思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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80年代 新人類

85年には女子高生による「セーラー服を脱がさないで」が登場した。性に関する歌詞を人前で歌うのが斬新であり、それは山口百恵の「ひと夏の経験」74以来のこととみなされたりしている。しかしおにゃん子クラブの場合は集団であり「今はだめよ、我慢なさって」と人差し指立てて発言の主導権をとっている。その人差し指とは「ブラックデビル」82などからの影響だったのだろうか、最近あたりでは「ちびまる子」90に登場する丸尾くんあたりが息が長い。ただ主導権を得たいという動機は一緒なのだが、実際の効果は丸尾くんの場合は少々異なっている。もはや人差し指の指導権確保によって、男は反応を狙いすます狼ではなく反応を見られる狼となった。
同年には「なんてったってアイドル」もヒットして、人々の抱くアイドル像を変化させる契機となった。それは、人々が抱く「女子高生が性について話すこと」についての考え方を変えようとした一つの試みの延長なのだろう、【周辺他者が抱き期待する自分についてのイメージ】に従来の悩みの原因を見い出した結果なのかも知れない。それはそれぞれ多様化された状況の中で、それぞれの立場から新たな自分のイメージの発信をなし、周りの反響を見ながら進出してゆく時代を意味しているかのようである。
80年以降は伝統理念から離れ、同世代内の多様化が進み、しゃべり(指導権獲得会話と時代従属会話と様々な形態がある)が台頭してきたため、周りから様々の評価を受ける環境になったと言える。当たり障りなく大きな時代風景の中に個々人が安住できなくなった時代であり、話が巧くなるか、さもなくば自分自身を保たなければならなくなったのだろう。86年に「My Revolution」が登場し、「誰かに伝えたいよ、My Tears、My Dreams、今すぐ」、「たったひとりを感じる強さ、逃したくない、街の中で」と、恋に限らず不特定多数の周辺他者と自己との図式を示した。俵万智の「この味いいねと君が言ったから、七月八日はサラダ記念日」も類似した周囲に振り回されない「マイ記念日」といったような自己意識が確立化し、後の「マイブーム」97へつながっている。
さて70年代から見れば、もうかなり時代も変わった時期である。そして阿久悠は最後のヒット「熱き心」、「時代おくれ」86を送り出した時期だ。それは両曲とも伝統的立場からの作詞であるが、何故、この時期になったかは私にはよくわからない。70年代を共に暮らしてきた人々の中に、急激な時代変化への一石を感じたのだろうか、あるいは若き層の意識にも刻んでおきたい何かを感じたのだろうか。時代追従の側から見れば取り残された側に相当する懐古趣味的なレトロブームが生じている中で、「テレビ探偵団」(86.10~92.3)も現れた。「探偵団」という名称も時代風潮から距離をおく一室という感じがしてよいが、その時代変化に関わった人々の動機を、犯人の動機なんかを探るような探偵団の形にまで進展していたならば、今日の日本も【一般的な大多数の無知を利用する新規進出】と、同様【一般的な大多数の暗黙の了解を伝統なり常識として安住する持続体制】から、それぞれ多数の支持を受けつつ互いに監視意識が働き、今日の社会的状況も違ったものになっていただろう。
86年に流行語となった「新人類」。それは84年にマーケティング情報誌「アクロス」が提唱、「朝日ジャーナル」が取り上げ流行語になったらしい。70年代と比べて相当世代間格差が広がった頃である。それは伝統的旧世代が新しく生じてきた進出に潜む社会観が読み切れなかったからである。旧世代の社会心理学の「甘えの構造」71や「モラトリアム時代の人間」78、「柔らかい個人主義の誕生」84では到底理解できないものである。新しい世代は感性が違うのではない、社会観が違うのだ。それにも拘わらず、自らの社会観を振り返ることなく旧世代のを中心に読まれるため社会心理学で語り合っていた。たいてい彼らは若者に欠如を見るか、新しい感性として寛大になるかのいずれかだった。旧世代の間抜けな社会心理学者たちのおかげで、持続伝統と新規自由の相互監視意識の普及にいたらなかった。社会心理学者は、お呼ばれ解説者に甘んじ、権威ある呼ぶ側の方々もそんな社会心理学者を好んだ。「新人類」と呼んでそれを調べるが、新人類が伝統側をどう見ているか調べない。自分の説明を期待する会場の視線の方が大事だったらしく、それが日本学界の伝統なのだろう。
一般社会の旧伝統的理念の側と言えば、若者の指導権争い、多様化のゲームにたいして【人生】の理念を共有化しようとした。

83
「冬のリビエラ」人生って奴は思い通りにならないものさ
86
「時の流れに身をまかせ」一度の人生それさえ捨てることも構わない
「愛燦々」人生って不思議なものですね
87
「雀の涙」たかが人生、成り行きまかせ、男なんかは星の数ほど
「人生いろいろ」人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ咲き乱れるの
「わが人生悔いなし」長かろうと短かろうと、わが人生悔いはない
89
「川の流れのように」生きることは旅すること、終わりのないこの道

古くは「水戸黄門」69の主題歌、「人生楽ありゃ苦もあるさ」があったが、「おしん」83の流行とともに古き忍耐の理念と解されながら減退し、悔いなき流れへと移行した人生観である。同じ頃には、「オバタリアン」89の活躍が注目されてきたようだが、忍耐に関して若者世代の場合、社会的状況の観察で忍耐の無能性を感じ、周囲の仲間の目を当然気にして行動していた訳だが、しかし一方のオバタリアンの場合は、今まで忍耐してきたが時代風潮を見て「乗り遅れては損だ、いや今までの損失も取り戻さなければならない」とばかりに周りの目を気にすることなく、ただ従来の忍耐を捨てただけの急進的な行動になってしまったのだと思う。

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  1. 2010/03/05(金) 17:24:17|
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