思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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もし地震が一年後であったならば

もし大地震が一年後の来年であったならば、今の我々はいつもと同じような生活をしていたのであろう。誰が津波にのみこまれ、誰が助けられ、誰が救助の手から取り残されるのかを知らないで。

もし何らかの大災害が一年後に起こるとすでに決まっているのならば、我々は誰が亡くなり、誰が助けられ、誰が取り残されるかは知らないで今を過ごしているのだろう。

悔いなく今を生きろと言うのだろうか?前向きに進めと言うのだろうか?自分に出来ることに一生懸命になればよいのだろうか?

生きている人々が生きている。死ぬ人々が死ぬ時に死ぬ。そして誰もがいつかは死ぬ。

今までの長い歴史の中で死んだ人が死んで、生きていた人が生きていた。今生きている我々も、過去の生きていた人々が生きていた時と同じ、いつかは死ぬ途上の一場面。

歴史的移動である場面場面の今という1コマで、生きている人々が生きている。悔いなく今を生きろと言っている。前向きに進めと言っている。自分に出来ることに一生懸命になろうとしている。

自分自身が見ていること、思っていること、努力していること。それらも止まることがない場面場面の1つである。そしてその場面場面に映っているのは自分だけではなく、家族だけでもなく、友達だけでもなく、自分に見えている人々だけでもない。

また場面場面に映っているのは地震や津波だけではない。その波及が次から次へと場面が移っている。原発、流通停滞、計画停電など次々と。

新たに子供が生まれる。彼らは場面の1コマ1コマ見始め、同時に見始めていること自体が場面の1コマ1コマでもある。

我々は子供の成長について、子供が周囲を見始めていることを想像しながら、その子供が映っている場面自体を1コマ1コマ見ているのに、大人になると自分自身が周囲を見ていること自体が、その場面の1コマ1コマであることを忘れる。

我々が子供同士が遊んだり喧嘩をしている場面の1コマ1コマを見ているように、きっと我々が活動している場面の1コマ1コマも見られているだろう。

しかしどうだろう?ちょっとばかし大人になった気分で、ただ見る立場になってはいないかな?あるいは人々へ自分自身を見せようとしているだけじゃないかな?人々へ自分たちを見せようとしているだけじゃないかな?それではまるで自我が芽生えたばかりの子供に見えるよ。

人々から揶揄、嘲笑、批判されるまでは直らないのかな?みんな同時に休むことなく見られていると想像してごらん?もっとみんなが映っている場面、被災者や救済者だけではない、すべての遠い宇宙を含めたものの中にある"今ここ"を思い描いてごらん?人々に見られる自分じゃなくて、みんなが同時に見られていることについて思い描いてごらん?

何だかまるで、大震災にあやかった、お説教みたいだね?

もし大地震が一年後の来年であったならば、今の我々はいつもと同じような生活をしていたのであろう。誰が津波にのみこまれ、誰が助けられ、誰が救助の手から取り残されるのかを知らないで。

想像してごらん?みんな善も悪もなく見られているって。今は亡きすべての人々も一緒に。



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  1. 2011/03/23(水) 10:07:55|
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