思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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囲い込み階級とプレタリアート階級 ~社会観なき個人主義~

トインビーの 「歴史の研究」 5篇2章2項 では、内的プロレタリアートについて説明されている。一般的にプロレタリアートとは、共産思想によって比較的知られている無産階級の意味があるのだが、もっと広い意味で安定的な特権にあやかれない短期の従属獲得だけで目一杯な階層みたいなものである。

トインビーは内的プロレタリアートの発生を、古くは紀元前431年のペロポネソス戦争のコルキュア階級闘争に見ていた。その階級闘争が拡大した戦争でスバルタが勝利した後は、ポリス間の内部抗争や外敵ペルシャの干渉などで荒廃していく中、【市民皆兵の原則から浮浪階層の傭兵化】される内的プロレタリアートの吸収をすることによって、より一層の戦争助長へとつながった。さらにローマのポエニ戦争後の状況(大土地所有制)も一緒に合わせて、浮浪階層の発生とその兵役雇用などによって帝国主義的な植民拡大へ向かわざるおえなくなった【囲い込み階級による浮浪階級のための従属場計画】が顕著になり始めた事態が、ギリシャとローマの双方に認められる。その結果、それぞれマケドニアはアレキサンドロスによるギリシャの支配統一とペルシャ打倒後の帝国の拡大、ローマは属州支配拡大へと向かった。



そこで次に問題としたいことは、さらにさかのぼること、紀元前八世紀頃からのギリシャの植民活動へ向かわせた要因について、例の浮浪階層の発生による兵役での吸収が、どれほど作用していたかである。

しかしギリシャ植民活動の時期に相当するスバルタのメッセネ戦争(前736~720頃、前650~620頃)を見た限り、あまり浮浪階級の兵士化は働いていなかったと思われる。と言うのも、後にスバルタ貴族的軍国主義体制へ向かうための現地人の農奴従事化が主要目的だったと考えられるからである。スバルタ教育とは、スバルタ人における安楽階級と兵役階級との内部分裂を避けるための兵役意識を共有した貴族団結心を意味し、被支配者を含めた分業階級化の計画なのだ。つまり浮浪階級を兵役によって吸収割り当てする内治分裂を修正しようとする計画とは、明らかにちがう方向にあったスバルタだったと言える。ゲルマン人がローマの傭兵となって戦術や統治法を学び西ローマ帝国滅亡へ導いたように、古代ギリシャ人の植民活動も、自らポリス単位によって磨いたものだったが、新たな戦術統治法を工夫した協力体制(内部分裂の修正ではない)の進出だったのだろう。

一方アテネの場合、身体を抵当とする金貸しを禁止した、貴族から平民への権利の譲歩と言える紀元前594年のソロンの改革に意識変化が伺える。よくよく考えてみれば、身体抵当の禁止が発令される際には、身体抵当で金を貸していた人々は今までの利権を奪われるため、それを阻止しようと睨みつけていた訳である。まさにその睨みを退けたものが何であるかが、問題となりえる。おそらく一つには、兵役従事の命をかけた社会貢献の意識がアテネでは広く働いていたからであろう。いや、少なくともホメロスの 「オデュッセウス」 はソロンの改革よりは以前のものと言えるから、

「オデュッセウス」 とは兵役従事に携わった"オデュッセウスの危険性"に"残留生活者たちの安楽性"が対比された告発書

と見なされてもよいのかも知れない。妻ペネロペイアは彼の帰りを待っていたが、宮殿では享楽に財産を減らしては彼女に求婚をせまる者が集っているのである。もしそのまま自分が戦死していたのならば、一体何のために戦ったのか、わかったもんではない。

つまり民主化の発祥の地となったアテネとは、「オデュッセウス」 に記された居残った人々の兵役従事の軽視から、その兵役について社会的貢献を共有認識させようとした結果と考えられるのである。貴族であれ平民であれ危険がともなう兵役の報酬や保険の平等化が、アテネの民主化には少なかれ働いたのではないかと思える。多分、アテネでは重裝歩兵の密集部隊(phalanx)というまとまった団結によって、いくらかでも居残り貴族の安楽状況に向かって平民兵役からの監視意識が届いた結果ではないかと思われる。

全く浮浪階級のため兵役に雇ってもらおうと頭を下げる兵士の立場と、安楽階級にたいして危険な仕事を引き受ける兵士の立場とでは、その社会での共有意識とモチベーションの高まりは異なってくるものだ。またスバルタの場合には植民活動の頃のメッセネ戦争からなのか、スバルタ人同士の貴族的結束と国有奴隷ヘイロータイという階級意識に辿り着いたのも、ある面で 「オデュッセウス」 のような居残り安楽階級を監視しながら計画的に排除しようと試みた結果であろう。



つまりペルシャを制したマケドニアの帝国拡張、ポエニ戦争を制したローマの属州拡張の時代のような浮浪階級の吸収を目的とした兵役化は、アテネの民主化やスバルタの貴族軍国主義化の時代には、ほとんど働いていなかったのだ。では民主化勢力もしくはポリス内の兵役意識の共有認識しようとした、それ以前の植民活動の時代では一体どんな状態だったのか。

トインビーによれば、ギリシャ植民活動(前750~550頃)が生じた原因は内紛を逸らす外部進出よりかは、人口増加や食糧難のための進出だったと考えられている感じである。やはりそうかと、おいらもうなずく側に回ることにする。もし内紛逸らしが絶大であったならば、その内紛逸らしの状態から、どうやって穏やかな民主化へと向かえたのか。あるいは従来の激しい内部対立だったが、長い植民活動の時を経て穏やかになったのか。

スバルタに限れば、植民の現地民の反逆にたいしてはスバルタ人同士の協力統治を目指していたため、その後の征服階級(スバルタ人)に限った兵役義務の貴族軍国主義になりえたのであり、内部分裂が深刻であったならば現地人統治の際も困難だったろう。内的プロレタリアートの吸収対策よりは、やはり食糧難対策の協力植民活動と見なされよう。



要するにギリシャ植民活動からソロンの改革にかけてのアテネが、一体いかなる兵役状況だったかは詳しくはわかないが、そののちペイシストラトスやクレイステネスの陶片追放などの民主化への動き経て、そしてペルシャ戦争へ突入したギリシャである。

無事勝利をおさめたギリシャは、ペルシャの報復を警戒しながら、紀元前477年にはアテネを中心としてデロス同盟で結束した。この時期あたりにアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの三大悲劇詩人があらわれたようだが、特に 「縛られたプロメテウス」 は特筆に値する。と言うのも、先のオデュッセウスとプロメテウスを比較すると、トロイア戦争におけるオデュッセウスの従事と火を持ち込んだプロメテウスの従事のちがいが現れているのだ。

オデュッセウスをおざなりとしたのは、宮殿に集う人々で。彼は女神アテーネーと息子テーレマコスの知恵や手を借りて一種の改革に成功した形である。しかしプロメテウスは一人縛られた上、あれこれ周囲から世話を焼かれるのである。オデュッセウスは結局は戦争従事の報酬奪回にたどり着いたが、プロメテウスは火の持ち込み従事の報酬を獲得できるどころか、その報酬の意義さえ否定されたまま、自らの安全のため賢く生きた方がよいと、これから火の便宜にあやかるであろう周囲から諭されるのである。

もしソロンの改革に 「オデュッセウス」 の【安楽階級への監視】が働いていたとするならば、ペルシャ戦争の勝利からは【安楽階級からの世話焼き】が働き始めたと言える。

そんな安楽階級の主張が少しづつ高まっていくようになった紀元前431年のペロポネソス戦争では、コルキアとコリントとの紛争にそれぞれアテネとスバルタが参戦、そしてスバルタの勝利から次第にギリシャの混乱にペルシャの干渉も加わり、市民皆兵から傭兵使用へと移行して行ったらしい。この【市民皆兵から傭兵使用への移行】にこそ、浮浪階級の発生に留まらず、オデュッセウスからプロメテウスへの意識変化も同時に進行していた事態を意味している。オデュッセウスは安楽階級の囲い込みを成敗できたが、今度は逆に安楽階級の囲い込み体制がプロメテウスを浮浪階級の代表者として縛りつけ見せしめにしたのである。それにペロポネソス戦争自体が囲い込み勢力同士の対立であって、同時に浮浪階級の潜在的進行の結果とも言えるのだ。

トインビーは第一次世界大戦の勃発にツキュディデスが記したペロポネソス戦争と重なった様相を見ていたようだが、それもセルビアとオーストリアの対立からロシアがセルビア側につき、ドイツがロシアとその同盟国フランスに宣戦、またイギリスがドイツに宣戦と一ヶ月余りで拡大し大戦化した状況と、コルキュアとコリントの紛争にアテネやスバルタなどの各ポリスが参戦した状況を見たもので、言わば古代コルキュアの階層闘争状況が世界的に浸透した第一次世界大戦と解釈したと思われる。トインビーは、ギボンの蛮族とキリスト教にローマ帝国衰退の原因を求めた、まさに帝国主義的な【上層部の囲い込み体制】を理想像とする原因論にたいして、トインビーはそれ以前のペロポネソス戦争の原因をコルキュアの階級紛争に見ることにより、むしろ【内的プロレタリアート】の側の歴史的状況を示したのである。



そのペロポネソス戦争からの波乱は、スバルタの勝利以降、時間をかけてマケドニアによるギリシャ統一で一段落した形である。さらにペルシャとの戦いを制したことによって、トインビーが記したとおり、浮浪階層の発生のために兵役従事を用意する帝国主義的な進出を促進させるようになったと考えてよかろう。

もはやソロンの改革時のような 「オデュッセウス」 の安楽階級への監視よりかは、浮浪階級の社会的従属化に目的意識が向くようになった時代である。その社会的監視意識が衰退し個人的な安楽への関心が優勢なったことは、ストア派とエピクロス派の議論になったことに認められる。



要するに兵役の徴兵制と志願制は、その共同体の共有意識にぱらつきや内容にちがいがある。ギリシャではペロポネソス戦争のスバルタ勝利後からマケドニアの台頭にかけて促進され、ローマではポエニ戦争後のマリウスによる傭兵採用から促進した。その志願制への移行は個人主義的安楽や内的プロレタリアートの発生を意味し、帝国主義的進出へとつながる要因であった。それは産業革命以降の世界的な帝国主義的傾向にしても同じで、各国の内的プロレタリアートの浸透と同時進行だったのである。



さて戦後日本は敗戦により徴兵制はなくなり、自衛隊の志願制となったが、帝国主義の危機を認めた志願制なので、帝国主義的進出に自衛隊が用いられる可能性は、ほとんどない。しかし徴兵制がなくなったことで、社会的監視が激減し個人主義的安楽へ向かった戦後日本である。社会的協力が叫ばれるにしても、個人的安楽が優先されたもので、社会的監視が促進されていない。全く国民的な社会的監視意識の浸透が進まない限り、政界など一般社会に及ぶ、根回し上手に成長を感じる囲い込み体制は改善されないだろう。日本はオデュッセウス的総理大臣にペーネロペイア的国民意識にならなければ、囲い込み体制の改革は難しい。ここは 「ユリシーズ」 研究家とテレマーコス的政治評論家の出現を待つしかない。



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