思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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原発問題とルパン三世 ~搾取利権と泥棒さん~

矢吹丈は、平安時代から続く"光のどけき春"を守りたいと思いながら、"光のどけき春"だけが人生ではないと訴える力石の亡霊に挟まれ苛まれていた。ルパン三世も、そんな矢吹丈と等しく、力石の亡霊を知っていた奴である。しかしルパンは、ジョーとはちがって、力石の亡霊と光のどけき春に挟まれてはいない。力石の亡霊に感づいていながら、それに感づいていないように振る舞ったルパンだからだ。

力石の亡霊とは、たとえること、特攻隊の亡霊でもある。戦後日本の平穏無事(光のどけき春)の理想にたいして、特攻隊の死が頭をよぎるのだ。矢吹丈は戦後の光のどけき春へと自分を従属させようと思うが、特攻隊の死が離れなかったのである。鶴田浩二の 「傷だらけの人生」71 とは、言ってみれば力石寄りで物言う矢吹丈と等しい。

一方のルパンは光のどけき春どころか新たな享楽風景にまでも突き進むのであるが、そこには一種の力石の亡霊や特攻隊の死も隠されている。五右ェ門は 「特攻隊が、自分がおどけるのを許さないのである」 と言い、次元は 「五右ェ門までとは言わないが、ルパンよ、少しは見習え」 と言うようなものだ。そしてルパンの場合は、まるで 「特攻隊には特攻隊の使命があって、ルパン様にはルパンの使命がある~てことさ~!それに、銭形のとっつあんには銭形のとっつあんの使命があるようにな」 と言いたげだ。

矢吹丈とは、男かぐや姫もしくは男鶴の恩返しと言えるような立ち位置にいた。かぐや姫と鶴の恩返しには、何らかの使命のために入り込んではいけない領域があったように思えるものだが、ジョーはその禁止領域を引き継ぎ、ルパンは禁止を取り払い入り込んだ形である。

たとえば矢吹丈のような意識が感じられる人物(あるいは次元に近い)としては、井上陽水、伊勢正三、寺尾聡、田村正和などを挙げておきたい。タモリについて言っておけば、彼は五右衛門や次元を裏切って財宝を独り占めしたルパンである。確かにテレフォンショッキングに二人を招いたりもするが、それはただ自分の人脈を見せるためになされる、思い出話と近況報告の会話に過ぎない。最近では、サラ金のコマシャールで監視意識が届かない自身の安全地帯を御主張なさっているようにも見えるオタモリさんだ。70年代の矢吹丈とルパン三世は、80年代 「笑っていいとも」 のタモリの出現によって影を潜めるようになったのである。そして 「おまえら、特攻隊と力石徹を忘れるな」 と叫んでいるのが長渕剛ではなかろうかと、ふと思えたりもする。

また矢吹丈とルパン三世のちがいについては、他にマルクス主義的な階級意識が関係している。二人が見た光のどけき春とは、上層階級以外の庶民であり、つまり矢吹丈の [白木葉子・どや街のちびっ子・力石徹] とルパンの [富裕資本家・庶民・次元と五右ェ門] の意識がそれぞれ対応しているのである。ジョーは上層階級にもそれなりの御苦労があるのを見ると同時に人それぞれの事情も見てしまい、結局はリング上でしか人々との風景に溶け込めない状態となるが、ルパンはまるでねずみ小僧のように金持ちから財宝を狙うのだ。そして自らは光のどけき春では窓際族の椅子しか得られずも、光のどけき春を守る裏家業にあったのが、中村主水である。



さて今日の福島原発の問題で言えば、どうなるか?矢吹丈ならば、政府や東電などもそれぞれに大変なんだろうと思いやりつつ、福島の避難所で自身の今後を考えながら、ぼーっとふらつくしかないだろう、子供たちの声を聞きながら。

一方、ルパン三世ならば、今まで 「原発は安全だ」 と言うことで金を稼ぎ、今となっては 「想定外だった」 と言うことで金を稼いでいる奴らを見定めては、泥棒計画を進めると言ったところかも知れない。実は何を隠そう、昔は原発を運用するにあたり様々な危険性の提案を試みていたルパン三世だったのだが、結局は原発推進派の華麗なる囲い込み集団によって、次元や五右ェ門と同じく干されてしまった経歴があったのだ。

ヘ・ヘ・ヘ・ヘ・ヘ、一部の方々だけを取り扱う結果となりそうだが、たとえば、ろくに危険性の監視をしていくつもりもなかった癖して原発推進のコマシャール出演でお金を貰っていた方々は、今頃なにを考えているんだろうかね? 「被災地へ寄付しろ」 とまでは言わないが、せめて危険性の監視体制に疑問を持っていたためにコマシャール出演を断った人々の気持ちぐらいは考えて貰いたいよね。まあ、あまり自身に大きな不利益を被らないよう、せいぜい 「コマシャール出演の依頼が来たための一つの仕事に過ぎなかった」 と、自ら言い聞かせながら素知らぬ顔して日常生活を続けるのがお似合いな方々なんだろう。おそらく彼らの中からは、こっそり過去の自分を隠しながら寝返りをうつことは出来ても、デビルマンのように裏切り者の名を受ける、そんな囲い込み体制への問題提議までは期待出来ない。

ほんにマルクス主義(しかも極左)である私からすれば、原発推進のコマシャールに出演しながら何もコメントしない奴らとは、原発運用についての様々な危険性を叫び議論を求めてきた階級の報酬を、そのまま囲い込み人脈を味方にして搾取する階級なのである。全く 「今まで原発の恩恵にあやかって来たことを棚に上げる奴らが何か言っているだけさ」 と、自らが原発利権の社会的不均衡を利用してきたことを堂々と棚上げ出来る、とても前向きな方々と感心する。

結局は国民的な監視意識の程度が、総理大臣をはじめテレビ出演者の資質を決定しているようなものである。原発コマシャールで利益を得てきた人々も、今の事態になっても何ら説明責任を問われないから、人々もその問われない社会情勢を計算しながら自身の仕事を獲得してゆき、つまり誰もが天下り官僚と似た意識で仕事獲得に一生懸命で、それぞれの世代が逃げ切り協力に励んでいるのである。テレビ出演を依頼する側も、様々なしがらみのためなのか、狙いすました搾取階級維持の協力者の抜擢を計算したものなのか、よくわからないが、搾取階級の人々へ仕事を与え、搾取の仕組みを明らかにしようとする人々を排除する方向で頑張っている。

全く見える管総理や東電に圧力や不満をぶつけている人々がいる訳だが、そのことで自分に向けられる監視が緩んで安心している人々の存在に気付いていない。復興利権などへ集う輩や監視が出来ない一生懸命な輩の人数配分によって、総理大臣が選ばれてきたのである。

あるいは第二次世界大戦に加わった日本の状況と、今回の原発問題を重ねてみてもよい。それは真珠湾攻撃による開戦は 「日本は勝てる」 と言う根拠なき合い言葉に始まり、原発建設促進は 「原発は安全である」 と言う根拠なき合い言葉で始まったと考えればよいのだ。敗戦の時には、連合国側からGHQが入ってきて、日本軍部などの司令側の改革に乗り込んでくれた。しかし今回の 「原発は安全だ」 によって利権を確保してきた人々への実態調査と改革はノーマークなのだ。安全と言いながら放射能汚染をして世界を汚したから、海外からの実態調査団が強制的に日本入り込んでくれたならば、相当にとぼけた日本の体制も改善される契機になったろう。

全く原発コマシャールに出ておきながら、何の対処もしないで済まして仕事をしている奴らは、終戦直後でたとえるならば、まずはGHQによって公職追放されるに値する方々だろうね。推進側に荷担することで自らは金を得ておいて、原発で仕事を失った人々がいることについては発言せず、そればかりか災害後も自らの仕事は澄まし顔で保っているから、そのたくましさには笑える。被災者たちも東電や政府のばかりを目を向けていないで、原発コマシャールで金を得た人々へ向けて説明要求をすることも大切だと思けどな。ホンマ、何の説明や対処もしないでも、のこのこと自分の仕事を続けていけるのならば、今後もそういうやり方を真似る奴らが日本の体制を動かして行く運命となる点に留意し、戦後のGHQが公職追放で改革してくれたことの意義を思い起こした方がいいだろうね。

しかしこの時代、海外は日本への応援エールを送るだけで、日本体制の改革には手を出すことはない。ほんに、原発利権にあやかりながら処理には直接関係がない、言わばぶら下がり連中の方々には、庶民的な我々からすれば、お妬み満載にて 「超ラッキーでしたね」 と拍手を贈るしかなさそうです。また素知らぬ顔を続けなければならない彼らの御苦労を察しますと、ビートのたけちゃんの 「東京湾に原発つくれ!」 がより喝采を浴びることによって、話題が反れることをお祈り申しあげたいと思います。しかし原発利権にあやかっていない方々が 「東京湾に原発」 発言に喜んでいることを想像してみますと、原発に関する恩恵地域と負担地域との意識統一化の議論には有意義な事柄なのでしょうが、何やら不思議な気持ちとなってきます。



そう言う訳で、おとぼけ利権確保集団への監視が利かない現状は、これからも続く。我々も社会階級をよく勉強して、搾取できる側につける努力で競争して行きましょう。搾取できる側に回れなかったからと言って、文句を言うのはよくありませんね。内部浄化が不可能の国ですから、それぞれのお友達やら人脈やらの結束の方をお大事に。

「頑張ろう、日本!」

何やら説明責任があやふやなままの日本では、まるで 「こちらを覗かないで」 と先手を打つがごとく、戦時中のお偉い方が発した 「お国のため」 にも似た響きがする言葉だ。たとえば特攻隊など、話題となる大震災に限らず過去の名も知らぬ様々な立場を思って語る長渕がいたことが、せめての救いだった気がする。長渕嫌いには 「だけど俺はこの街を愛し、そしてこの街を憎んだ」 の意味はわからず、個人を憎んでは揶揄し若干のお仲間と余裕を見せるのが限界で、終戦記念日の黙祷も横並びのための深刻面づくりになろう。

全く【原発コマシャールの社会的貢献】と【下請け現場対処の自己犠牲や社会的使命】との関係は、敗戦の【公文書廃棄処理に精を出した人々】と【特攻隊の死】の関係と等しい。



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  1. 2011/05/02(月) 09:10:59|
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