思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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80年代 伝統にたいする多様化

80年、シャネルズの「ランナウェイ」は二人だけの遠い世界へ逃走し、松田聖子の「裸足の裸足」は二人一つのシルエットを映して定住した。84年には「スキゾ、パラノ」の用語が広まったが、それは分裂病と偏執病に由来するらしい。副次的には「逃走、定住」の図式と対応するものでもある。ただ私はここで浅田彰の「逃走論」の語意をそのまま踏襲して言うのではない。その二極化が生じていたこと、その二極化の解釈がなされ始めていたであろうことについて、私自身の語意で説明を試みる訳だが、ここでの「逃走、定住」の意味とは、伝統的規範にたいする態度、対応が深く関わる。伝統的規範に不満疑問を持つ若者世代、それは両者ともに理念的な議論や闘争を伝統的規範にたいして行おうとしない(「オバン、オジン」79とは、話し相手にはならない対象として扱う用語だったのか?)点で一致している若者なのであり、ツッパリのような伝統的理念への反発表明は、ここでは対象外である。
つまりここでの伝統的規範への対応分類は、伝統的理念への疑問を抱きながらなされる態度に関する分類であり、逃走して自らの新しい理念の進出を作るか、進出定住してからその中で自らの新しい理念を作っていくかである。「大都会」80では伝統的規範とそれに定住する同世代の人々の中では夢を描けないために、再び夢を追い続けるために逃走した。ここに分類に関わる中心的な分岐点がある。
「ぶりっ子」は逃走せず、定住の進出を行う。自らの定住のための様々になされる社会学的知識は独立自尊的になされる。アイドルという形態進出は70年代に定住化され、その定住状況の仕組みを計算しながら進むのであり、裏方を含め職業意識に独立企業的な社会観を含んで行われる進出である。彼らは自らの計算の元となっている社会観を新しい時代的なものと自負していたであろう。
その一方、逃走側は新しい形態を作り進出を試みる。「ランナウェイ」のシャネルズがクループであったこと、顔の黒塗りであったことなどは、新しい形態を作ってからの進出を象徴する。「大都会」のクリスタルキングがグループであったことも同様であり、彼らの場合は社会観で進出をした訳ではない。
しかし逃走側については、進出に取り付ける物と、取り付けれない側へと分岐されて行く。また取り付けた後においても逃亡志向か定住志向かの様相多様化へ向かって行く。ここに80年代の多様化の特徴がある。
こうして考えてみれば、「おたく」89とは逃亡側の進出に取り付けない、あるいは取り付けようとも思わない志向である。彼らはそれぞれの趣味が多様化されており、人脈形成にも関わらず、互いに「おたく」と呼び合うことから命名されたものと解釈できる。
もはや伝統的理念への反発表明には触れない逃走か定住の選択を暗示することとなっていた80年の歌謡界であったが、その年には漫才ブームも起きている。それは伝統的理念に積極的に触れ、茶化し、その不満を共有化した。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とは伝統的理念という赤信号とその対抗進出方法の社会観を提示した形である。81年には、もともと伝統的規範への反発があったツッパリだったが、共有化進出も試みられる形となって、横浜銀蝿「ツッパリハイスクールロックンロール登校編」、アラジン「完全無欠のロックンローラー」が登場した。
こうしたメディア界に関する新たな進出形態とは反対に、一般社会では「指示待ち世代」81と呼ばれる時代となったが、ここでは指示待ち状態になってしまったことが問題ではない。世代間の格差が大きくなり、旧世代的立場から新世代について色々評価解釈し始めたことである。漫才ブームでは旧世代の考え方が茶化したが、一般社会は新世代が評価を受ける立場であったことである。「新人類」84とは、まさに80年以降の多様化における世代間格差が広がりの象徴である。旧伝統的理念の側は「おしん」83を支持し、新進出的理念は「オシンドローム」84と、それを見ていた時代である。
あれだけ多種多様の作詞家阿久悠氏も、この80年代の新しい流れには属していない。松本隆作詞「ルビーの指輪」81の「孤独が好きな俺さ、気にしないで行っていいよ、気が変わらぬうちに早く、消えてくれ」で「ジョニーへの伝言」と「五番街のマリー」の別れの最後の気遣い、「勝手にしやがれ」の自己領域の確保が融合され、それが一つのスタイルとなってしまったことが要因かも知れない。松本隆氏はすでに「木綿のハンカチーフ」75で別れの際にそれぞれの自己領域や社会観が関わっていることを歌詞に盛り込んでいる。「冬のリヴィエラ」82では双方の最後の気遣い、それでも背中合わせになるそれぞれの社会観を持った自己領域への旅立ちを表した。一方の阿久悠は社会観を踏まえて作詞をしたが、社会観を持ち自己領域を確保する人物として作詞の中に登場させなかった。(阿久氏と松本氏のそれぞれが抱いている社会観の評価については別問題である)
また松本隆は斉藤由貴「卒業」85の作詞において覚めた意識で「イニシャルを刻むあなた、やめて思い出を刻むのは心だけにしてと、つぶやいた」、「卒業式で泣かないと、冷たい人と言われそう」と表した。それは未来の人それぞれの自己領域を踏まえた「木綿のハンカチーフ」以来続いている意識であり、80年以降大きく同世代内の理念が多様化してきた状況中での、人それぞれの理念のズレを表している。同年には、ほかに菊池桃子「卒業 GRADUATION」、尾崎豊「卒業」がヒットした事実にも、若者世代において理念の多様化が進んだものと認めてよい。

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  1. 2010/03/02(火) 09:40:17|
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