思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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デロス同盟とヘラス連盟 ~ギリシャ思考形態~

古代ギリシャではペルシャ戦争の後にデロス同盟(前477)がなされ、カイロネイアの戦いでマケドニアに制圧されるとヘラス連盟(前337)におさまった。

もともと六世紀頃から重裝歩兵の密集部隊の発生により貴族にたいする平民の要求が始まったギリシャだったと考えられるのだが、それは他にも、ホメロス 「オデュッセイア」 に認められる、アンティノオスなどの居残り側におざなりとされるオデュッセイアの出兵貢献に問題を見た結果でもある気がする。

そしてペルシャ戦争が終わったデロス同盟からは、アイスキュロスの 「縛られたプロメテウス」 に描かれた、プロメテウスの貢献が問題となる。オデュッセイアは何とか女神アテーネーと息子テーレマコスで、その自身の損害を取り戻せたが、プロメテウスは正義を気ままに使うゼウスに縛られ、周囲からは 「もっと上手く生きろ」 と中庸尺度で世話を焼かれるような立場である。要するにペルシャ戦争が終わってから、人々の社会的貢献(たとえば兵役)を評価しないで、個人の世渡り上手加減が評価の中心になったのだ。

その影響は前五世紀中頃から始まる、立身出世に役立つ弁論術などを売りとしたソフィストに及んだ。その創始者であるプロタゴラスは、かの有名な 「人間は万物の尺度である」 と記したらしいが、それも人々がそれぞれ様々な尺度で判断している中、プロメテウスのような貢献は笑い物になるだけだから、立身出世を宣伝文句とする知識人の方がよいと思った結果だろう。やがてそんな様々な人々の尺度判断が行き交う社会状況については、ソクラテスが 「誰もがそれぞれ知っているつもりでいるが、自分が知らないということを知らない」 と気付き、「無知の知」 に辿り着いた訳である。

こうしたチャッカリ知識のソフィストにたいしてソクラテスが現れたことは、「オデュッセイア」 のアンティノオスらが残留していたところにオデュッセイアが帰ってきたことと似ている。つまりソクラテスもオデュッセイアも、それぞれ相手方ソフィストやアンティノオスらの狙いすまし状況を見て工夫をこらしたのである。

ただし物語形式と哲学考察のちがいは大きい。物語形式ではそのまま人々がそれぞれの立場で人々を見ている状況を示せるが、哲学考察にとってそれはかなり無理な仕事なのであり、出来るのは実際の哲学者が他の哲学者を見ていた歴史的事実の方である。つまりソクラテスがソフィストを見ていて、ソフィストは縛られたプロメテウス(アイスキュロスではない)を見ていたことにある。

特にドイツのニーチェは 「悲劇の誕生」 の中で、この時期のギリシャを主題として考察されていたが、まだまだ時代的にも知識社会学あるいは知識歴史学の分野が欠けていたため、やや行き過ぎたソクラテス批判を残している感じである。なので、さらなるニーチェ研究を進めたいのならば、是非とも、この時期のギリシャあたりを知識社会学なり知識歴史学の方法によって深めることを奨めたい。



やがてペロポネソス戦争の段階となって生じた、トゥキュディデスが記したアテネ軍によるメロス島の植民地支配とは、それはオデュッセイア的策略というよりかはアンティノオス的な策略であった。まるでプロメテウスが周囲からの応援援助も届かないまま縛られている状況に恐怖を覚えたのか、自分だけは縛られないようにするばかりか、縛る側の立場を維持確保していたいと言った、気ままな正義のゼウスのごとき、当時のアテネ(ギリシャ)の知識形態の一つと見なせるだろう。また反対に、メロス島の示した中立の安楽階級が周辺領域に波及するのを計算したための、オデュッセイア的な面もなくはない。いずれにせよ、「オデュッセイア」 や 「縛られたプロメテウス」 などの解釈が歴史的に変移した一つの結果的現れに相当する。

そしてマケドニアの支配にもとヘラス連盟(スパルタは除かれていた)でギリシャポリスが統一されるようになると、ストア派やエピクロス派の社会観が極力削られた(政治学であっても社会学ではない)安心立命もしくは理想とされる精神像の議論へと推移した。それは日本の現代社会にも浸透している、フランスのアランから広まったであろう、個人の自己努力を評価するがための幸福論の布教へと受け継がれたものなのだ。アランは人々の幸福を手助けするふりをして、実は 「幸福」 による人物評価を人々の中へ浸透させることで互いに競争させながら、その審判員の職業を獲得したのである。つまりアランは 「人間は万物の尺度」 である中、その尺度の社会的浸透状況を隠しながら、こっそり縛られたプロメテウスの世話焼き方法の手引書を記したにすぎない。彼は同国デュルケームの機能主義を気ままな正義のゼウスと見なしながら進む、社会観を示さない自己啓発論の系統に属している。ドイツのニーチェ(実存主義)とフランスのデュルケームやアラン(機能主義)とは、あまりにも対極にある。



古代ギリシャとは、こうして実存主義と機能主義の理念対立が散りばめられていた。そしてその衰退は、ストア・エピクロス派の個人の生活方針に集中して行き、社会観の減退と同時進行であったのだ。比べること古代ローマ帝国時代は、アウグストゥスとウェルギリウスの 「アエネイス」 によって歴史を復古させた政治指導力が現れた後、そのローマの平和を守ろうとする形でヘレニズムのストア派哲学が生じた。ギリシャとローマの知識形態のちがいとは、そうした歴史的経過から考察しうることにもなろう。おおよそそれは、ローマは国家理性が利いている状況下での精神状態の指南書が課題であり、ギリシャは物語形式が利いている状況下での各テーゼの提示と、それにたいするアンチテーゼの提示であるかのようだ。



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  1. 2011/05/11(水) 23:42:54|
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