのを眺めながら、その人との関わり方を模倣してゆくのである。ただし直接的な親子関係については、礼節と相談の教育制度とたいして変わらない雰囲気にあったようには感じる。

また 「ジキルとハイド」1886 のように、社会性を獲得したジキルに隠されたハイド的な歪んだ領域を感知するため、当然イギリスでは、協調性に自己の成長を見ることが少なかったと言える。まあ、協調性に自己成長を求めたい心理学者たちは、そのジキル的社会性を未熟なものと考え、新たな理想的社会性を説きながらジキルの社会性欠如を説明することに一生懸命になるだろう。しかし彼らは各人みんなが目標とすべき理想的個人像に執着しすぎて、各人みんなが抱くべき理想的な社会意識についてはほとんど考えないのが特徴的である。

協調性崇拝者は、アメリカ社会学者サムナーの 「自文化中心主義」 やフランス哲学者ベルグソンの 「閉じた社会」 のような協調性の囲い込み中心性を見えないというか見せないように理論づける。二大政党制のイギリスでは、どちらかを贔屓して互いに議論をするので、自身の社会貢献を計算する偽善はあっても、協調性に欺瞞を持つことは少ないのだ。

イギリスの母子関係論では分離不安といった、他者との関わりから個人を見ている。たとえばデフォーの 「ロビンソン・クルーソー」1719 にしても、たいていは自立した個人主義の作品のように思われている感じなのだが、しかし実際は伝統的生活から離れた新たな生活への挑戦について親と相談している物語なのである。イギリスの二大政党制は初め保守派と自由党に分かれていたように、伝統と自由の比較検討意識が浸透しているのだ。つまり伝統の安楽にたいして自由の不安が対置された議論がなされる傾向のため、ウィニコットやボウルビィの母子関係において分離不安が提唱されたと言ってよい。またフロムの 「自由からの逃走」 が、わざわざ 「自由にたいする恐怖 Fear of freedom」 と改題されたことからしても、分離の恐怖に敏感であった文化圏と言える。

つまりウィーン派は自己に集中していた愛から協調へと成長するのだが、イギリスの協調とは孤立の恐怖を避ける一つの方針に過ぎなかった。ウィーン派は[自己愛・協調]であるのたいして、イギリス派は[依存・自立]であろう。よく考えれば不思議なもので、自分の気に入る協調は "成長" で、気に入らない協調は "へつらい依存" であり、自分が気に入る個人主義は "自立" で、自分が気に入らない個人主義は" 自己愛 "と両者を織り交ぜて宣伝し合っているのが現代社会なのだ。心理学者たちは、それぞれの言論の自由とそれぞれの信者への説明に一生懸命で、それぞれの心理学理論の社会的浸透状況を見ない。つまり心理学者たちにとって、それは社会学者の仕事であって、自らの仕事領域を囲い込んでいるのである。

要するにその宣伝具合が社会的成功の是非につながり、一方で周辺評価基準を受け入れ自分を卑下してしまう自己嫌悪の人々が生じているのだ。まさに文化圏内の様々な評価尺度の浸透状況こそが問題なのに、心理学者たちは救済の名のもと個人の内部分析ばかりに努力し、実際はその理論発表で新たな評価尺度を撒き散らし混迷を続けていることに気付かないでいる。それどころか、その自らが参加している混迷状況によって新たな精神患者の訪問が増加し、自らの治療と学会発表に社会的使命を感じているから笑える。と言うか、彼らには見習うべきものがあるので、みんなにも等しく公開し、社会的貢献の場として紹介したくなる次第だ。

そんな20世紀の心理学にたいして、古くはオランダのスピノザの心理学には社会観があった。「エチカ」 第三部 定理19から57を見れば、そこにはサムナーの自文化中心主義やベルグソンの閉じた集団を踏まえた視座があった。それはウィーン派の個体内部への集中した関心には映らない社会的現実であって、20世紀の彼らは自らを中立的判断者と自負しながら、ただ新たな実証主義的使命に燃えていたに過ぎなかったのである。

なるほどスピノザも自己愛を説いていた訳だが、しかしウィーン派の自己愛とは意味がちがっていた。ウィーン派は大人の成長を訴えるために子供の自己愛を卑下したのだが、スピノザは禁欲主義的なストア派の思考形態よりは快楽主義的なエピクロス派の思考形態の方が現実理解に適していると判断した結果である。それは 「エチカ」 第四部 定理25から28に認められる。比べること、ウィーン派はストア派を受け継いだため幼児に自己愛を前提し、自己愛を犠牲にした対象愛に成熟を見たのである。その対象愛を選ぶようになった自利欲について触れることなく、同じ我慢の仲間を集めては自己愛の名による他者卑下を普及させ、自らの成長を宣伝したのである。



しかしフランスのアリエス著 「子供の誕生」1960 では、子供の概念が学校教育などから発生してきたものと示されたが、それ以降、ウィーン派やイギリス派の心理学に見られる幼児観自体が、時代地域的な物の見方によるものと省みる勢力は現れなかったようだ。またフェスティンガーの 「認知的不協和の理論」1957 が登場してから、心理学者自体が自らの不協和を減らし、協和させようと理論づけたことについて自覚しようとしてもこなかった。不協和回避とは誤謬だけでもなく、たとえばアインシュタインにしても例外でもない。新たな発見理論も、ある程度の知識蓄積から不協和から協和へ向かわせようとして発見されるのである。しかしたいていの心理学者は他者の欠如を説明するのが趣味なので、自らの不協和や協和に左右されない中立的冷静さで判断しているかのごとく、他者の不協和軽減の正当化ばかりを解説しようと努力されてきたのである。

そういう訳で、自身の囲い込み集団からそれぞれの心理学的見解を述べるだけで、そのそれぞれの見解が浸透している社会的状況を見ない心理学者ばかりである。全くタコツボ囲い込み専門家たちは、自分が発する害悪を見ず、自分の貢献だけを信じている。



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  1. 2011/05/23(月) 18:41:43|
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